事象の推移・6
屋上の階段室に繋がる扉が開いた。誰かが立っている。その誰かは、建屋内から屋上へと一歩外に踏み出してくる。体は地球人類の平均より二回りほど大きいようだった。男らしい。夜の闇の中でも、頭はスキンヘッドらしいと分かった。
男は、右手に何か、大きなものを持っていた。僅かに見えるシルエットからして、考えたくはないけど、所謂アサルトライフルとか、そういう物だろうと思えた。
ぼくはドアから死角になっているところ、エレベータの機械室の陰に隠れていて、その男の出方を伺っていた。階段室と機械室は、ちょうど屋上の対角線上にあった。
直線距離にして約50メートル。
息を殺して、相手の動きを盗み見ていた。
男は腕を動かして、空を切るような動作をした。AR上で何か操作したのだろう。目のカメラを切り替えたのかもしれない。
足取りは非常にゆっくりとして、重さを感じさせるものだった。
無機型のビヘルタだろうか。アマミヤの言っていた全身兵器人間かもしれない。
チャンスはある。
一度だけ。
心臓が高鳴った。
首の動脈が太く脈動していた。
風は冷たいのに、全身から汗が噴き出した。
汗で手が滑りそうになる。
その手は、灰色の円筒状の物を握っていた。
グレネードとか言うらしい。
相手の動きを目に映す。
全身兵器と言っても、バッテリィやモーター、冷却装置に精神格納装置など、入れなければいけない物はたくさんある。装甲も必要だろう。
肩が震え始めた。
重そうな一歩がまた踏み出される。男は、真っすぐにこちらに歩いて来ている。
気づかれているのか?
恐がることはない、と自分に言い聞かせた。
頭の中でカウントを始める。
5……。
4……。
男は屋上の対角線の、ちょうど半分を通り過ぎた。
3……。
2……。
月が雲に隠れた。大きな影が出来て、屋上をさらに暗くした。
1……。
ゼロ!
「今だ」
ぼくはそう呟いた。
僅かな間も置かず、階段室から人の影が飛び出してきた。
しかし男はそれに対して、何の反応も見せなかった。
気が付いていないのだろうか?
男は歩みを止めない。
汗が額を流れて、目に入った。
作戦は失敗だった。
ぼくは咄嗟に、死角に隠れた。いまや、男はすぐそこに来ている。
ぼくは覚悟を決めて手の中のグレネードからピンを抜き、片手だけを死角から露出させ、それを機械室の影から男の方へ投げつけた。すぐに反対側に飛び退いて蹲り、耳を塞いで首を竦める。
しかし、予想していた衝撃はやって来なかった。
静寂。
何も起こらなかった。
3秒数えて意思を固め、頭を上げて背後を振り返る。
暗闇の中に薄く、白い靄がかかっていた。
それだけだった。
誰もそこにはいなかった。
ぼくは立ち上がって薄い靄の中を進み、機械室の陰から男がいた方を、覗くように見遣った。
濃い靄の中で、男はこちらを向いて、立ち尽くしていた。
紺色の闇の中に漂う白い靄。
その中でただ黙って立っている大男。
異様な光景だった。
ぼくがじっと陰から見ていると、不意に男は、両脚の膝を付いた。
靄の中、男は
「生きていますか?」
アマミヤの声だった。ぼくは靄の中に入って、男の倒れている横を全力で駆け抜けた。するとすぐに、靄の外に出ることが出来た。
靄は、ほんの一部にしか出ていなかった。
アマミヤがこちらに駆けて来ていた。ぼくらは屋上の中央付近で落ち合う。
「よかった。生きていますね」
「よかった、じゃない。あれは、何?」
「発煙弾ですよ」
「グレネードじゃなかったの?」
「グレネードの一種です」
「騙したの?」
「素人には、見分けがつかないと思いました」
ぼくの立てた作戦はこうだ。
まず、刺客が5階を通り過ぎるのを、アマミヤが5階でやり過ごす。刺客が屋上へ行ったら、アマミヤは再度屋上へ出る階段室に戻り、待機。そして、男が屋上中央に立ったら、ぼくがアマミヤに合図を送る。するとアマミヤが、階段室から屋上へ出て、男の意識を分散させる。その隙を突いて、ぼくがグレネードを投げて、男は戦闘不能になる。
「騙したと言えば、そうですけど」
「死ぬかと思った」
「生きてるのだから、いいじゃないですか」
アマミヤは拳銃を持ったまま腰に手を遣って、ぼくを睨むような目つきになった。
「大体、情報局員でもないあなたの立てた作戦に、私が従うと思いますか?」
格好悪いことこの上ない。夜が暗くて助かった。明るかったら赤面していることが、ばれていただろう。
「つまり、どういうこと?」
「私は、あの男と戦うのは初めてでした。装甲が厚いのは外見から判断出来ましたから、どんな特徴、弱点があるのか知る必要があったのです。まず、私は階段室から分かりやすく屋上に出ました。しかし、男は何の反応も見せませんでした。気が付かない筈ないのに、です。よって、私は男が後頭部にも高感度カメラを搭載していると予想しました。そして、マヤさんに渡していたのは、さっき言った通り発煙弾です。マヤさんがあれを投げるかは分かりませんでしたが、どちらにせよ私の立てた作戦は変わりませんでした。その作戦というのは、あの大男があなたに意識を集中しているうちに、後頭部のカメラを撃ち抜くというものでした」
普通、ビヘルタの精神格納装置は頭の中にある。人間でいう脳の位置で、ビヘルタであっても、そこが弱点であることに変わりはない。
「50メートル近くあったよ。それに、発煙弾で煙もあった」
「私は体を改造していますし、あの程度の距離で対象が直線運動をしていれば、まず間違いなく命中させられます。煙は確かにありましたが、簡単な予測演算なら出来ますし、カメラのレンズの直径は1センチ程度でしたから、拳銃の弾なら撃ち抜けます。実際、私は連続して二度命中させました」
「二度?」
「あの大男が崩れ落ちたでしょう。それは私が銃創の奥に弾丸で衝撃を加えたからです。つまり、頭の中に残った弾丸を、弾丸で押し込んだという訳です。あの男の敗因は、私を甘く見たことでしょうね。そう言えば、1階で、一人粉々になっていました。無機型のビヘルタみたいでしたけど、トラップが功を奏したようです。それに、相手のチームワークが悪いことも分かっていました」
「どうして?」
「挟撃されたときに、片方が発砲したじゃないですか。普通あの配置なら発砲しません。仲間に当たるかもしれませんから」
「まったく……」
ぼくがそう言うと、どこかからサイレンの音が聞こえてきた。警察車両のものだった。
「早く逃げましょう」
アマミヤがそう言って、ぼくの腕を引っ張った。ぼくらはまた闇の中を走り出した。
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