一連の事象の発端・5
通信障害が発生しているとアプリからメッセージが表示された。
前に並んでいる人も、首を傾げていた。
もう一度同じ文言を送信してみようと試みるけど、再び通信障害のメッセージが表示された。
同じアプリで通話しようとしてみても、呼び出し音は聞こえるのに、すぐに通信障害を知らせる人工音声のメッセージが聞こえた。
通話を切り、アプリを閉じて通信状況を見ると、確かにアンテナのアイコンの前にバツ印が表示されていた。珍しいこともあるものだ。
首を捻っていると、外に出ていた店員がぼくに近づいて来た。
「注文をお先にお取りしていますが、どうなさいますか?」
「えっと、普通のホットドッグを一つ……、いえ、二つ。ところで、どうかしたのですか? 通信障害と、何か関係が?」
「ネットが落ちてるみたいで、レジが使えないんです」
店員が軽く頭を下げた、そのときだった。
駅のある方から、鋭い衝撃波が一瞬で街中を吹き抜けた。
体が宙を浮く。
鼓膜を破るような破裂音。
アスファルトの上に土煙が舞い上がる。
小さな何かが高速で飛翔する、空気を裂く音。
体は突風に流された後、地面に叩きつけられた。受け身も取れず崩れ落ちた後、反射的に丸くなって、両手で頭を守る格好をした。体の周りを大量の空気が高速で吹き抜けていった。
何も考えられなかった。
意識のリソースが目減りしていく感覚。
5秒ほどそのままじっとしていると、爆風は止み、小石は飛んでこなくなった。
その体勢のままで自分の体をチェックした。反射的に分かるような大きな怪我は無いようだった。肌を露出していなかったことが幸いしたのか、擦り傷もない。奇跡的に無傷だった。
何も飛んでこないことを確認して、恐る恐る立ち上がって背後を振り返ると、長崎駅はダークブラウンの煙に取り囲まれていた。煙は上空に舞い上がって、雲のようになっている。駅舎はまるで見えなかったけど、デッキの一部が崩れ落ちているのが僅かに視認できた。
辺りはまるで大きな箒で掃いたみたいに、建造物以外の物は殆どひっくり返って、位置をずらしていた。
元のままの物は、一つもなかった。窓ガラスは割れて、移動販売車はひっくり返り、注文を取っていた女性店員はぼくよりも少し吹き飛ばされて、頭から血を流して倒れていた。
ぼくはその女性店員に近づいて傍に屈み、息を確認した。呼吸はしていたけど、頭を打っているので無暗に触れなかった。
「大丈夫ですか? 意識はありますか?」
「ううん……、何が……」
「長崎駅で爆発があったようです。テロかもしれません。頭を打っているようですから、あまり動かないで下さい。体は、本体ですか?」
「いいえ……、ビヘルタです。ご心配お掛けしました」
ビヘルタならどうなってもいいということもないけど、本体の肉体でないなら少しは安心かもしれない。ぼくは女性をその場に寝かせたまま、通信障害が解決していないか確認しようとした。
けれど、ARCLがずれて、目に違和感があった。埃かゴミが入ったのかも知れない。目を擦らないうちにARCLを目から外すと、ずっと流れていた『大聖堂』が消えていった。焦っていたせいか、音楽を聴いていることすら分からなくなっていたのだ。ぼくは呼吸を沈めるために大きく息を吐き出し、これからすべきことを考えた。ARCLを携帯用のコンタクト入れに仕舞い、代わりに鞄からAR眼鏡を出して、それを掛けた。
通信状況を示すアンテナのアイコンを見ると、通信障害は回復しているようだった。メッセージアプリを立ち上げ、ナツヒコとの通話を試みる。
ナツヒコは通話に出なかった。
ぼくはもう一度辺りを見回してから、駅の方に向かって歩き始めた。辺りには何人もの人がその場に倒れたり、座り込んだりしていた。いずれもどこかを押さえていたり、血を流していたりしていた。
長崎駅前のデッキは一部が完全に崩れ落ちていた。駅ビルがまだ立っているのが奇跡に思えた。辺り一面には瓦礫やガラスが飛び散っていた。タクシーやバスは横倒しになったり、ひっくり返ったりしていた。
ぼくは周りを警戒しながら、ナツヒコの姿を探した。もう一度通話しようとしたけど、やはりナツヒコは出なかった。『生きているか?』とメッセージを送り、爆心地に向かおうとしたけど、瓦礫が多くて、とても近づける状態ではなかった。
