関連する人々の言葉・4

 献花台には大量の花束が置かれ、テントの下には雨の打ち付ける音が響いていた。ぼくは手向ける花を用意していなかったし、そこに置かれているようなジュースやお菓子の類も持っていなかった。


 長崎駅前の献花台を訪れるのは今日が初めてだったけど、これで二度目だった。さっき一度来たのだ。


 長崎駅の電車は通常通りのダイヤ編成に戻っていたけど、駅前の爆発の跡は未だ生々しく、悲惨な事件を無言で語っていた。

 ぼくはデッキの上から現場を見た後地上の事故現場に設置された献花台を訪れて、一度この場を去っていた。


 とは言っても、その辺りをずっとぐるぐると歩いていたのだ。さぞ不審だったことだろう。よく通報されなかったな、と思う。


 午後2時を過ぎた頃、再び献花台の前を訪れた。献花台の上にはテントが張られている。ぼくは傘を畳んでテントの中に入り、そこに置かれた花たちを見た。

 公式発表の死者数は事故直後から伸び続けていたけど、いまは18人でストップしていた。この時代に18人もの人が一度に死んだのだ。警察が記者会見で悪夢という言葉を繰り返し使っていたけど、まさにその通りだと思った。


 いや、ぼくはあのとき、地獄のようだと思ったのだ。

 千切れた腕が足元に転がっていたときのことを思い出す。瓦礫が散らばり、デッキが砂煙の中で崩落している光景を思い出す。


 崩れたデッキは少しずつ取り除かれているようだったけど、ぼくにあのときのことを思い出させるには、それは十分な光景だった。と言っても、この4日間忘れたことはない。本当は、この場所に近づくのも嫌なのだ。


 でも、ぼくはこの場所に用があった。いや、用があるか確かめる必要があったのだ。 


 そして、その瞬間は突然訪れた。

 献花台を前に立ち尽くすぼくの横に、男の人が立ち現れた。

 その人は花束を持っていた。

 ぼくは彼の顔を確かめてから、その花束の行方を追った。

 白い百合と菊の花束だった。

 置かないでほしい、と思った。

 しかしその花たちは、献花台へと置かれてしまう。

 男は、ホソミ・ナツヒコの叔父だった。

 彼は、悼むように目を閉じ、その場で暫く俯く。

 ぼくはその横顔を見ていた。


 ナツヒコの叔父さんは、顔を上げると横に立っていたぼくに気が付いて、「何か」と呟いた。乾いてひび割れたような声だった。ぼくは慎重に言葉を探したけど、結局「ナツヒコの叔父さんですか」と正直に訊ねた。

「君は?」

 彼は、白髪の混じった前髪が目に掛かったまま、ぼくにそう訊ねた。4年前より、ずっと老け込んだように見えた。

「ナツヒコの高校のときの友達です。マヤ・シンヤといいます。あのとき、長崎駅前で会う約束をしていたのは、僕です」

「そうか……。私は確かに、ナツヒコの叔父だよ。よく分かったね」

「一度お目に掛かったことがあります。叔父さんの家で」

「ああ、そう言えば、ナツヒコが友達を連れてうちに上がってきたことがあったな……。あれが、君か」

 ぼくは静かに頷いた。雨がテントの屋根を打つ音が大きくなってきているようだった。


「ナツヒコは、死んだよ」

 雨音の中に、彼の言葉が、鋭いナイフのように入っていった。ぼくは、足元に視線を落とした。

「警察から連絡があった。私が提出したナツヒコのDNAと一致するDNA型の遺体が、現場から見つかったらしい。遺体といっても、肉片だろうがね」

 吐き捨てるように、彼は言った。ぼくは何の反応も出来なかった。


 ナツヒコは死んだ? だったら、この数日の騒動は一体何だというのか? バーのマスターがビールを出した人間は誰だというのか?


 ぼくは足元の影を見つめていた。

「葬儀は明後日行う。もっとも、火葬するだけだがね。よかったら来てくれ。これ、私の連絡先だ」

 視界の端に『プロフィールが届きました』というメッセージと共に『ツクバ・ヒロト』という名前が届いた。ぼくは顔を上げて、何か訊くことは無いかと必死に考えた。


「ナツヒコがビヘルタで日本に来ていたということはありませんか」

「私が生身で来いと言っておいた。多分、ナツヒコは私の言いつけを守っただろう」

 ツクバ・ヒロトは寒そうに両手をすり合わせると、ぼくの目を見つめた。

「信じられないのは分かる。私も信じられない。よりによってナツヒコが、と思っている。だが、現代の科学にミスはほぼ無いよ」

 ぼくにはその一言は、すこしドライすぎるように感じられた。ツクバは掛けていた眼鏡の位置を指先で直して、両手をコートのポケットに突っ込んだ。

「ナツヒコにビヘルタをあげたのは、叔父さんですか?」

「そうだ。もっとも、彼の父親との折半だったが、ナツヒコはそのことを知らなかっただろう。私からのプレゼントだと思っていたと思うよ」


 ぼくは息を飲むように喉を動かし、ちらとツクバの顔を見て、すぐに視線を下げた。ぼくは頭の中に浮かんでいた言葉を、台本を読むようにして発した。

「カイザからのプレゼントではなく、ですか」

 ツクバは、ぼくのその一言に身を硬くした。雨の音がまた勢いを増したようだった。


「君、何を知っているんだ」

「ナツヒコのビヘルタを作っている途中で、それをカイザの人間が持っていってしまったことだけです。カイザは何をしたんですか? なぜ、ナツヒコだったんです?」

 ぼくがそう言い終らないうちにツクバは、横手の出口の方へ顔を向けた。ぼくは何か言わなければ、と思ったけど、何の言葉も口を衝かなかった。ツクバは、重そうに口を開いた。

