事象の推移・4

 長崎にしては珍しく、晴天が続いていた。

 ぼくは夕食をまだ食べていないことを思い出して、深夜の街灯の下を歩いていた。買い置きが何も無かったのだ。


 雲の少ない住宅街の上空に、ドローンが一機浮かんでいるのが見えた。ただ、紺色で、空に溶け込んで見えにくかった。警察か自衛隊の機体かも知れない、と思った。でもそれにしては、やや飛行高度が低いようにも思えた。


 十字路を左に曲がって直線の道に入ると、コンビニエンスストアが常夜灯のように煌々と明かりを灯しているのが見えた。ぼくは頭を空っぽにして、そこを目指して歩いていた。


 何か、音が聞こえるな、と思った。

 低い唸り声のような音。

 蜂の羽音のような音。

 上空から、それらは近づいて来た。

 ぼくは空を見上げた。

 さっきのドローンが、正面の上空から迫って来ていた。

 音は、モーターとローターの音だったのだ。

 しかしその音は、何かが張り裂けるような音に遮られる。

 突然、圧力が体全体に伝わってくる感触。

 空気が膨張し、波が発生していると反射的に理解した。

 ああ、またか、と思った。

 透き通るような墨色の夜空に、真っ赤な火球が爆ぜた。

 衝撃。

 爆音。

 ぼくは気が付くと、尻もちを付いていた。


 何かの破片が辺りに散らばった。

 頭が真っ白になった。

 しかし、ぼくの困惑と地上の闇を破るように、誰かが駆けて、近づいて来た。

「何やってるんですか、早く立って下さい!」

 声は女性のものだった。彼女は目の前までやって来て、街路灯の下でぼくを見下ろした。黒いパーカーの上に黒いジャケットを羽織り、黒いジーンズを穿いている。髪は短く左サイドを刈り上げたツーブロックで、やや目つきがきつい。露出した左耳に銀色の小さなピアスが輝いていた。知らない顔だ。


 彼女は戸惑うぼくの腕を取り無理矢理立ち上がらせて、引っ張って駆け出そうとした。

「えっと、ちょっと、待って」

「待ちません!」

「君は、誰?」

「そんなことは後です。ほら、立って下さい!」

 ぼくは既に立ち上がらされていて、彼女に背中を押され、いま来た道を走り始めた。

「いまの爆発は、何?」

「ドローンがあなたを銃撃しようとしていたので、落としました」

「銃撃? 落としたって、君が?」

 ぼくらは十字路をぼくの家と反対方向に折れて、すぐにその場にしゃがみ込んだ。


 ぼくは息を切らしていた。

「これって、ひょっとして、穏やかじゃない場面かな」

「あなたは短機関銃で蜂の巣にされかけれたんですよ。穏やかじゃないどころじゃありません」

「待ってくれ、色々聞きたいけど、君、誰?」

「ええと、いまは……、アマミヤ・ミツキといいます」

「へえ……、アマミヤさんね……」

「あなたは、マヤ・シンヤさんですね?」

「そう。何で、知ってるの?」

 アマミヤはぼくの言ったことに反応せず、空に視線を彷徨わせていた。ぼくも釣られて空を見るけど、辺りには何も無い。どこかと通信しているのだろう。

「走れますか」

「うん、少しなら」

「500メートルくらい離れたところに、車が停めてあります。そこまで全速力で走ってください」

「いや、そんなに走れないよ」

「よーい、スタート!」

「え、ちょっと」

 アマミヤは再度ぼくを無理矢理立たせて、背中を押した。人間を立ち上がらせる訓練でも受けたのだろうか。ぼくは整っていなかった息を弾ませて、再び走り始めた。


 ぼくの隣でアマミヤは、息を全く乱していなかった。時折後ろを振り返っては、ぼくに「次の角を右」とか、「もっと速く走れないんですか」とか声を掛けた。


 辺りは夜闇の降りかかる住宅街だったし、誰かがさっきの爆発を通報しているかも知れないと、ぼくは考えていた。それにしても、長崎にこんなに坂が多いことを呪ったことは、生まれて初めてだった。


 使われていないビルを右に折れるとすぐにアマミヤは大きく舌打ちをして、ぼくの腕を引っ張った。

「こっちです」

 アマミヤは、いま来た道を引き返して、墓地の多い方へ駆け出す。ぼくも振り回されるようにそちらへ向きを変えた。


 不意に、何かが空を切る音が聞こえた。アマミヤの足が止まる。ぼくは慣性で転びそうになった。

 アマミヤがまた舌打ちをした。

「撃ってきましたね」

「撃ってきたって、まさか」

「銃撃してきたという意味です」

「何も見えなかったよ」

「私には見えるんです」

「銃声は?」

「サイレンサーを付けてるんでしょう」

「どっちから、撃って来たの?」

「正面です。仕方ない。あのビルに隠れます」

 十字路に面して立つビルを指さして、アマミヤはぼくの腕を引っ張った。ぼくはなされるがままになり、足を何とか動かした。


 いまは使われていないそのビルの脇には、幅1メートルほどの細い道があった。裏口に通じているかも知れないとアマミヤが言い、ぼくは彼女に必死についていった。

 裏道は、表より遥かに暗かった。ビルは右手に建っていて、数えると5階建てだった。左手はグリーンの金網のフェンスを挟んで3階建てのマンションで、明かりは付いていなかった。住人が全員寝静まったか、誰も住んでいないのかのどちらかだろうと思った。

「ありました」

 アマミヤが目の前で急に立ち止まった。

「施錠してあります」

「入れない?」

 アマミヤは黒いスニーカーを履いた足でドアを蹴破ろうとするけど、鉄扉はびくともしなかった。

「仕方ない」

 そう言うとアマミヤは、ジャケットの内側に右手を入れる。取り出したのは、黒い自動式拳銃だった。反対側のジャケットの内側からも細長い円柱状の物を取り出し、それを拳銃の先に取り付ける。サイレンサーというやつだろう。ぼくは拳銃もサイレンサーも、実物を見るのは初めてだった。

「物騒な物持ってるんだね」

「言ってる場合ですか。鍵を破壊しますよ」

 ドアを見るといまどき珍しいシリンダー錠で、アマミヤは何の躊躇いも見せずにそれに発砲した。静電気が通電するような一瞬の音と甲高い金属音が連続し、ドアノブは内側に落下していった。


 アマミヤはジャケットのポケットから小型のライトを取り出し明かりを付け、姿勢を低くして建屋内を確認する。

「異常無しです。入りましょう」

 ぼくはアマミヤの後に続いて、音を立てないようにビルの中に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る