継続する困惑・3
ぼくは雨の中を歩いた。所々に水たまりが出来ていたけど、それを避けることも出来なかった。
ぼくの知らない、ナツヒコの横顔が見えてきている。けどその輪郭は、まるで水面に移る虚像のように揺らいで、捉えどころのないものに思えた。掴むことが出来ると思って手を伸ばしても、まるで感触を得ることが出来ない。
気が付くと自宅マンションの前に辿り着いていた。頭の中は混乱し続けていた。
視線は落ち、思考もまとまらない。今日はもう、さっさとシャワーを浴びて寝てしまおうと、ただ思っていた。
だから、自分の部屋の前に人が立っていることに気が付かなかった。
「マヤさん」
視線を上げると、濡れた傘を片手に下げたアマミヤが立っていた。アマミヤは、昨日と同じ格好をしていた。
「君、本当にぼくを監視してるの?」
「もうあの男を追うのは止めてください」
「あの男って?」
ぼくがそう訊くとアマミヤはどこかぼくの背後に視線を彷徨わせて、一瞬間を作った。
「ホソミ・ナツヒコです」
「ああ、やっぱり、ナツヒコが関係しているのか」
「あなたには、そのことは知らせない予定でした。でも、とあるお人からの言伝なのです。繰り返しますよ。もうあの男を追うのは止めてください」
「とあるお人って? 君は何者なの? ナツヒコは、一体何者なのかな」
「言ったでしょう。私はとある情報局の工作員です。ホソミ・ナツヒコについては、あなたは知らなくていいことです」
「知らなくていいだって? ぼくは、ナツヒコの……」
「友達、ですか?」
ぼくの頭の中に、さっきのエンドウとの会話がリフレインする。ナツヒコは、高校生のときからビヘルタを使っていた。けど、それをぼくには黙っていた。
何か、黙っていなければならないようなことが、あったのだろうか?
「私の任務は、あなたの警護です。あなたが襲撃されるようなことがあれば、必ず守ります。しかし、それはあくまで、私が任務、つまり仕事でやっていることだということを忘れないでください。つまり、最終的に自分を守れるのは、自分だけだということです」
「分かってるさ、そのくらい」
ぼくはそう言い捨てた。大人げないとは、自分でも思っていた。
「では、部屋に入って下さい」
アマミヤはそう言って、ぼくに道を譲った。ぼくは彼女の横を通り抜けて、玄関のロックを開けた。
「一つ、聞いてもいい?」
「何ですか?」
「ナツヒコは、生きているのかな?」
「知りません。私はただ、あなたを警護するように言われているだけです」
ぼくはドアをくぐり、それを閉めた。オートロックが閉まったことを知らせる機械音が背後から聞こえて、ぼくは雨に濡れた服を一枚ずつ脱いでいった。
服を全て洗濯機に突っ込み、バスルームに入った。シャワーから温かいお湯を浴びて、顔を洗う。
ナツヒコは生きているのだろうか?
この二日間、幾度と無く自分の中に反響し続けた疑問だった。
改めて考えてみる。
ナツヒコは生ているのか……。
エンドウは、ナツヒコは有機型のビヘルタで九重重工業に来たと言っていた。さらに、無機型のビヘルタを注文していったとも。
そして、その無機型のビヘルタは、制作途中でカイザに持っていかれてしまった。
ナツヒコは、いつ有機ビヘルタに精神を格納したのか。ぼくは、それはアメリカに渡る直前だと思った。けれど、いまは有機型は持っていないと、あのときキサナドゥのバーで、本人が言っていた。
ぼくが高校生のときに会っていたのは、一緒に時間を過ごしたのは、人間だったのか?
分からない。
頭からお湯を浴びていると、この二日間見聞きした情報が、土砂降りの雨のように意識の中を落ちていった。
情報が、記憶が、頭から抜け落ちていくようだった。
ぼくはそれを掬おうともせず、ただ落ちるに任せていた。
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