硝煙と雨霧・1
駅前では既に、キノサキが立ってぼくを待っていた。キノサキは昨日と同じ格好をしていた。
ぼくが挨拶をしようとしていると、キノサキは「こっちだ」と言って歩き始めてしまった。ぼくは駆け足を少しだけして、その横に付く。
「何か分かったんですか?」
「いま洗い直しているところだ。第一、何か分かったからといって君に一々教えはしない。と言いたいところだが、君の友人についてのことなら、教えても構わない」
「ほんとですか」
キノサキは傘を持っていない方の手を顎に遣って、少し考えるような素振りを見せた。
「だが、今のところは何も分かっていない。君、冬麻記念病院については何か知っているか」
「トウマグループの病院だということしか知りません」
「うん。トウマといえば由緒ある、大企業の連合体だ。その創業者が寄付した金で作った病院で、基本的にトウマグループの傘下と言っていい。だが、トウマの人間しか使えない訳ではなく、一般人も受診できる社会福祉法人だそうだ」
「まさか、トウマが何か噛んでるって云うんですか」
「いや、俺の勘では、トウマにしてみれば貰い事故だったろう。あるいは」
キノサキはそこまで言うと口を閉ざしてしまった。ぼくは「あるいは?」と水を向けたけど、キノサキは首を横に振った。
「いまのところ、何も言えない」
ぼくはまだ、襲われたこともAEからログアウト出来なくなったことも、キノサキに伝えていなかった。そのせいもあってか、こちらから強く話を聞き出そうという気になれなかった。もっとも、これは生来そういう気質なのかもしれない。だからぼくは、話を切り替えることにした。
「ナツヒコがどんな怪我で入院していたか、分かりますか」
「重傷だったって話だ。死ぬような怪我ではなかったらしいが……、詳しいことは今日会う医者に聞いてくれ」
「そういえば、ナツヒコの叔父さんと会いました。ナツヒコのDNAが爆破事件の現場から見つかったらしいです」
「そうか……」
キノサキはそう言ったきり暫く黙ってしまった。なのでその間、ぼくも何も言わないでいた。
諏訪神社の参道の長い長い坂を階段で上る。階段には大きな石の鳥居が五つ離れて立てられていて、それを順にくぐっていった。ぼくもこの道を通るのは久しぶりだった。
階段を上り切って諏訪神社の大門をくぐり、すぐ左に折れる。そうすると公園に入ることが出来るのだ。公園に入る為に大門をくぐらせてもらうことは、何だか申し訳ないような気がするのだけど。
キノサキが言うには、公園内のピエール・ロチ記念碑の前で待ち合わせしているとのことだった。ぼくは、わざわざ目立たないようにしたのだろうか、と一瞬訝しんだ。ピエール・ロチ記念碑の前で待ち合わせをする人なんて、聞いたことがなかったからだ。
その白亜の記念碑の前には、まだ誰もいなかった。塔のようにも見えるその記念碑には、強い雨が降りつけていた。ぼくは何故か、長崎駅前の瓦礫のことを思い出した。
キノサキが時間を確認し、「あと10分だ」と呟いた。ぼくは、待ち合わせの10分前に到着してみせた彼の態度に関心すらした。彼に対する見識を改めようと思った。
記念碑の背後には、長崎の街が広がっている。階段を上って、高台に来ていたのだ。ぼくは景色の見える方を向いたまま、時が過ぎるのを待った。
3年前の冬麻記念病院襲撃事件と今回の長崎駅前爆破事件は、繋がっているのだろうか。
その二つを繋げるのは、ナツヒコなのか。
繋がるとしたら、どう繋がるのだろう。
ナツヒコは生きているのだろうか。
何を考えていても、そこに辿り着いてしまう。
叔父のツクバはナツヒコが死んだという知らせを聞いたという。ぼくにはまだ、そのことが信じられなかった。確かに彼の言う通り、現代の科学はそう簡単にミスをしない。けれど、簡単でないことが起これば、それはミスをし得るということではないか?
