関連する人々の言葉・3
なかなか刺激的な状況だ、と思った。そして、これほど危機的な状況も珍しい。しかし残念なことに、二日前にはもっと危機的な状況があった。もっとも、その二つは水面下で繋がっているのだろう。
「僕がもし、もう調べないと言ったら、解放してくださるのですか?」
「解放という言葉は適切ではない。私たちは君を拘束していない」
拘束しているようなものだ、と思ったけど、言わないでおくことにした。
「ぼくの言うことを、信じますか?」
「信じるよ」
「ひょっとして、
「私たちはジェントルな手段しかとらない」
ベルンハルトはテーブルの上で両手の指を組んだ。ぼくはその指を見つめながら、どうすればいいのか考えていた。
「ナツヒコのビヘルタはカイザ製だったということは、間違いないですね?」
「分からない」
「問題は、問題があるとすれば、それはナツヒコが生きているかどうかだ」
「彼は死んだと言ったはずだよ」
「ふぅん……」
AEでは、銃火器は所持出来ない。生命が脅かされることは無いし、財産も奪われ得ない設計になっているからだ。だけどこの家にだって包丁くらいあるだろうし、そもそもあの目つきと体つきを見る限り、ベルンハルトは素手でも、ぼくの体を折り畳むことが出来るだけだろう。
と言っても、AE上で死ぬことはない。痛みも上限が設定されているらしいし、データの肉体が傷つけられても、すぐに治る。
嫌な予感が閃いてしまった。痛みは上限が設定されているだけで、無い訳ではないし、肉体は治癒してしまう。もしベルンハルトに一般的な道徳心が無ければ、ぼくはログアウトも出来ず、ただ痛みを与えられ続けるのではないか。それとも、痛みを連続で感じる数に、設定があるのだろうか。
「本当に、ジェントルな手段しかとらないのですか?」
「本当だとも」
ベルンハルトがぼくの問いにそう頷いたときだった。
目の前が真っ暗になった。
家の中の電気が、突然全て消えてしまったのだ。ぼくは驚いて声を上げたけど、さらに驚いたことに、ベルンハルトはぼく以上に驚いていた。目に見える狼狽こそしなかったけど、彼はすぐに立ち上がって、「何事だ」と言った。たぶん、ぼくに言ったのではないだろう。
暗闇の中に、月明りが窓の形を切り取っていた。床に四角い形が伸びていた。ぼくはベルンハルトを見ていて、ベルンハルトは何か通信しようとしていた。
ざざっ……。
ベルンハルトの姿が突然歪んだ。
ざざざっ……。
再び大音量の
かと思うと、ブロックノイズがベルンハルトの体を蝕み、その姿は段々色彩を失っていった。
いや、ベルンハルトだけではなかった。
辺りに見えている物全てがノイズを帯びて、歪んでいった。ベルンハルトが何か言っていたけど、所々しか聞こえず、何を言っているのか分からなかった。
「……をし……あの……
やがてその声は砂嵐のようになってしまって、彼の姿は周りのノイズに吸い込まれていった。
目に映る全てが、輪郭を失い、色を失い、線状のノイズと化していく。
なんだか酔いそうだった。
ぼくは立ち上がるタイミングを逃した中腰の姿勢で、その全てをただ見ていた。驚いていたし、何をしていいのか分からなかったからだった。
「ログアウトしてください」
突然、頭の中に声が響いた。脳が壊れるかと思うほどの大音量だった。
「すいません、音量の設定をしていませんでした」今度はやや大きい程度の音量だ。「マヤさん、聞こえているでしょう? 5秒以内にログアウトしてください」
聞いたことのある声だった。ぼくは姿の見えないその誰かに向かって何度も頷き、メニューを開いてログアウトボタンを押した。
すっと意識が肉体から離れていく感覚。
ノイズの海はまだ続いていた。
視界の下端に『ログアウトしています……』とメッセージが表示される。
暗転。
瞼が開く感覚。
ぼくはヴァーチャル用のゴーグルを外した。
ぼくの家のリビングの真ん中で、アマミヤ・ミツキが座っていた。その横顔が見える。
