関連する人々の言葉・1

 昏い中、黄色や赤の葉は歩道を覆い隠し、大地から吹き込む風にまた1枚と散っていった。車道には所々自動車が停めてあって、ぼくはその台数を数えながら道を歩いた。


 キサナドゥは晴れていた。長崎と比べれば、雨の降る量は天と地の差だろう。見上げると、明るい星空が大きく広がっていた。郊外ともあれば、キサナドゥでも空は広い。等間隔に街灯が立って、寂しそうに道を照らしていた。歩きながら深呼吸をすると、冷たい空気が肺を満たしていった。ぼくはコートのポケットに両手を仕舞って、その道を歩いた。


 幾つかの角を曲がって、ナツヒコの家のある道に出た。誰ともすれ違わず速足でその道を進み、ナツヒコの家の入っているアパルトメントの前に辿り着く。郵便受けの前を通って、内階段を上った。

 201号室の前に、誰か立っていた。

 オレンジっぽい髪の、男だった。ぼくが背後に立ったことに気が付いたようで、道を譲るように体をその場からどけた。


 しかし、ぼくがずっとその場に留まっていたせいか、相手も段々と不審そうな態度を浮かべ出した。ぼくは言葉を探して、それから辺りを見回し、声を発した。

「ナツヒコの知り合いですか?」

「ええ、大学の友人です。あなたは?」

「僕は、高校のときの友達です。ナツヒコを訪ねたのですか?」

 男は警戒を解いたようだった。彼は両手を大きく広げ、ぼくを歓迎するようなジェスチャーをした。

「そうなのですが、ナツヒコはいないようです。この何日間か連絡が取れないので、心配になって、ここを訪れたという訳です。住所を聞いていたものですから」

「ぼくも、連絡が取れません。あなたは、アメリカでのご友人ですか? アメリカの家にも、いないのですね?」

「はい。アメリカの家にも行きましたが、いないようです。ナツヒコはお父さんの葬儀で日本に行くと言っていました。長崎が故郷のようでした」

「私は長崎に住んでいます。日本でナツヒコと会う約束をしましたが、彼は約束の場所に来ませんでした」

 そう言ってから、余計な心配をさせることになるかもしれない、と思った。案の定、男はこれ以上ないというくらい悲愴な顔をしてみせた。

「それは心配ですね。そうだ、よければ近くのカフェで情報交換をしませんか? 僕はギルバート・ニールソンといいます」

「僕は、マヤ・シンヤといいます。シンヤがファーストネームです」

「シンヤ。じゃあ、場所を変えよう」

 そう言ってギルバートは階段を下り始めた。ぼくは仕方なくその後に続く。

 

 階段を降り切ると、ギルバートは心配そうにナツヒコの話をし始めた。

「ぼくとナツヒコはMITで知り合ったんだ。彼とはすぐに仲良くなったよ」

「アメリカでも、難しい本をいつも持って歩いてるの?」

「そうなんだ。僕が何か月も掛けて読んだ本を、彼は一晩で読んでくる。とんでもない才能を持った男だよ。日本では、特別な教育を受けていたのかい?」

「いや、ごく普通の高校だよ。中学以前の話も聞いたことはあるけど、自分の勉強は自分だけでやってるようだった。ナツヒコは以前、集団で何かをやることが嫌いだと言っていた」

「そういうようなことは、こっちでも言ってるよ」

「ナツヒコは、上手くやってるの?」

「うん。僕が見たところ、問題は無いようだね。勉強は何をやってもすぐ理解して、成績はトップクラス。彼は恐らく、天才だよ。先生達も、そう言ってる」

 天才、か。

 この数日間、ぼくの中のナツヒコの横顔は、常に描き変えられ続けているような気がする。確かに難しそうな本を読んでいるな、とは思っていたけど、MITの人間に天才といわれるような人間だとは、思っていなかった。

 ホソミ・ナツヒコとは、どんな人間なのか?



 ギルバートはおしゃれなカフェを指さして、そこに入っていった。ぼく一人だったら絶対に入らないタイプの店だった。


 中に入ると、コーヒーの匂いが香って来た。明るい店内にはカウンター席とテーブル席があって、カウンターにはサイフォンが幾つか並んでいる。その向こうでは、蓄えた髭で顔の輪郭が分からなくなっているマスターがコーヒー豆を挽いていた。

 ギルバートはテーブル席に座って、対面の席をぼくに手で示した。ぼくはコートを脱いで、その席に腰掛けた。


 ウェイトレスが注文を取りに来て、ぼくとギルバートはブレンドを一杯ずつ注文した。ウェイトレスは幾つかの言葉をシステマチックに並べて、下がっていった。人間かAIか分からなかった。


 ぼくが店内に満ちるコーヒーの匂いを感じていると、腕を組んだギルバートが「実際のところ、ナツヒコはどうしてしまったんだと思う?」と、ぼくの目を見て言った。ぼくは人間に目を見られるのは苦手だったけど、初対面の相手にそれを言うのは躊躇われた。

