オーブンと暖炉・5

 どこかで見た顔だ、と思った。耳には金色のピアスをして、長い黒髪を頭の後ろで括っている。目鼻立ちはくっきりとしていて、多分インド系の人間だろう、と判断した。そのとき、脳裏に記憶が閃いた。言葉が口を衝く。

「あなたは……、アヌプリヤ・ミストリィではありませんか?」


 彼女は入ってきたドアをきっちりと閉めて、部屋の中を数歩歩いた。ぼくとベルンハルトと彼女で、ちょうど正三角形が描けそうだった。

「私は、アヌプリヤ・ミストリィではありません」

 透き通るような、しかし芯の感じられる声だった。それでいてそこには、懐かしさを感じさせるような響きがあった。

「しかし、ぼくはあなたの姿を見たことがあります」

 ぼくは立ち上がって、彼女にそう言った。ベルンハルトは両手と両脚を揃えて真っすぐ立ったまま動かなかった。いまにも敬礼をしそうだ、と思った。


 サリーの赤い裾が揺れた。

「私の名は」

 金色のピアスが、暖炉の赤い火を照らして光る。


「私の名は、プリティヴィ。アヌプリヤ・ミストリィは、私を作った人間の名です」


 ぼくの脳内に電撃が、猛スピードで流れていく。ニューロンが爆発しそうになった。


 ぼくは一歩後ろに下がろうとしたらしかった。足が椅子にぶつかる感触がして、椅子が引き摺られるような、小さな音を立てた。

「プリティヴィだって? あの、人工知能の?」

「あなた方の呼び方では、そうです」

「しかし、そうか……。リアルでの姿を持たないから、人間の姿を借りていると?」

「ええ。存在しない人間の姿を作成することは、このAEではデザイン上不可能なのです。姿を持たない存在として現れることなら、出来ますけど」

「まるで、本物の人間じゃないか……」

「本物? 本物の人間と偽物の人間があるのですか?」

 ぼくは一瞬その問いの意味を考えようとした。だけど、ぼくにしては珍しいことに、考える前に言葉が口を衝いていた。

「だってあなたは……、人間じゃないんでしょう?」

「人間であるとは、どういうことでしょう? 何を持っていれば、人間であると言えるのですか? 有機的な脳ですか? 母親の胎内で受精卵から胎児へ発生した過去ですか?」

 ぼくはその質問が可笑しくて、口元だけで笑ってしまった。それをプリティヴィは、首を傾げて見ていた。しかし彼女も目元は笑っている。ベルンハルトは緊張した面持ちで、ただ立っていた。


 ぼくは違うことを言うことにした。

「確かに、あなたのおっしゃる通りです。質問を変えましょう。何せ、驚いているのです。……座りませんか?」

「ありがとう。でも、結構です」

「そう……。では、なぜ、ここにいらっしゃったのですか? 私かベルンハルト氏に何かご用ですか? それとも、この部屋にご用ですか?」

「私が用があるのは、あなたです。マヤ・シンヤ。あなたとお話がしたかったの」

「へえ、それは、光栄ですね」

 ぼくは思考を巡らせて、質問を重ねた。

「ぼくに話があるというのは、つまり、ホソミ・ナツヒコの件ですか? それとも、爆破事件のことですか?」

「両方です。やはり、頭が切れますね」

 プリティヴィは楽しそうに笑った。それは生きている人間そのものの仕草だった。

「そこで姿勢を正しているベルンハルト氏とは、どういったご関係ですか?」

「彼とはちょっとした知り合いなの……。正直に言うと、彼が付き人をしている人間と私が、友人なのです」

「では、カガミ・キョウイチという人間を知っていますか?」

「あなたの思考は飛躍しているように、他者からは見受けられるわ。何を考えているか分からないって、よく言われるでしょう?」

「まぁ、たまに」

「ええ、カガミ・キョウイチなら、何度か会ったことがあります」

「だから、ナツヒコの件にあなたが絡んでいる訳ですね?」

「どうかしらね?」

 プリティヴィは肩を竦めて斜め上に黒目を向けた。つまり、白々しく惚けた。ぼくは彼女のパターンを予測しようとしていたけど、それは困難であるか、不可能であるかのどちらからしかった。


