硝煙と雨霧・2
「えっ?」
アマノの呟きに反応したのは、ぼくだった。
「また? またって、どういうことですか?」
そう捲し立てるぼくを、キノサキが視線で窘める。アマノは驚いたような顔をして、しかしすぐにまた表情を失くして言葉を続ける。
「あのとき、襲撃事件のときのことです。私は彼、ナツヒコ君が手術室に運ばれて来たときに、すぐに彼だと分かりました。なぜなら、彼が入院するきっかけになった事故でも、私が彼の処置をしたからです。その事故自体はただの滑落事故で、処置は難しくありませんでした。ただ、足の骨を折っていたし、頭を軽く打っていたので、入院が必要でした。処置をしたのは、事件の二日前です。彼は、翌日退院する予定でした」
ぼくとキノサキは黙って、アマノの話を聞いていた。
「そして夜、襲撃事件が起こり、私は再び彼の処置をすることになりました。しかし、難しさと言えば比ではない。彼は額、目、胸、腹を撃たれていました。私は胸部と腹部の傷を他の医師に任せ、脳内に残っていた弾丸を取り除く処置をしました。しかし」
アマノはそこで言葉を途切れさせた。雨音が頭上から聞こえてきた。長崎は本当に、雨の多い街だ。
「彼は死んでしまった。私たちの処置も虚しく」
遠くで雷が鳴った。ぼくは視線をアマノの横顔から、空へと移した。
「しかし私には、まだ処置が必要な患者がいました。私は必死だったのです。救える命もあった。救えない命もあった」
ぼくはアマノが何を言っているのか、分からなくなっていた。いつの、どこで、誰にとっての出来事なのか、アマノが混乱しているのではないかと思った。
アマノは喋り疲れたのか、俯いて黙ってしまった。ぼくは必死に脳のアクセルの場所を探していた。
ぼくは、そのまま暫く沈黙が続くと思っていた。しかし、顎に手を遣っていたキノサキが、俯くアマノの横顔に声を掛ける。
「それで全てではありませんね? それでは、高校3年の4月に死んだはずのホソミ・ナツヒコ君が高校を卒業した後アメリカに渡り、日本の長崎で爆破事件に撒き込まれた説明が付かない」
アマノは俯いたまま、再び話し始める。
「そう。それで全てではありません。襲撃事件の怪我人を全員処置し終えた後、私は手術室に呼ばれました。ナツヒコ君が死んだ手術室です。しかし当然、そこに彼の遺体はありませんでした。ただ、彼の処置に携わった医師、看護師が全員呼ばれているようでした。私たちが暫くそこで待っていると、知らない男と病院長、外科部長が手術室に入ってきました。そして、その知らない男がこう言ったのです。ここに運ばれたホソミ・ナツヒコ君については、処置が成功し生命を存続したこととする、と。まるで訳が分からなかった。ナツヒコ君は確かに死んだ。そのことは私が一番良く分かっている。しかし、その知らない男は、ホソミ君の処置は成功し、彼は生き永らえたと言う」
そこまで聞いたぼくの脳のエンジンに、急激に火が入るのが分かった。
「まさか」
そう呟いたぼくの方を、キノサキとアマノが一斉に見た。ぼくはアマノと目が合ってしったことに驚きながらも、言葉を続けた。
「まさか、そこで有機ビヘルタに精神を移し替えたのですか?」
キノサキが驚いたようにアマノの方を見た。アマノは口の片端だけで笑い、ぼくの言葉に頷いてみせた。
「そうらしい。冬麻記念病院は、クローニングも、有機ビヘルタに精神を格納する処置も行っている」
「しかし、それは当人の承諾があって、しかも生きている人間が一時的に行うことでしょう」
キノサキが早口でそう言った。ぼくは、ビヘルタの脳の位置にある精神格納装置の仕組みと、クローニングの技術を思い出そうとしていた。休学する前、大学の講義で学んだことがあった。ぼくは思い出すために、喋り始めることにした。
「精神格納装置は、人間の精神をコピーした後で書き込む物です。そしてその精神の信号を、ビヘルタの体へ送る変換機でもある。ペーストした後で、本体の肉体へ記憶を送信することも出来ます。しかし、事件が起きてからクローニングをし始めても、遅いのでは?」
「いや。何故かは知らないが、ナツヒコ君は、襲撃事件の前から細胞を採取され、クローンを作られていた」
「まさか。生まれたときに細胞を採取されていたのですか?」
クローンとはいえ、生物として成長すれば、18歳になるのに18年かかる。つまり18歳になってから細胞を摂取してクローニングしたのでは、18歳の体に精神を格納する頃には、本体は36歳になっている。と言ってもテロメアなどの関係で、完全に若返る訳ではない為、所謂寿命というものが伸びる訳ではない。
「分からない。私が見たのは、元気に退院するナツヒコ君の姿だった」
「精神は? まさか、脳を移し替えたのですか? いや、死人から脳を移し替えても意味は無い。それに、ナツヒコは脳、しかも前頭葉に傷を負っていた。それなら、そうか」
自分が目を見開いているのが分かった。再びアマノと目が合った。
「入院中に精神をコピーして有機ビヘルタに移し、本体もそのまま生活していたのですね? そして襲撃事件が起きて本体が死ぬと、クローンをナツヒコ本人として退院させたんだ。コピーが本物に成り代わって」
普通は、精神をコピーした人間は休眠状態になる。定期的に精神格納装置から記憶のバックアップが取られ、それは本体が覚醒するときに、脳に移植される。しかしナツヒコの場合、入院していたのは普通の入院病棟だったらしいから、本体が休眠状態だったことはありえない。
アマノ医師は、首を横に振る。
「私もそう考えた。だが、父親に聞いても生まれた頃に細胞を採取したことはないと言う」
しかしそうなると、クローン体の誕生が謎になってしまう。
「ではなぜ、18歳のクローン体が存在していたのです」
「分からない。トウマは私たち現場の医師が考えている以上にとんでもない企業だった。私は襲撃事件のあとで、あの病院を辞めたよ」
「誰か、たとえばトウマの関係者が、生まれたばかりのナツヒコの細胞を摂取した? いや、まさか……」
そう呟くぼくに、アマノは訝し気な視線を向けた。
「君、ただの記者の卵ではないね?」
驚いて体を固くしてしまうぼくの肩を、キノサキが叩く。
「たまたまホソミ・ナツヒコと歳が近いのでね、彼は感情移入してしまっているのですよ」
アマノは興味が無さそうに頷いて、「そうだったのですか」と呟いた。
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