「分からない」

 ぼくは事件のことを伝えていなかった。

「突然どこかへ行ってしまったのかもしれない。ぼくは、彼の行動は予測できない」

「そうだね。それに関しては僕も同じ意見だ。だけど、彼は友人に心配させるような人間だろうか?」

「いや、それは違う」

「そう。彼は人間との関係を築きたがらない一方で、築いた関係は大切にする人間だ。僕や、君のような友人に一言も無しでどこかへ行ってしまうなんて、考えられない」


 ぼくは、腕を組むギルバートの輪郭を目の端で何となく捉えながら、何を訊こうか考えていた。幾つか、思い付くことがあった。

「ギルバート。ところで、ナツヒコの高校時代のことはどの程度聞いてる?」

「あんまり。と言うのも、彼は過去を話すのを嫌がるんだ。僕も無理して聞こうとは思わない」

「高校時代に入院したことは聞いてない?」

「なんだって? 彼、入院したことがあったのかい? いま初めて聞いたよ」

「じゃあ、ナツヒコのビヘルタについては?」

「ああ、それなら聞いたことがある。無機型を持ってるって話だった」

「カイザ製だと言っていた?」

「いや、日本の聞いたことがないメーカだったよ。確か……」

 ギルバートは天井を仰いだ。ぼくが「九重重工業?」と言うと、ギルバートは指を鳴らした。

「そう、そんな名前だったよ。でも、どうして?」

「彼がビヘルタで日本に来たって可能性は無いかな?」

「どうだろう。お父さんの葬儀にビヘルタで行くだろうか?」

「彼は生粋の唯物論者だ。それに、外聞を気にする男じゃない」

「でも、もしご親類に生身で来いって言われたら、そうしたと思わない?」

「それは、そうだ」

 さっきのウェイトレスがカップを二つ運んできて、ぼくらは口を閉ざした。ウェイトレスはぼくとギルバートの前にそれを一つずつ置くと、一つ礼をして下がっていった。


「結局のところ、彼はどこに行ってしまったのだろう」

 ギルバートはそう言ってカップを手にすると、コーヒーの表面に息を吹きかけた。ぼくは自分の分のコーヒーを見つめていた。空調の音が店内に響いていた。ぼくはまだ聞くことがあることを思い出した。

「キサナドゥで会ったことはある?」

「ないんだ。昨日も会いに来たんだけど、いなかったし」

「じゃあ、カイザと聞いて思い付くことは?」

「ドイツの大企業ってことくらいかな」

「ナツヒコはカイザについて何か言ってなかった?」

「別に……。どうして?」

「ちょっと、気になることがあって」

 ギルバートは「そう」と呟いて、コーヒーカップに口を付けた。ぼくも釣られてコーヒーを軽く啜る。すると、まろやかな苦味が口の中に広がった。ギルバートがカップを置いて、またぼくの目を見た。

「そう言えば、長崎で爆発があったってニュースで見たよ。大丈夫だったのかい? もしかして、ナツヒコも爆発に巻き込まれたんじゃないだろうか」

「分からない。ご親類に会いたいんだけど、連絡先が分からないんだ。警察から連絡があるとすれば、長崎のご親類だろうと思ったんだけど」

「ナツヒコって、お母さんはいないらしいね」

「そうみたいだ」

「お母さんの弟、つまり彼の叔父さんとは仲が良いって言っていたよ。ビヘルタも、叔父さんに貰ったんじゃないかな」


 それから暫く沈黙が続いて、ぼくはコーヒーを飲み終わり、ギルバートもまた、コーヒーを殆ど飲み終えた。店内はほぼ無音で、ときたま他の客の談笑する声や、マスターが豆を挽く音が聞えてくる程度だった。ぼくはナツヒコ関連でまだ聞いていないことは無いかと考えた。

「長崎の実家か叔父さんの住所を聞いてない?」

「聞いていないよ」

 ギルバートは残念そうにそう言って俯いてしまう。しかしぼくは、何かの記憶が意識を掠めるのを感じていた。そういえば……。

「叔父さんか……、確か、会ったことがあるな」

「いいなあ、僕も会ってみたいよ」


 あれは高校生のときだった。高校2年の夏休みに、ナツヒコの家に行きたいと言ったら断られて、代わりに叔父さんの家に行くことになったのだ。

 ナツヒコは叔父さんの家の鍵を持っていた。それで、叔父さんはその家にいないはずだった。だけど、行ってみたら叔父さんはその家にいたのだ。叔父さんはシステムエンジニアをしていると言っていた。もう4年前もになるのか……。


 ぼくは今後の行動の予定を決め始めていた。ギルバートは難しい表情で天井を睨んで、口をへの字にしていた。


 そのとき、新着メッセージを知らせる音が聞こえて、視界の端に手紙のアイコンが表示された。

 ぼくは店内の壁に掛かっていた時計を見て、彼に声を掛けた。

「ごめん、そろそろいいかな。実は、まだ夕飯を食べていないんだ」

「何だって? 日本はもう、深夜じゃないか。大変だ、すぐに何か食べて寝なくちゃ」


 ぼくらは立ち上がって、さっきのウェイトレスを呼んだ。チェックを済ませて、店の外に出る。

「それじゃ、失礼するよ」

 ぼくがそう言うとギルバートは頷いてぼくに手を振った。ぼくはその場でログアウトせずに、自宅アクセスポイントに飛んだ。

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