第25話 時間稼ぎ

 五月雨レイジは、壁の向こう側から現れた大男を仁王立ちで出迎えた。ありもしない自信を溢れさせ、これっぽっちもない勝機を醸し出す。

 男は全長二メートル以上。軽々と壁に穴を空けたところを見るに、指一本でレイジを粉々に出来るほどのパワーがありそうだ。


 そんな敵を前に堂々と姿を晒し、虚勢を張るなど、度胸や根性でどうにかなるものではない。正気を疑うまでの覚悟が、レイジに勇気を与えていた。


「よう、そこは入口じゃないぜ。デカブツ」


 果たして会話が成立するのかどうかわからない。だがノーマルのことを舐め切っている相手なら、余裕綽々で応じてくれる見込みはある。

 一切の装備がなく、薄っぺらいシャツ一枚の現状では、トンネルの向こうから吹き込んでくる風に当たるだけでも死にそうになる。これで戦闘になんてなってしまえば一秒たりとも稼ぐことはできない。出来ることといえば、返事をしてくれることにかけて声をかけることぐらいなのだ。


「……なんだ貴様は?」


 自分を目の前にして逃げ出さないどころか、不敵な笑みすら浮かべているレイジが奇妙に映ったのか、男は首を傾げる。


「ひょっとして、貴様が例の男か? 妙だな。交渉は難航していると聞いていたのだが、素直になったのか」


 何の話かは全くわからない。だがレイジは疑問を微塵も顔に出さなかった。それどころか小刻みに相槌を打ちながら口角を吊り上げる。


「話が早くて助かるぜ」


 後ろにはまだ逃げる人々の足音が聞こえる。もっと時間を稼がなくては避難完了には到底届かない。

 会話が引き延ばせるなら何でもいい。相手が勘違いしているのならそれを利用するまでのこと。


「ほう、では私のことも聞いているな。私はモルトだ。貴様が既に話に乗っているのならお役御免ということにはなるがな」

「モルト……ああ、聞いてるぞ。思ったよりも早かったな」

「そうか? 時間通りだと思うが」

「そんなに時間を厳守するタイプだとは思わなかったんでな」

「計画に狂いが出れば、私とてタダでは済まない。魅力的な見返りがあるからこそ加担したが、そうでなければこんな危険な仕事は引き受けなかった」


 モルトの口からは到底聞き流せない単語がいくつか飛び出す。しかしここで追及しても仕方がない。

 敵と正面から相対したこの状況から生き残ることなど到底不可能なのだから、会話の中で仮に何か聞き出せたとしても、その情報を仲間に持ち帰ることはできない。


 レイジの役目は味方が態勢を整えるまで、ここで一秒でも長く時間を稼ぐこと。それ以外のことは考えるだけ無駄だ。


「さて、私はやることがなくなったわけだが……おっと、いや、そういえばこういうシチュエーションも想定して指示を出されてたんだったな」


 モルトの視線は、レイジからその奥へと移る。早くも時間稼ぎの限界が見え始めて来ていた。


「じゃあ、私は私の仕事をさせてもらう」

「……まあ、待てよ。そうツレないこと言うんじゃねぇよ」


 横をすり抜けて、先へ進もうとするモルトにレイジは声をかける。明らかに不自然だと自覚していながらも、やりとりは続けるしかない。


「なんだ。まだ何かあるのか?」

「いくつか確認しておきたいことがあってな」

「確認しておきたいこと? 貴様があの提案を承諾した以上、私と貴様は接点を持つ意味すらないはずだが」

「そうでもないさ。臨機応変に対応しねぇとな。人生、何があるかわからねぇもんだぜ?」

「……話に聞いていた人物像とだいぶ違うな。貴様がそんなにお喋りだとは思わなかった」


 モルトの目つきが鋭くなり、和やかなムードに亀裂が入り出す。そろそろ勘違いしていることに気づくかもしれない。


「そうか? 俺は寡黙なイメージだったのか?」

「いや、そういうわけでもない。ただもっと、冷めた性格の人間だと思っていた。噂では冷酷非道な男だと聞いていたのでな」

「へぇ……冷酷か。それは心外だな」

「ところで、さっきから何をそんなに震えている?」


 モルトの指摘に、レイジの体は思わず硬直した。地上とトンネルで繋がってしまったことで、この部屋の室温はみるみる下がっていっている。

 ステップならこれでもまだ温かいぐらいだろう。しかし外の寒さに耐性のないレイジにしてみれば、じわじわと命を削られているようなもの。少しでも体温を確保するべく体が震えるのは避けられない。


