継続する困惑・1

 散々な目に合った。


 ぼくは家に帰ってまず温かいシャワーを浴びて、全身をくまなく洗った。埃まみれになっていたからだった。


 アマミヤは結局、情報局とやらの正体を明かさなかったし、ぼくを狙ったという連中の実体も教えてはくれなかった。


 リビングルームに戻ったころには既に0時を過ぎていた。結局夕飯は食べ損ねていたけど、とても何かを食べようという気にはなれなかった。


 ぼくはアーモンドミルクの入ったカップをテーブルに置いて、ベッドの前の床に座った。VR用のゴーグルを手に取ったけど、何となく気乗りしなかった。

 それに、今日は夕方に一度、キサナドゥには行っている。そう言えば、あのバーの店名をまだ知らなかった。今度キサナドゥに行ったときに確かめてもいいかもしれない。


 ぼくはベッドにゴーグルを置いて、AR上にブラウザを開き、検索バーに『九重重工業』と打ち込んだ。

 検索結果の一番上に表示されたサイトを開くと、九重重工業の公式サイトだった。製品ラインナップやニュースなどのメニューの他、新型ビヘルタの写真などが表示された。


 ナツヒコは九重重工業製のビヘルタを貰ったと言っていた。誰から貰ったかは分からないけど、あるいはナツヒコのビヘルタが事件に関わっている可能性もあるのではと思った。

 ナツヒコは生ているのだろうか。

 ぼくはベッドに頭を預け、天井を見上げた。

 バーのマスターはナツヒコを見たと言っていた。その周辺で目撃情報を集めてみようかとも思った。聞き込みという訳だ。しかし、組織力も権力もないぼく一人で、どの程度の情報が集るのか、とも思えた。


 キサナドゥで見た風景が頭を過った。

 行き交う様々な人種の人々。

 競い合うように並び立つ高層ビル。

 蛍光色の看板。

 広大な平野。

 全てを見下ろす月。

 バーでビールを飲むナツヒコの横顔。

 用があると言って去っていく後ろ姿。


 何となく、眠くなってきた。

 今日は色々なことがあり過ぎた。

 疲れた、と思った。

 ぼくは、なぜ襲われたのだろう?

 ナツヒコのことを追っているからだろうか?

 襲われなければならないような、何かがあるのかも知れない。

 ナツヒコは、何かに巻き込まれていたのだろうか。

 巻き込まれているのは、ぼくかも知れない。

 意識が遠退いていく。

 眠りに落ちそうになったそのとき、一つのアイデアが頭を掠めた。

 ぼくはゴーグルを付けて、AEにアクセスした。



 ヴァーチャル上の自宅で目を覚ますと、すぐに視界の端のメニューからユーザー検索画面を開いて、『九重重工業』と打ち込んで検索をかけた。

 ヒット件数は3件だった。それは、自分のバイオグラフィ欄に『九重重工業』と書いている人間が、AE上に3人いるということだった。


 片っ端から自己紹介欄をチェックする。一番上に表示された人は、『九重重工業在勤。技術者。長崎市』と書いていた。近所かもしれない。ぼくはその人あてにメッセージを出した。全てのことを正直に書いたけど、ナツヒコの名前は書かなかった。まだ知らない相手に教えるのは、気が引けたからだった。


 思い付いたことがあって、急いでメッセージ送信完了のダイアログを閉じ、視界の中にブラウザを立ち上げた。『九重重工業』と打ち込んで検索する。さっき見た公式サイトを開き、本社所在地をさらに開く。長崎市とあった。予想通りだった。

 サイト内をくまなく見て店舗一覧を探すも、それは見つからない。要するに、九重重工業は、長崎市にある本社しかないということだ。

 つまり、どういうことだろう?


 ぼくは、ナツヒコがビヘルタを持っていることを知らなかった。高校時代は持っていなかったのだ。だからてっきり、アメリカに行ってから、アメリカでビヘルタを貰ったのだと思っていた。いや、進学祝いなら、あるいは長崎にいたころに貰ったのかもしれない。しかし要するに、ナツヒコがビヘルタを手に入れたのは、恐らく大学に進学する前ということになるだろう。長崎に住んでいる人間が長崎でビヘルタを購入後アメリカに送ったというのは? いや、ビヘルタを作るのには本人の了承、詳細なデータが必要だ。それはないだろう。長崎の九重重工業でビヘルタを買った何者かがナツヒコにそれをプレゼントしたのなら、何か可能性があるように思えた。


 電子音が鳴って、メッセージの新着をぼくに知らせた。ぼくはブラウザを閉じて、メッセージを開いた。エンドウ・マモルというユーザーからだった。先ほどメッセージを送った相手だった。

『はじめまして。エンドウです。突然のことで驚きました。爆発のことは僕もニュースで見ました。ご友人が行方不明とのことで、心中お察しします。しかし、申し訳ありませんが、顧客の個人情報ですので、簡単にお教えすることは出来ません。どうか分かってください』

 ぼくは溜息を吐いた。思った通りの内容だった。もう一度エンドウのバイオグラフィを開いて、そこに表示された本人と思しき写真を見る。どこか山の中でキャンプをしている笑顔の写真。顔ははっきりと写っていた。


 自己紹介欄に『九重重工業』と書いていた後の二人のうち、別の一人も九重重工業で働いているらしい男性だった。ぼくはその人にもメッセージを出したけど、返信はなかった。もう一人はかつて九重重工業で働いていたらしい人だったけど、年齢から見てナツヒコのことを知っている可能性は低そうだったので、メッセージは出さないでおいた。



 ぼくはAEからログアウトして、ゴーグルを外した。アーモンドミルクを一口啜って時計を見ると、深夜1時を過ぎていた。ぼくは医者に「遅くても0時までには寝るように」と言われていることを思い出して、処方された薬を残ったアーモンドミルクで飲み下し、部屋の明かりを消した。

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