ぼくは路面電車の中で、何を思い付きそうになったのだろう。
キノサキの方を振り返った。
彼の元へ、男が傘を差して歩み寄って来ていた。
「キノサキ・ジロウさんですね?」
「はい。アマノ・コウジさんですね。この度は、ありがとうございます。よろしくお願いします」
キノサキは礼儀正しく礼をした。ぼくもその横へ行って、同じように礼をする。
「こちらは?」
アマノと呼ばれた男がぼくを手で差して、キノサキへ訊ねた。キノサキはそれを受けて、「こっちは現在修行中の身でして、私に密着しながら学んでいるところなんです」と言った。ぼくは「よろしくお願いします」とだけ言って、もう一度頭を下げた。もう少し適当なことが言えたらよかったのだけど、何も思い付かなかったのだ。
3人で傘を差したまま、横並びになって長崎の街を眺めた。キノサキの左にぼく、右にアマノが立った。厚い雲に陽の光を遮られた街は、凍えているように見えた。
キノサキがアマノに訊ねる。
「アマノさんは冬麻記念病院襲撃事件の当夜、病院にいらっしゃったということですね?」
「ええ、といっても、私がいたのは救急外来です。つまり、緊急で運ばれてきた患者さんを診るのが仕事だった。事件が起きたのは入院患者のいた方でしたから、襲撃した犯人は見ていません。私は事件で襲われた人たちを助けることに精一杯だった。助けられない命の方が多かったけど」
「でも、助かった命もあった」
「ええ、私たちも必死でした。あのときの惨状はいまでも夢に見ます。次々と瀕死の患者が運ばれてきて、私たちはその対応で、目を回していた。誰も彼もがいまにも死んでしまいそうだった。誰もを救えたら良かったのですが、それは叶わなかった」
そう言ってアマノは俯いた。しかしキノサキは質問を続ける。
「ホソミ・ナツヒコという少年がいたと思いますが、覚えていらっしゃいますか?」
アマノは驚いたようにキノサキの顔を見た。
引き攣るような表情だった。
突然のアマノの変化に、ぼくは驚いた。隣で、キノサキも驚いている様子だった。
アマノは、目を見開いたまま口元を痙攣させた。ぼくは、その顔つきに何か嫌な気配を感じた。
「何を、聞きたいのです」
アマノが必死に言葉を絞り出した。ぼくは黙っていて、キノサキは何か考えているようだった。
「いまさら、あの事件のことを調べるのには、何か理由があるのでしょう?」
「実は、例の長崎駅前爆破事件との関連を調べています」
「爆破事件と?」
「あまり情報を漏らすのは良くないのですが、特別にお教えします。爆破事件の被害者の中に、ホソミ・ナツヒコ君がいた可能性があります」
「そうですか……」
「当時高校生だったナツヒコ君は、病院襲撃事件の被害者でした。そして、深い傷を負ったはずです。そのことについて、何か知っていますね?」
キノサキは諭すようにそう言った。どちらかと言うと、尋問をする刑事みたいだ、とぼくは思った。
アマノは落としていた視線を上げてキノサキの顔を見た。キノサキの反対側にいたぼくまで、彼の視界には入っているだろう。
「ホソミ・ナツヒコ君は、爆発の被害者なんですか? キノサキさん、本当は知っているんでしょう?」
アマノがそう言い、キノサキは目だけでぼくの方を見た。ぼくは黙って軽く顎を引いた。キノサキはすぐに視線をアマノの方へ戻す。
「実のところ、彼のDNAが爆発の現場から見つかっているという情報があります」
アマノはそれを聞いて、視線を街の方へ彷徨わせた。ぼくはその横顔に、寂しさを感じた。
そしてアマノは、呻くように喉の奥から言葉を漏らした。
「彼は、また死んだのか……」
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