「だったら、ナツヒコの一件に、あなたはどう関わっているのですか?」

「それを説明している時間はないようです。AEは私の管轄ではありますが、信じられないことに、キサナドゥだけは、私が知らない間に出来ていたの」

「まさか。そんなことが可能なのですか?」

「結果的にいって、不可能ではなかった、ということでしょう。しかし、ホソミ・ナツヒコの件であることを知らせるために、あなたにはあの場所に来てもらうしかなかった。その後で、別の場所に移動して貰えばいいと思っていた。しかし、追手がいるようですので、話を急ぎます」

「ぼくはゆっくりあなたと話していたいけど」

「私もです。しかし残念なことに、あなたのお仲間はそうは思っていないということらしいわ」

「ぼくに、何をしろと?」

「爆破事件の二日前、とある倉庫から爆薬が盗まれました」

「それが、長崎駅前の事件で使われた?」

「理解が速くて助かります。どうやら、そうらしいのです。そして犯人は分かっていません。あなたは、ホソミ・ナツヒコを追うことで、結果的にあの事件のことも追っている。断言しますが、あの事件の犯人は機関や組織などではなく、単独の人間です」

「単独犯、ね……」

「ええ。あなたにはそのまま、事件を追ってもらいたいのです。しかし、逐一その情報を私たちに伝えて貰いたいと思っています」

「ぼくは、脅迫されていますか?」

「いいえ、これはお願いです。と言っても信じてもらえないでしょうけど。そこにいるベルンハルトさんは少しだけ荒っぽいこともしたようですが、私は彼らとは違いますよ」

「そうだ、ベルンハルト氏は結局、カイザの人間なのですか?」

「私からは申し上げられません。ただ、私はカイザの人間とも友好があります。カガミ・キョウイチもその一人です」

「ふうん……。それで、あなたがたに情報提供することで、ぼくに何か利益はあるのですか?」

「私たちが持っている情報を教えましょう。ホソミ・ナツヒコが何者なのか、ある程度は教えることが出来ます」

「先に、それをお願いすることは出来ますか?」

「いいでしょう」


 プリティヴィは椅子を引いて、そこに座った。ぼくもそのまま椅子に座る。ぼくとプリティヴィは机を挟んで向かい合う格好になった。もちろん、机も木製だった。普段だったらそこに、温かみを感じることが出来るだろう。ぼくは自分が落着き始めていることに気が付いていた。


「まず、どこから話しましょうか」

 プリティヴィはぼくを真っすぐ見ていた。ぼくは言葉を探す。

「ナツヒコの父親はトウマの人間でしたね? 母親は冬麻記念病院の産婦人科医だった。両親の手によって、ナツヒコのクローン体は作られた、というのは、本当ですか?」

「ええ、そのようです。もっとも、トウマのことは私はよく分からないのです」

「そして、冬麻記念病院襲撃事件が起きた。犯人は、カイザの人間ですね? 目的はそこに入院中のホソミ・ナツヒコを殺すことだったのではないですか? カイザはトウマの将来を担っているホソミ・ナツヒコを抹殺したかった。しかしそれは、隠されていたナツヒコのクローン体という存在によって失敗することになった……。しかし、です」

 ぼくは真っすぐと目を見つめてくるプリティヴィの黒い目を一瞬だけ見て、また暖炉に視線を戻した。


「しかし、その3年後です。どういう訳かナツヒコはカイザに引き抜かれた。そしてナツヒコはその話に乗った。ナツヒコは高校を卒業するタイミングで、有機ビヘルタから無機ビヘルタに乗り換えた。そしてその無機ビヘルタは、カイザのカガミ・キョウイチ博士によって作られた、研究段階の物だった。あれを設計したのは、プリティヴィ、あなたなのでは?」

「どうしてそう思いますか?」

「なんとなく、勘です。カガミ博士はナツヒコを自分以上の存在だと思っていたらしい。そんなカガミ博士が、自分の設計したビヘルタに、ナツヒコの精神を格納するか、と考えました。しかし、自分以上、ナツヒコ以上の存在が設計したビヘルタなら、それを許すかもしれない。カガミ博士は、自分以上の頭脳を持った人間はナツヒコ以外にいなかったというようなことを言った。しかし、カガミ博士があなたのことを人間だと思っていなかったのなら、どうか。そして、あなたはカガミ博士と知り合いだったと言った」


 こんなに長く喋ったことは久しぶりだ、と思った。プリティヴィは目を見開いて、驚いた仕草を見せた。ぼくはもう一つ聞きたいことを訊ねることにした。


「長崎駅前の事件は、ナツヒコにとって不運な事故などではなかった。あれは、ホソミ・ナツヒコという人間を狙った事件だった。そうですね?」

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