一連の事象の発端・3
ぼくがグラスを半分ほど空けたころ、出入り口のドアが開く音が聞こえた。何となく横目でそちらを見ると、背の高い男が一人入店してきた。
ラフなシャツの上に紺色のジャケットを羽織ったその男は、店内を眺めた後ぼくの二つ隣のスツールに腰かけて、マスターにビールを注文した。その頃になってぼくは、男の顔に見覚えがあることに気が付いた。男の立ち姿というかシルエットというか、姿勢にも見覚えがある。
始めに話し掛けたのは、向こうだった。
「もしかして……、マヤじゃないか?」
ぼくは脳細胞が急発進するのを感じながら、どこかに行きかけていた意識に鞭を入れる。相手の顔を正面から見て、蘇る記憶を捉えた。
「ナツヒコか?」
「ああ、やっぱりそうだ、マヤ・シンヤだろう? 久しぶりだな」
男――ホソミ・ナツヒコは弾けるように笑顔になった。やや短く後ろに流す髪型、やや垂れた目尻。高校の卒業式の日以来会っていなかったけど、何一つ変わっていなかった。
「久しぶり」
ぼくは意識的に口角を上げ笑顔を作った。ホソミはぼくの隣のスツールに移動し、ぼくの肩を軽く叩いた。ぼくはその動作に少しだけ驚いたけど、それがホソミの親しい人間との接し方であることをすぐに思い出した。
「こんなところで会うなんて、意外だ」ぼくは思ったことを口にした。「会うなら
「俺もだよ。キサナドゥは人が多いから、もしかしたら知り合いに会うかもとは思ってたけど、まさかマヤと会うとは」
ナツヒコとは、仲が良かった。一番仲の良かったクラスメイトだったかもしれない。毎日のように一緒に昼食を食べたし、一度だけ家に入れたこともあった。だけど、少なくともぼくの方は他人との仲を引き摺るタイプではなかったし、ナツヒコもぼくに深く関わることはしなかった。高校を卒業してからは、お互いに連絡を取るようなことはしなかった。
マスターがナツヒコの前のカウンターにグラスを置いた。ビールが美しい比率で、黄金色と白色に分けられていた。ナツヒコは僅かに持ち上げて、ぼくの顔を見る。
「高校の、卒業式の日以来だな。マヤ、大学は……、長崎工科大だっけ? 最近は、どう?」
「どう、と訊かれてもね」
素直には言いにくい話題だ。適当に流そうかとも思ったけど、ぼくはなんとなく、本当のことを語ろうという気になった。
「休学してる。ちょっと、体調が悪くて」
「へえ、そうなんだ。生物工学部だっけ」
「そう。ビヘルタとかの研究とか開発をしようかな、と思ってたんだけど」
「まあ、体調が悪いんじゃ仕方ない」
ナツヒコはそう言ってビールを一口喉に流し込む。ぼくもモスコーミュールに口を付けた。少し、アルコールが強すぎるように感じた。
「ビヘルタ、マヤは持ってるの?」
「持ってない。要らないかな」
「開発しようと思ってたのに?」
「うん。ぼくは、自然志向が強いから」
「そうだっけ」
「いや、冗談。単にお金が無いだけ。ARCLとVRゴーグル買ったらね、余裕が無くなったよ。大学も奨学金で行ってるし」
「そうか、そうだよな」
ナツヒコは何か言いづらそうに、言葉を飲み込むような仕草をして、ビールの入ったグラスの前で手を組んだ。多分、ぼくに両親がいないことを思い出したのだろう。
「ナツヒコは? ビヘルタ持ってる?」
「持ってるよ。貰い物だけどな」
ビヘルタの貰い物とは珍しい。いや、進学祝いか何かだろうか。
ビヘルタ――日本語で言う
だからぼくは、「へえ、有機型?」と反応した。
「いや、無機。
「危険なことをするわけでは、ないんでしょ?」
元々ビヘルタは、原発などの危険な場所で働く人の為に開発されたものだ。
「うん、それはない。大学も、やってるのは理論ばっかり」
「それは、よかった」
ナツヒコは可笑しそうに小声で笑い、ビールをまた呷った。ぼくは動く彼の喉仏を一瞬見遣り、モスコーミュールの入ったグラスを、僅かに傾けた。黄みがかった液体が、表面積を少しだけ大きくした。
「ナツヒコ、アメリカの大学は、どう? 上手くやってるの」
「うん。まあ、そのつもり。友達も出来たし……。あ、でもいまは日本にいるんだ」
「え、そうなの? 日本からキサナドゥにアクセスしてるってこと?」
「そう。親父が死んでさ。葬式をね」
「……そうなんだ」
「まあ、もう何年も会ってなかったんだけどな。高校のときも言わなかったっけ。俺、親父と上手くいってなかったって言うかさ、平たく言って仲悪かったから」
「えっと、じゃあ、長崎にいるってこと?」
「そう。良ければ、
「ああ、うん。いいよ。ぼくも暇だから」
ナツヒコは嬉しそうに目を細めた。ぼく自身も、自然と笑顔になっていることに気が付いた。しかし同時に、緊張も覚えていた。それを誤魔化すように、ぼくは言葉を探した。
「じゃあ……、ぼくの家に来てもいいけど、どうする? バーにでも行こうか」
「いいね。それじゃあ、明日、28日の午後1時、長崎駅前」
「うん」
ぼくはそう頷いて、カレンダーアプリに予定を打ち込みながら、再度言葉を探す。そして、モスコーミュールを少し口に含んでから、探し出した言葉を発することにした。
「このあとは、暇なの?」
「ちょっと、大学の知り合いと会う用があるんだ。大した用じゃないから、ビールなんか飲んでるんだけど」
「キサナドゥで?」
「うん。外れに家を借りてるんだ。昨日から」
ナツヒコは嬉しそうに笑う。
「アパルトメントっていうのかな。日本だとマンションの範疇かもしれない」
「わざわざキサナドゥに借りたの?」
「うん。アメリカにも家はあるよ。けど、やっぱり時代はキサナドゥなんだ……。この街はすごいよ。現代の技術と文化の結晶だ」
「まあ、そうだね」
高校時代のナツヒコを思い出す。確かに、頭の切れる生徒だった。かと言って、
ナツヒコはジャケットの袖をたくし上げて腕時計を見た。ぼくもつられて視界の端に映した時計を見る。ちょうど0時だった。日本だと深夜1時だけど、マサチューセッツ州だと多分、午前10時くらいだろう。
ナツヒコはグラスに3分の1程残っていたビールを一気に呷り、腰を上げた。
「そろそろいくよ。明日、いや、今日か。楽しみにしてる」
「ああ、うん」
ナツヒコからの友達登録認証が届き、ぼくはそれを了承した。すると、すぐにメッセージが届いた。URLでリンクが貼られている。開くと、長崎市内のホテルだった。住所や連絡先も書いてあった。
「これ、いま長崎で泊まってるホテル。AEにいなくてメッセージも通話も反応が無かったら、ここに連絡してくれ。312号室だから」
「わかった」
「あと、これ」
ナツヒコからメッセージがもう一通届いた。見ると、キサナドゥ内の住所だった。
「俺が借りてる家。一応教えておくよ。近いうちに来てくれ」
「うん」
ナツヒコはマスターを呼んでチェックをした。出入り口に向かって歩いていくその後ろ姿を見ながら、ぼくはまたモスコーミュールを口に運んだ。少し酔いの回り始めているのを感じ始めていた。
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