遠くからサイレンが聞こえてきた。パトカーのものと、消防車のものと、救急車のものがあった。そのうちに、救急用のヘリも飛んでくるだろうと思った。
足元に、何かが落ちていた。ぼくは立ち止まって、それを見た。黒い斑模様の細長い何かだった。よく見ると、どうやら、人の腕らしかった。肘の辺りで千切れていて、衣服の類は見られなかった。
地獄のようだ、と思った。
誰かが死んだときの、寺で葬式をしたときの記憶が急流のように意識の中に流れ込んできた。10年以上前の記憶だ。住職の読経するお堂の中に、地獄を描いた絵があった。血の池や針山の地獄。
それに似ている、と思った。
また歩き出そうとすると、新着メッセージを受信したことを示すアイコンが、視界の上端に表示された。開くと、ユリコからだ。『長崎駅で爆発だって。大丈夫?』とある。ぼくは『駅の近くにはいたけど、無傷だった』と返信をした。
辺りをもう一度見回した。肉片も少しあった。小さな軽いものは、もっと遠くまで吹き飛ばされたのかもしれない。近くには、誰かのビヘルタだったと思しき機械の欠片も散らばっていた。ビヘルタは保険が効くのだろうか、そもそも何保険だろう、と思った。どうやら、感覚が麻痺しているらしい。
サイレンの音は近づいてきて、すぐ近くで止まった。幾つかの悲鳴と怒号がようやく聞こえ始め、ぼくは救急隊員に話しかけられるまでずっと、そこに立ち尽くしていた。
自宅に帰ることが出来たのは、夕日が落ち切った頃だった。ぼくはすぐにヴァーチャル用のゴーグルを掛けて、AEにアクセスした。友達一覧からナツヒコの名前を探して、メッセージを送る。
『頼むから返信してくれないか。生きていると信じている』
信じているとは、おかしな表現だな、と思った。信じたからと言って事実が変わる訳ではない。
ぼくはキサナドゥ郊外の住宅街のアクセスポイントに飛んで、昨日貰ったメッセージを開いた。そこにある住所を頼りに、アパルトメントを探した。
色づいた銀杏の木の並ぶ通りに、3階建ての建物があった。黄色い壁の、どうやらその2階の201号室にナツヒコは間借りしていたらしかった。
ぼくは郵便受けの脇を通って、階段を上り、2階で201号室を探した。通りから見て右側の部屋が、どうやらその部屋らしかった。表札のようなシステムは、ここには無かった。
インターホンがあったので、それを押した。チャイムの音が部屋の中から聞こえる。5秒待って、再度インターホンを押した。やはり反応はない。
新着メッセ―ジが無いか確認すると、ユリコからメッセージが届いていた。どうやらユリコもAEにいるらしい。ぼくはもう一度インターホンを鳴らし、10秒待ってからその場を後にした。
ユリコとはAEの長崎で会うことになった。お互い実際に長崎市内に住んでいるのに、直接会うよりAE上で会うことの方が、何倍も多い。
「それで、その、ナツヒコくんとは連絡出来たの?」
「いいや、まだ」
ぼくらは夜景の見える、丘の上の公園に来ていた。長崎市は長崎湾を中心にすり鉢状になっているから、夜景の見える場所は多い。ぼくの家からは、見えないけど。
「それで、どうするの?」
「どうしようかな……」
実際、どうするかは悩ましいところだ。警察に話を聞かれたときは、待ち合わせをした友人があそこにいたかも知れないとだけ話したけど、実際ナツヒコがあの爆発に巻き込まれたかは不明なのだ。
メディアはあの爆発を、通信障害とも関連付けて大々的に報じたけど、詳しいことは一切分かっていないようだった。テロ組織や特定の組織、人物から犯行声明が出されることもなく、警察の捜査状況も分からないまま、半日が過ぎていた。
「ナツヒコの親類が長崎にいるらしい。それに、滞在先のホテルも聞いてる。メッセージに返信はないけど、どこかで生きていると思うしかない」
「そう……」
夜の冷たい空気がぼくの頬を冷やしていった。ぼくは肩に掛かるユリコの頭の重さを感じながら、長崎の夜景に中にナツヒコの姿を探そうとしていた。
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