継続する困惑・6
冬麻記念病院には、襲撃事件の碑が立てられていた。それは、背の丈程もある黒い岩だった。被害者の名前が彫られている訳でもなく、ただ『碑』とだけ彫られていた。
ぼくはその前に立っていた。雨は午前中に降り終わっていて、ぼくは左手に畳んだ黒い傘を持っていた。石碑は病院敷地内の芝生の上に鎮座していて、その前には誰かが置いた花束が横たわっていた。
白く大きな病院の建物から、それは切り離されているように見えた。まるで過去に囚われたくないみたいだ、と思った。振り返ると男の人が看護師に車椅子を押されて、病院に入っていくところだった。
まだ、襲撃事件とナツヒコに関係があると分かった訳ではない。ぼくは迷っていた。キサナドゥで聞き込みをすべきだろうか。キサナドゥで、ナツヒコを探すべきだろうか。
ぼくは踏ん切りが付かず、ただそこに立ち尽くしていた。空に居残っていた黒い雲は、どこかへ行ってしまったようだった。放射冷却のせいか、空気が冷えてきていた。少し、薄着だったかもしれないと思い始めていた。
もう一度碑を見つめたあと、踵を返す。すると、男の人とぶつかりそうになった。
「あっ、すみません」
ぼくが慌ててそう言うと、その男の人は軽く頭を下げて、「こちらこそ」と言った。男は、見たところ40歳手前くらいで、よれよれのジャケットをタートルネックのセーターの上に着ていた。
ぼくがその人の横を通り過ぎようとしたときだった。
「君、ご遺族の方?」
男の周りには、ぼくしかいなかった。
「えっと、違います」
「あそう……。じゃあ、何で、ずっとこの前にいたの?」
「……見てたんですか」
「いや、先客がいたんで待ってただけ」
「そうですか……、ご遺族の方なのですか?」
「違うよ」
ひょうひょうとした男だった。ぼくも大概人の顔を見て喋らないが、男の方もどこか遠くを見ながら喋っているようだった。
「あれからもう、明後日で3年8か月だ。毎月、月命日には、病院の人間が花を置いているらしい」
「じゃあ、これは病院の人が置いたんじゃないんですね」
「それは、俺」
「え?」
「俺、こういうものです」
ぼくのAR上に、男の名前と連絡先が送られてくる。キノサキ・ジロウという名前の上には『フリーライター』とある。古風な名前だ、と思った。ユリコも相当だけど。
ぼくはキノサキに自己紹介をした。
「マヤ君か。それで、マヤ君はなぜこんなところに?」
「友達が、襲撃事件に巻き込まれたかもしれないんです」
「それで、いまさら?」
「色々あったんです。キノサキさんは、どうして?」
「俺、記者をしていてね。襲撃事件についても書いたんだけど、来年の4月に向けて、下準備をしてるんだ」
「それで、ここに……」
「まだ話を聞けてない被害者とか遺族の人に会えるかもと思ってね。暇があったら来てるってわけ」
「そうだ、被害者の名前って分かりませんか」
ぼくの言葉に、キノサキは不審そうな表情を浮かべる。
「どうしていまになって、そんなことを知りたい? 多分、興味本位で聞いているわけではないんだろう?」
ぼくは一瞬迷ったあと、これまであったことをかいつまんで話すことにした。キノサキは記者らしく相槌や質問を挟みながら、ぼくの話を聞いた。
「いまの話、記事にしていいかい」
「駄目です。友達のこともありますから」
「分かってる。冗談だよ。しかし、カイザがね……」
「それで、被害者リストですけど」
「持ってはいる。が、見せる訳にはいかない。だけどまぁ、話は分かった。いまチェックして、リストにその友達の名前が無いかだけ見てみよう」
そう言うとキノサキはARを操作し始めた。ぼくは礼を言って頭を下げた。
これで何かが前進するかは分からない。けど、最悪の可能性を考えなくて済むようになるかもしれない。
「被害者リストを開いたよ。友達の名前は、ホソミ・ナツヒコで間違ってないね?」
「はい。お願いします」
「うん。被害者は、死亡者数が21名。重傷が5名だった。合計26名だ。ホソミ、ホソミと……」
「無い、ですか」
「いや……。ホソミ・ナツヒコ。当時17歳、高校生」
「はい」
「あった。ホソミ・ナツヒコ、当時17歳高校生……。いや、待て。そんなはずはない。友達の名前は本当にホソミ・ナツヒコで合っているのか? 事件の直後、間違いなく、彼と会ったと?」
「間違いありません。どうしたんですか?」
「いいかい、落ち着いて聞けよ。いまからホソミ君の欄を読み上げる。左胸部3か所、右腹部1か所、左目と額に1か所ずつ銃撃を受けている。使われたのは古い9ミリ拳銃。顔面に命中した2発の弾丸は脳の中で発見され、体に受けた3発の弾丸も体の中から見つかった」
「そんな……」
「重傷。直ちに冬麻記念病院で手術を受ける。手術は成功」
「ありえない。そんな傷、見たこともない」
「現代の医療は進歩している。外科手術の跡くらい、見て分からないくらいには、出来る」
「でも」
「うん。いくら何でも、この傷を受けた後すぐ退院して高校生活に復帰したというのは、考えにくい」
「じゃあ、やっぱり、ビヘルタで?」
「その可能性はある。俺はてっきり、この高校生は長期入院していたものと思っていた。しかし、君の話を聞いて何だかきな臭いものを感じた。この件は俺も調べてみる。君は、キサナドゥで聞き込みでもしていなさい」
「どうしてです」
「生身でやるには、危険な感触がする。ヴァーチャルなら少なくとも、肉体の心配はせずにすむ」
キノサキはそう言うとぼくの肩を叩いて、手を振って足早に去っていった。ぼくはその場に取り残されて、視界の端に表示され続けていたキノサキ・ジロウという文字をしばらく見ていた。
夕方、ベッドを背もたれにして、ブラウザで『キノサキ・ジロウ』という名前を検索した。すぐにヒットしたのは本人がやっているSNSのアカウントが幾つかで、その下にこれまで彼が書いた記事が上がってきていた。事件や事故に関して書くことが多いらしい。けれど、『プリティヴィはいかにして生まれたのか?』や、『キサナドゥは本当に現代の桃源郷か?』『日本生まれのAIの実力は?』などというものもある。最後のものを開くと、開発者モリ・サクラ博士へのインタビューも交えた、思いのほか専門的な内容だった。
日本でもトウマグループが最先端AIを開発中とのことだけど、いまさら何をやってもプリティヴィの二番煎じにしかならないだろう。『AIキクリヒメは現在目下調整中だが、モリ博士は「今後完全な知性を目指しチューリングテストのようなことをしている」と語った』とある。チューリングテストのようなこととは何だろう?
何だか、この数日間嵐のように色々なことが起こり過ぎている、と思った。
白いベッドで寝ているナツヒコの姿が目に浮かんだ。
そこを訪れる黒尽くめの3人の襲撃者。
発射される弾丸。
血飛沫を上げるナツヒコの体……。
気が付くと、ぼくは床に寝転がっていた。時計を見ると、午後7時を過ぎている。ぼくはまた夕飯を食べ損ねていることを思い出したけど、夕飯を食べる前にキサナドゥへ行こうと思い付いた。特に用がある訳ではない。単に、お腹が空いていなかったのだ。
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