 そしてそれは、自分がノーマルであると自己紹介しているに等しい。モルトが本格的に疑いを持つには充分すぎる証拠だった。


「一応、名前を聞いてもいいか? 人違いでは洒落にならないからな」


 流石のレイジも、これには鼓動が早まる。無駄なやり取りで会話を引き延ばすのももう限界だ。味方が駆け付ける気配は依然としてない。


「な、名前? 今さら確認が必要か?」

「言っているだろう。万が一間違いでもあれば、私もタダでは済まないのだ。あの女に関わるというのはそういうことだ」

「あの女……ねぇ」

「お前も知っているだろう? なにせ空に雲の蓋をし、この星から太陽を奪った張本人だからな。機嫌を損ねれば命に係わる」


 気を抜けば聞き流してしまいそうなほどさらりと飛び出た言葉に、レイジは両目を零れ落ちそうなほど大きく見開いた。


「今……なんて言った?」

「ん?」

「太陽を奪った張本人だと? どういうことだ? それは……⁉」


 時間稼ぎの役目など、頭からすっ飛んでいった。下手なことを言えば殺されるのが早まるだけだとわかっていながら、それでも叫ばずにはいられない。


「……話が通っているのなら、知らないはずはないと思うのだがな。やはり貴様は例の男ではないらしい」

「こっちの質問に答えろ‼ あの雲は人工的に作られたものなのか⁉ 一体誰がそんなことをした‼」

「私も詳しいことを知っているわけではない。知っていたとして教える義理もない」

「ふざけるなよ……‼ この地獄を誰かが意図的に作ったって言うのか⁉ 冗談じゃねぇ……太陽さえありゃ、世界はもっと平和だったはずなんだ‼」


 レイジは腰に忍ばせていたナイフを流れるように抜き、モルト目掛けて飛びかかった。突然聞かされた突拍子もない話は、まだ完全に咀嚼できたわけではない。頭に血が上り、少なからず冷静さを失っているのは事実。

 しかし体に染みついた動きは、ちょっとやそっとで錆びついたりしない。この時のレイジのナイフ術は文句のつけようもない鮮やかさで、モルトの眼球を突き刺すべく無駄のない鋭さを見せていた。


 銃弾を弾く皮膚を持つ相手に、刃物が有効とは思えない。しかし眼球ならば、視力の低下ぐらいは狙えるかもしれない。命を奪えるほどの傷はつけられないにせよ、目だけでも奪えれば戦力の大幅な低下を引き起こせる。


 そう直感的に判断したレイジの攻撃は────軽々と片手一本で捌かれた。


「くっ……⁉」


 ナイフの刃を指先でつままれ、飛びかかった勢いそのままに空中でぐるりと体が回転する。その途中、背中が下を向いたタイミングでモルトはレイジを軽く押し、床に叩きつけた。


「人間は常に、無い物を求める生き物だ。太陽があったとしても、別の何かを求めて争いは起きていただろう」

「────っ」


 背中を強打し、思うように息ができない。必死に起き上がろうとするも、手足が思うように動かない。


(クッソ……折れやがったか……‼)


 相手はちょっと手を払っただけだというのに、レイジはもうボロボロだった。骨折は一か所や二か所どころではなく、込み上げてくる唾には血が混じっている。


 以前襲撃して来た赤髪の男よりは強くない。だがそれでも、ノーマルからしてみれば圧倒的強者であることになんら変わりはない。


 階層警備隊がここに向かっているはずだが、彼らが来たところで犠牲者が増えるだけだろう。

 彼らの役目はシェルター内の治安を守ることだ。敵として想定されているのはノーマルの犯罪者であり、ステップの襲撃者ではない。そのため、火器の威力は普通の人間を殺せる程度のものだ。この大男相手では効果が薄い。