「私は何も知らない。ただ、ナツヒコが選ばれ、そしてカイザはナツヒコに、確かにビヘルタの提供をした。そして彼は、MITに進学した。ドイツのダルムシュタット工科大学に、との声もあったらしいがね。彼の決めたことだ」

「ナツヒコは、何者なんですか」

「彼は私の甥だよ。あるいは、君の友人かもしれない。その他に、何者であり得る?」

 その問い方は卑怯だ、と思った。


 ぼくが呆然としている間にツクバは傘を広げてテントの下から出て行ってしまった。ぼくはその背中を見ながら、雨の音を聞いていた。



 音楽をランダム再生すると、シューマンの『トロイメライ』が流れてきた。やさしいピアノの旋律が雨音に溶けていくようだった。ぼくはそれを何となく聞きながら、長崎駅前のデッキの上で、雨に打たれる瓦礫の山を見ていた。上空には映像か写真を撮っているのか、ドローンが一機飛んでいた。


 ぼくは、あの爆発の前にもドローンを見ていたことを思い出した。あるいは通信障害に関係のある機体だったかもしれない。ニュースによると爆発物は地面に置かれていたらしいから、ドローンが爆発したわけではないだろう。つい最近、ドローンが爆発する様子も、すぐ近くで目撃したけど……。


 この数日間、ぼくはナツヒコの足跡を追ってきた。だけど、それは本当に正しい行いだったろうか。


 見ようとすればするほど、水面に映る影のように、彼の横顔は形を変えた。ぼくはその形を掴もうとしたけど、どうにも掴みきれずにいる。


 危険なこともあった。明らかにぼく自身が狙われていた。それも、どうやらナツヒコの関係らしい。


 ドイツの大企業カイザ。そこの人間がナツヒコと関係を持っていたという事実。

 ぼくの手に負える事態ではなくなっているのかもしれない。

 瓦礫に打ち付ける冷たい雨は段々と強くなってきている。

 寒くなってきた。


 九重重工業が途中まで作ったビヘルタを、カイザは完成させたのだろうか。確かに、データを取り直して一から作るより、作りかけの物とデータを拝借して途中から作ったほうが早いだろう。ビヘルタを提供したとうカイザ。大学への進学へすらその影がある。ナツヒコは何か実験に利用されたのだろうか?


 一番近くの階段は崩れ落ちていて、フェンスが設置されていた。ぼくは遠回りをして、別の階段から地上に下りることにした。

 しかし、階段で一歩下りようとしたまさにそのとき、突然通話を知らせる着信の通知が表示された。記者のキノサキ・ジロウからだ。人と話をしたい気分ではなかったけど、ぼくは一度立ち止まって通話ボタンを押した。

「はい」

「もしもし。元気かい」

「元気じゃないです」

「そう。ところでいまどこにいる? これからとある人物に会うんだが、君も来ないかと思ってね」

「とある人物?」

「あれからもう一度、冬麻記念病院襲撃事件を調べ直している。それで、事件当夜当直だった医師と連絡が着いた。もしかしたら、君の友人の話も聞けるかもしれない」

「行きます。いま長崎駅にいます」

「路面電車で諏訪神社前に行ってくれ。そこで落ち合って、長崎公園で話を聞く」

 分かりました、と言って通話を切った。停止されていた『トロイメライ』が再び流れ始める。ぼくは踵を返して階段を上り始めた。別の階段を使う必要があったのだ。



 諏訪神社前で停まる路面電車に乗り込んで、空いていた座席に座った。こんなとき自立型ロボットは座らないらしいけど、人間は立っているだけでも筋肉を収縮させていて、つまり力を使っている。自立型ロボットはエネルギーを使わなくても立てるから、座った後に立ち上がるエネルギーを節約するために座らない、という話だ。ところで無機型ビヘルタは殆どロボットだけど、機能を制限して一般人並にすれば普通の人間と区別はつかない。


 揺れに体を任せながらそこまで考えて、思考が飛躍し何かアイデアを掴めそうになった。なのに大きな揺れに意識が覚醒してしまい、その小さな光るイメージは、薄く広がるように消えてしまった。どうやら、うつらうつらしていたらしい。


 覚めた目でガラスに雨の流れ行く様を見つめながら、逃したアイデアを再び見つけようとしたけど、目の前には何も現れてはくれなかった。

 いつの間にか『トロイメライ』は終わり、ドビュッシーの『水の反映』が流れていた。ぼくはその夢幻的なピアノを聞きながら、再び瞼の重くなってくるのを感じていた。

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