継続する困惑・4
リビングルームに戻ると、ユリコからメッセージが入っていた。『AEで会わない?』というその誘いに、ぼくは乗ることにした。
ぼくは、ヴァーチャル上のユリコの家に招かれることになった。ユリコの家に行くのも、何となく久しぶりな気がした。
ぼくが家を訪ねると、ユリコはいつもの微笑でぼくを招き入れた。安心できる、いつもどおりの微笑。ユリコの家はリアルと同じように、一人暮らし向けの小さなマンションの一室だった。
ユリコの家はユリコの匂いがする。このあたり、最初のころは技術の素晴らしさに舌を巻いたものだった。でも今は、ただほっとするだけだ。
ユリコはぼくの顔を見て、眉頭を上げる。
「何かあったの?」
「何もないよ。少し、疲れているだけ」
「まだ続けているのね」
「ちょっと、沢山の人と喋り過ぎた。こんなこと、普段ならないから」
ユリコはキッチンでハーブティをカップに注ぐと、リビングルームのぼくの隣に座った。
「友達が心配なのは分かるけど、自分の心配もした方がいいわ」
「君は、心配しすぎだよ。そんなに危険なことはない」
「私は、あなたの心の心配をしているのよ」
「心、か」
実際、ぼくの心は擦り切れる寸前だった。普段こんなに連続して知らない人間と話をすることなんて、ないからだ。ぼくははっきりと、人間が苦手だった。
暖かいハーブティをゆっくりと啜った。軽やかですっきりとした香りは鼻へ抜け、体の中へ沈んでいった。
ユリコは今年22歳で、もう既に就職先も決まっている。だから人の心配をする余裕があるのだろうけど、しかしぼくだって、自分の恋人が行方不明の友人を探すと言いだしたら、心配するだろう。
部屋を満たしていたユリコの優しい匂いに、ハーブの爽やかな匂いが混ざっていく。ぼくは目を瞑り、流動する二つの気体を頭の中でイメージしながら、その二つが混ざり合う映像で頭の中を満たしていった。
暖かかった。ぼくはユリコの胸に抱かれていた。
「あなたが無理することはないわ」
ユリコの言葉が頭の中にじわりと染みていく。流れる二つの気体はその言葉にかき消され、ぼくの頭の中にはユリコの微笑だけが浮かぶ。
「ユリコ……」
「なに?」
「ごめん」
「うん」
「ぼくにはまだ、やることがあるらしい」
「うん」
「泣いているの?」
「泣いてないわ」
「そう……」
「でも、私が泣くのなら、それはあなたの為よ」
「うん……」
「あなたには私がいる。それを忘れないで」
「忘れたことなんて、ないさ」
ぼくが顔を上げると、ユリコはまた、いつもの微笑を浮かべた。ぼくはそれに微笑み返し、その唇にキスをした。ユリコは爽やかにぼくを見つめた。
「次は、何を調べるつもり?」
「ナツヒコは、高校生のときからビヘルタを使っていた。九重重工業の技術者によれば、それは高校を卒業する1年弱前、つまり高校3年の始まりのころからだった。前にも言ったけど、その頃ナツヒコは、怪我で入院している。そして、そのころにあったことと言えば、冬麻記念病院襲撃事件。その二つに関係があるのか、どうか。あるとすれば、最悪、ぼくの推測は当たってしまう」
「推測って?」
「ナツヒコは冬麻記念病院に入院していた。そこに襲撃事件が起こる。ナツヒコはそれで、大怪我を負ってしまった。現代の医療でも救えないような怪我だ。そこで誰かが、
ユリコが息飲む気配がする。ぼくは言葉を続ける。
「その誰かは、意識の無いナツヒコの脳から精神をコピーして、クローン体の頭蓋骨内の精神格納装置にそれを書き込む。有機型ビヘルタは本体に成り代わり、高校に通い始める」
ユリコは少し眉根を寄せて、
「有機型のビヘルタを作るには、本人の同意が必要なはず」
「現代の日本では、そう。だけど、いわゆる植物状態などの人間を救う為に有機ビヘルタ使うことは、真剣に議論されている」
ユリコは何も言わず、俯いてしまった。ぼくはハーブティを口に含んで、ゆっくりとそれを嚥下した。そして、思考をそのまま声に出していく。
「でも、それじゃあ、九重重工業に無機型のビヘルタを発注した意味が分からない。単純に欲しかっただけだろうか? それに、カイザがそれを横取りした理由があるはずなんだ……。何かまだ、知らない事実があるらしい」
ぼくはハーブティを飲み干した。ユリコは頭をぼくに預け、どこか中空を見つめている。
「明日、図書館で新聞と雑誌のアーカイブを見てみる。もしかしたら、病院襲撃事件の被害者の名前が載っているかもしれない」
とはいえ、それはかなり望み薄に思えた。ナツヒコは当時未成年だし、そうでなくても普通、被害者は名前が出ない。
「私も手伝おうか?」
「いや、君を巻き込む訳にいかない」
「やっぱり、危険だと、自分でも思っているのね」
「そんなこと、ないけど」
「じゃあ、どうして、私を巻き込む訳にいかないのよ」
「その鋭さは、いまは仕舞っておいてくれ」
「本当に、気を付けてよ?」
「分かっているさ。俺には、君がいるんだものな」
「そういうこと」
ぼくはユリコの柔らかな髪を何回か撫でて、明日のことを考えた。もう片方の手はぼくの腿の上で、ユリコと繋いでいた。
ユリコはぼくに体重を預けていて、ぼくは白い病室のベッドの上で動かないナツヒコの姿を夢想していた。
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