オーブンと暖炉・1
昼前には厚い雲はどこかへ行ってしまって、いまでは乾いた空気が街中を洗浄するみたいに押し寄せていた。ぼくはクローゼットの奥から引っ張り出した喪服を着ていた。しかし喪服に合うコートを持っていなくて、火葬場の自動ドアを潜ったときはつい、その暖かさに気を緩めかけてしまった。
葬儀と言っても火葬をするだけで、一体どの程度の肉片が遺体として帰って来たのかは知らないけど、ともかくぼくが火葬場に着いたころにはもう棺ごと火葬炉に入っていた。ぼくは聞こえてくる誰かの泣き声から逃げるようにして階段を探した。
2階に上がって知った顔を探すと、幾つかある待合室の一つにナツヒコの叔父、ツクバ・ヒロトの姿を見つけることが出来た。ぼくは一度トイレに行って鏡の前でネクタイを締め直した後、もう一度ツクバのいる待合室へと向かった。
待合室に入ろうとするぼくの姿を見つけたツクバは、椅子から立ち上がってぼくの元へと歩み寄ってきた。そしてぼくの前に立って、軽く礼をした。ぼくも同じような動作を返した。
「この度は、呼んでいただいてありがとうございます」
「うん。来てくれてありがとう」
ツクバはそれだけ言うと元いた席に戻って、知り合いらしい人と話し始めた。ぼくはツクバの姿を視界の端で捉えながら、待合室の空気を感じていた。
ちょっとした会議室くらいの広さがある待合室の中では、20人ほどの人間が表情を落として椅子に座っていた。子供はおらず、全員が大人だった。ぼくは知った顔、つまり高校時代の同級生などに会わないか気が気でなかったのだけど、その心配は杞憂に終わったらしい。その場にいるぼくの知っている人間はツクバ・ヒロトだけだった。
ぼくは空いていた席に座った。同じテーブルの席には、他に誰もいなかった。ぼくはテーブルの上に用意されていた瓶のコーラをグラスに注ぎながら、隣のテーブルの会話に耳を立てた。50歳くらいの男性同士の会話だったせいもあってか、比較的聞き取りやすかった。声が大きいのだ。
「……アメリカにいれば、巻き込まれることもなかったろうになぁ」
「お父さんが亡くなったばかりなのに」
「遺体も碌に見つからないで、これじゃあ、まともに弔ってあげることも出来ない……」
ナツヒコという人間がどの程度死後弔って欲しがっていたか、ぼくは知らない。喪主の意向も知らないけど、通夜もセレモニーも無しということは、この葬儀を取り行っている人間は、死後の世界に執着がないのかもしれないし、ひょっとしたらナツヒコの遺書でもあったのかもしれない。どちらにせよ、ナツヒコという人間を弔うにしては、これでも豪勢すぎる、とぼくは思った。ナツヒコは生粋の唯物論者だからだ。
それに、死んだとは、ぼくは思っていなかった。
ぼくはコーラに口を付けながら、待合室の中を見回していた。するとツクバがぼくの元を訪れて、空いていたぼくの斜め向かいの席に座った。ぼくらがいるテーブルは待合室の一番奥にあって、まるでエアポケットみたいに空気が辺りと違うように思えた。それは単に、ぼくがそこにいたからということだけが理由であるかもしれなかった。
「さっきはすまない、碌に挨拶も出来ないで」
「いえ、こちらこそ、遅れてしまって、すみません」
ツクバは、この場所にいる他の人間がそうであるように喪服を着ていた。しかし他の人間と違うことに、ツクバにはあまりにも、喪服が似合い過ぎていた。ぼくはその事実を本人に伝えようか迷ったけど、感じ取っていた空気感を尊重して、言わないでおくことにした。
「納棺からいられればよかったのですが」
「いや、納棺は私含め数人しか居合わせられないようにしたんだ。遺体があまりに無惨だったからね。納骨も、普通より早く終わってしまうだろう」
「ご遺体は、どの程度見つかったのですか?」
「皮膚片だけだよ。火葬場を借りるほども無い。家のオーブンで焼けそうな程だった」
その答えは、ある程度は想像通りだった。無機型ビヘルタでも、人工培養した皮膚で全身を覆っているからだ。
ぼくは頷いて、用意していた質問を投げ掛けた。
「ナツヒコは、有機型ビヘルタを持っていませんでしたか? 高校を卒業するときに無機型を持つよりも前です」
ツクバはぼくの方に視線を一瞬だけ投げて、すぐにテーブルの上の、ぼくがさっき開けた瓶を見つめた。ぼくは伏せてあったグラスを一つ取って、コーラをそこに注いだ。ツクバはそのぼくの動作を見つめながら、口を開いた。
「持っていた。が、それはもう焼却処分してある。……君はどこまで知っているんだ」
瓶は、グラスの六分目まで注いだところで空になってしまった。ぼくは逡巡した挙句、その中途半端にコーラの入ったグラスをツクバの前に置いた。ぼくはそのコーラの泡立つ表面を見ながら、ツクバこそどこまで知っているのか、と考えた。
「ナツヒコが有機型ビヘルタを持っていたらしいということだけです」
ぼくは情報を小出しにすることにした。
「なぜ、ナツヒコのクローン体が存在したのか、考えたかい」
「ええ。生まれてすぐに、誰かが細胞を採取したとしか考えられません。それが出来るのは、病院関係者か、でなければ親くらいです」
「君の考えている二つの可能性はどちらも正しい。しかし、君の考えていない可能性もまた、存在している」
「えっ?」
ぼくは思わずツクバの顔を見た。ツクバはぼくが注いだコーラを見ていた。一昨日会ったときよりも、目の下の隈が濃くなったように見えた。
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