「お帰りなさい。危なかったですね」
アマミヤは視線を真っすぐ前に向けたまま、ぼくにそう言った。落ち付いて見ると、今日は眼鏡を掛けていた。
「ああ……、君が、助けてくれたのか」
「そうです」
「ええと、ありがとう。死ぬかと思った」
「お気になさらず」
アマミヤはリビングルームのテーブルの上にタブレットを3枚並べて、その前に正座していた。横には灰色のリュックサックが置いてある。
「ええと、もしかして、それでAEにアクセスしたの?」
「そうです。いま事後工作をしています。不正にアクセスしたことが分かってはいけませんから」
「そう……。どうでもいいんだけど、どこから入ったの?」
「玄関から入りました。このマンション、家賃がお安いのではないですか? ちょっと、セキュリティが甘すぎます。私だったら、こんなところ住まないですね」
「あそう……」
アマミヤは眼鏡を外して眼鏡ケースに入れて、リュックサックにそれを仕舞った。ぼくは頭を掻きながら立ち上がって、「紅茶でも、飲む?」と言った。
「いただきます」
「うん……。砂糖とミルクは?」
「結構です」
アマミヤはタブレットもケースに入れてリュックサックに仕舞うと、肩と首を回し始めた。ぼくはキッチンに行って紅茶のティバッグを二つと魔法瓶をトレイに乗せ、リビングルームに戻った。
「エンドウという技術者ですが、彼は私の仲間が付き始めました。もっとも、彼がどうにかなるとは思っていません。念には念を、という訳です」
「無事なの?」
「ええ、記憶の一部を破損している可能性がありますが、少なくとも、技術者としてこれまでと同じように過ごすことは可能でしょう」
「記憶を破損?」
ぼくはそう言いながら、アマミヤの斜め向かいに座って、トレイをテーブルに置いた。
「相手はそのくらいしますよ。マヤさんだって、どうなっていたか分かりません」
「相手って、カイザ?」
「それは申し上げられません」
ぼくは紅茶を2杯淹れて、片方をアマミヤの前に差し出した。アマミヤは上半身だけで礼をして、それに口を付けた。
「もう少し教えてくれないか」
「外は寒いですよ。ホソミ・ナツヒコからは手を引きましょう」
「言っていることの関節が外れているよ」
ぼくがそう言うと、アマミヤはつんとぼくを睨んで、口の両端を下げた。ぼくはその鼻先を指で弾いてみようかと思ったけど、理性がそれを中止させた。
「ナツヒコは、生きているんだろうか?」
「彼はどう言っていましたか」
「彼?」
「あのドイツ人と会っていたんでしょう?」
「ああ……、あのベルンハルト・シェーファーとかいう人?」
「胡散臭い人でしょう」
「胡散臭いというか、ああいうのを殺気っていうのかな。近くにいるだけで死にそうだった。敵なの?」
「敵対しているという意味では、そう言っていいかも知れませんが、会った瞬間に殺し合いをし始めるような関係ではありませんよ」
「そう……」
アマミヤはベルンハルトを知っていることを隠そうとしなかった。もちろん、あのタイミングでぼくを助けたのだから、隠す必要は無いのだろう。
「ナツヒコの叔父さんに会ってみたい。住所を知らない?」
「知りませんよ。まったく、警護する身にもなってください」
「つまり?」
「危ないことをしないでください、という意味です」
アマミヤは紅茶をきっちりと飲み干してから、ぼくの家を後にした。と言っても、ぼくを警護しているらしいから、近くにいるのかもしれない。いや、時間によって他の誰かと交代しているのだろうか。
ぼくはカップを二つ片付けてから、薬を飲んでベッドに入った。寝る前に時計を確認すると、もう午前1時半だった。この数日、生活のリズムが少し乱れているようだ。出来るだけ早く眠りに付きたかったけど、色々なことが頭の中を巡ってしまって、結局寝付くまで1時間近く掛かった。
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