奇跡的な連続・6
キノサキの質問は続いていた。
「今後、無機型ビヘルタと有機型ビヘルタはどのような形で共存していくとお考えですか?」
「私の考えでは、有機型は必要ない。しかし、それでは納得しない人間もいるだろう。そのような人間は有機型を使えばいいのではないかな。有機型にしても一部を金属製の部品にしなければならないのは事実だ」
「有機型が必要ないというところについて、もう少し詳しく伺えますか?」
「人間は元々、メカニカルな装置だ。無機型ビヘルタに精神が乗り換えられるのなら、それで構わないと私は考えている。それどころか、有機型ビヘルタなどという中途半端な物を使って肉体にしがみつくのは、私に言わせれば、無駄な行いだ。有機型は数年のうちに無機型に淘汰されるだろう」
その答えに頷いたキノサキがぼくの方を振り向いて、視線を送ってくる。ぼくは咄嗟に質問を考えた。
「肉体から精神格納装置へ、複数回精神をコピーすることは可能ですか?」
「理論的に言えば、もちろん可能だ。法律の問題は別としてね。しかし、元に戻すことは出来ない。いや、出来たとしても、精神へのダメージが大きすぎる」
「では、クローン体が別の人間としてずっと生きていく分には問題ないということですね?」
「こと日本の社会で言えば、ほぼ不可能に近い。なぜなら、存在しない人間が存在するということになってしまうからだ。クローン人間に関する法整備が進んでいないし、法律があったとしても、存在していない筈のクローン人間が存在している事実に変わりはない。社会に存在しない筈の人間は、いまの日本の社会では生きて行くことは難しいだろう」
「バックアップがあれば不可能ではないのではありませんか?」
「何か含みがあるように感じるが、私の間違いかな」
キノサキがぼくのほうをまた振り向いて、目線だけで「やめておけ」と信号を送ってくる。ぼくはそれを意識的に視界の外へ追い遣って、質問を重ねた。
「では、例えば、僕の精神を精神格納装置に格納して、キノサキさんに似せて作られた無機型ビヘルタにそれを入れたとします」
「ここは講義室ではない。それにそんなこと、本を読めば分かることだ」
「いえ、ここからが本題です。僕の精神の記憶を破損させたら、どうなりますか?」
「記憶を破損させるというのは、自分が何者か分からなくなる程度ということかな」
「そうです。そうなったら、精神にヒビが入ることも、ないのでは?」
「いや、脳というのは肉体の成長から影響を受けて成長しているものだ。精神は普通の肉体では脳に由来しているから、君の精神をコピーして他人のビヘルタに入れるというのは、例え記憶を失っていても、不可能だ」
そこでカガミはぼくの方を漸く見て、「何か本当に訊きたいことがあるのではないかな」と言った。
キノサキがまた、ぼくの方を肩越しに振り返った。ぼくはキノサキに向かって頷き、本当に訊きたいことを訊く。
「ホソミ・ナツヒコという人間を知っていますか?」
カガミは丸眼鏡の奥で、僅かに目を見開いた。そして何故か、口元には笑みを浮かべた。
「知っているよ」
カガミはぼくの目をじっと見つめた。ぼくはカガミのその笑みを見ていた。
「どこで、知ったのですか?」
「ここで、だ。彼が私を訪れた。ちょうどこのベンチで、彼と私はあの芝生の揺れているのを見た。私は、自然というのは実に美しいという話をした。すると彼は、自分には式の集合に見える、ということを言った。そして彼は、故に自然は美しいのだと続けた。私にも、同じように見えていた。私は嬉しくなった。そんなふうに話の合う人間はこれまで、一人として出会ったことはなかった」
ぼくは一瞬、カガミの目を見た。カガミの目は、ぼくより遥か後ろの中空を見ているように見えた。
「しかし、ホソミ・ナツヒコにとっては、私など幼児同様の存在だった。彼は本物だ。私が一生を掛けて築き上げてきたものを、一週間と掛けずに飲み込んで、さらに昇華させてしまった」
「ホソミ・ナツヒコは何をしに来たのですか?」
「私は、彼こそ今後の世界を背負っていく人間だと思った。いや、彼の前では、世界などという言葉は戯言に過ぎなかった。彼は、歴史を動かすことの出来る数少ない人間の一人だった」
「歴史を動かす? どういうことです?」
「私は彼に、永遠を見た」
ぼくはそのカガミの言葉に、背筋の凍りつくのを覚えた。
永遠などというのは、容易に使っていい言葉ではない。
ぼくは急に、家に帰って、ユリコの微笑を見たくなった。
人生なんて、奇跡の連続する瞬きに過ぎないのに。
死んだ両親のことを思い出しそうになった。
こみ上げてくる感情を、体重を掛けるようにして抑え込む。
顔を上げると、キノサキがぼくを見ていた。カガミは中庭の芝生に視線を戻していた。
「ありがとうございました」
ぼくはカガミに礼を言った。キノサキも立ち上がって、カガミに礼を言う。カガミは小さな声で、「うん」とだけ言った。
キノサキがぼくの腕を引っ張るようにして、出てきた自動ドアから内廊下へと入った。ぼくはただ引かれるに任されていて、「変な質問はするなと言ったはずだよ」とキノサキに言われたときも、まだ自分が自分でないような感じがしていた。
「聞いてる?」
「ええっと、聞いてます。すみません」
「いや、良いんだ。どうせこんなことになるとは思っていた」
「反省してます」
「反省したところで、活かすところがないさ。飛ぶとしたって、俺の首だ」
「すみません」
「いい。いまのは誇張表現だ。俺はフリーだから、首は飛ばない。物理的以外には」
「それは、怖いですね」
「昨日のことを考えると冗談と思えないのが、本当に怖い」
ぼくらは白い廊下を歩いてロビーまで戻った。キノサキは何か考えるように腕を組んだまま顎に手を遣っていて、ぼくはさっきの会話を思い出していた。
ロビーの中央付近まで歩いたところで、キノサキが急に反転し、受付に向かって歩き始めた。真後ろにいたぼくとぶつかりそうになったけど、キノサキは冷静にぼくを躱した。
どうしたのだろうと思いながら、その後を追った。キノサキは受付にまだいたさっきの女性に向かって、「ちょっといい?」と、何気ないふうに訊ねた。
「はい、なんでしょう」
「君、ここは長いの?」
「5年ほどです」
「
「そうですね」
「じゃあさ」キノサキは1枚の画像データを手の上に出現させた。「この人、見たことあるでしょ。何曜日くらいに来ることが多いかな」
画像はナツヒコの顔写真だった。どこで手に入れたのだろう。
「この人なら、確かにたまにいらっしゃいます。曜日までは、ちょっと」
「いつくらいから来てる?」
受付の女性は思い出すように視線を彷徨わせて、「もう3年くらいです」と言った。
「定期的に来るんだね?」
「ええ」
「それは、AEで?
「両方です。どなたかとお会いになっているみたいでしたけど、私が取り次いだことはありません」
「最後に来たのはいつ?」
女性はまた視線を彷徨わせた。
「つい何日か前ですよ。でも、ここ一週間くらいはお見えになってません」
「そう。ありがとう」
キノサキはそれだけ言って、踵を返した。呆然とするぼくの横を抜けて、出入り口に向かって歩いて行ってしまった。
ぼくはナツヒコがここを定期的に訪れていたという事実の重要性を考えながら、キノサキの後ろ姿を追いかけた。
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