 境界警備隊の武器でなければ、モルトには傷一つつけられそうにない。しかし一層にあるそれらをここへ運ぶのにはまだ時間がかかる。


「一応聞いておくがな、ここに太陽を生成できる能力を持った男はいないか?」


 どちらにせよ答えるつもりはなかったが、今のレイジでは声が出せないので返答のしようがない。


「……聞くだけ無駄だな。貴様の眼は死んでいない。死に直面してなおも揺るがぬその意思は賞賛に値する。だが残念ながら、貴様は貧弱な旧人類だ。せっかくの強い意思も、貫き通すには強さがいる。貴様にはそれが足りなかった」

「う…………るっ……せぇ……‼」


 唾を吐きかける余力すらなく、できるのはせいぜい睨みつけて敵意を剥き出しにすることだけ。命が潰える最期の抵抗にしてはあまりにもささやかだが、これが現実だった。


「あまり余計な時間を使う訳にもいかん。探し人が貴様でないとするなら、仕事は予定通り果たさねばならないということ。こうしている間に逃げられてしまうかもしれん」


 モルトはその丸太のように太い足を持ち上げ、レイジの頭部の真上で止める。このまま真っ直ぐ踏み下ろすだけで、頭蓋骨が簡単に砕け、中身は容易く弾け飛ぶ。


「別にこのまま放置しても構わんが、生かしておいて得もないのでな」

「…………ッ‼」


 全力で逃れようとするが、レイジの体はほとんど動かない。万全の状態でも回避できない攻撃なのだ。多少もがいたところで結果は変わらない。


 レイジは目を瞑ることなく、一秒後に訪れるであろう最期の瞬間に震え、強く唇を噛んだ。


 ────だが、結局その瞬間は訪れなかった。突如としてモルトが大きくバランスを崩してよろけ、レイジの真上から外れたのだ。


「……?」


 何が起きたか分からず、レイジはまず自分の目を疑う。ひょっとして、死を恐れすぎるあまり幻覚を見たのかと思ったが、どうやらそうではない。


 通路の奥から銃声が聞こえ、飛んで来た弾丸がモルトの皮膚をえぐり、血を噴出させていた。

 弾丸は彼が体勢を崩した後も止まらず撃ち込まれ続け、モルトはたまらず大きく飛び退いて距離を取る。


「な、なんで……銃が奴にあんな効くはずは……」


 レイジに駆け寄ってきているのは、たった一人の兵士だ。全身完全防備で顔は見えないが、装備からして境界警備隊のものである。

 普通なら、もっとまとまった戦力が集まってから兵を動かすはず。一人でこんなところへ来たところでどうこうできるわけがない。しかしその兵士は単独で駆け付け、尚且つ敵に明確なダメージを与えてみせた。


 そんな非現実的な光景を目の前にしたところで、レイジの意識は途絶える。何であれ絶体絶命の危機を一旦回避したことは事実。その安堵が、ピンと張り詰めていた緊張の糸を切ってしまい、苦痛から逃れるように彼を眠りへ誘った。


「────この攻撃……まさか、貴様の方から出てくるとはな」


 モルトの表情から余裕が消え、本格的に戦闘態勢へと移行する。彼の目には、レイジの目では捉えることのできない光が映っていた。

 弾丸自体はモルトの皮膚に傷をつけていない。だが弾丸に混じって放たれた細い光線が、その常識外れな高熱によって肉を裂き、鋼鉄の肌に裂傷を与えたのだ。


 兵士は一言も発することなく、レイジのもとまで駆け寄り、盾になるようにして姿勢を低くする。


「……いいだろう。直接戦う予定はなかったが……こちらの方が手間が省けて都合がいい。あの女の計画にも支障はないはずだ」


 モルトが足元に手をかざすと、小規模な爆発と共に床が細かく砕け、粉塵となって戦場を煙幕に包んだ。

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