第26話 最高傑作

 時は少し遡り、モルトがシェルター内に侵入する直前のこと。マヒルとサヨは響き渡る轟音を聞き、いがみ合いを中断していた。


「一体何が……外で大規模な襲撃……?」


 腹の底に響くような、低くて不気味な音だ。こんな音は未だかつて聞いたことがない。マヒルは妙な胸騒ぎを覚え、眉間に皺を寄せる。


「もしそうなら、君のところに連絡が来るんじゃないの? 非番でも、緊急事態なら招集がかかるでしょ?」

「それはそうだけど……」


 マヒルは通信機を確認するも、連絡が来た形跡はない。沈黙したまま、彼女の腰にくっついているだけだ。


 ホワイトラインで大規模な戦闘が発生したのなら、戦況の良し悪しに関わらず必ず連絡が来て、待機を命じられる。

 それがないということは、心配は要らないということだ。だが考え方を変えてみれば、普通なら来るはずの連絡が来ないほどの異常事態であると捉えることもできる。


「私、ちょっと確認してくるわ」

「確認? 何を?」

「嫌な予感がするの。何事も無ければそれでいいんだけど、なんかこの音、地上からじゃなく地下から響いてるような気が……」

「……あたしも同感だね。もしかしたら、誰かがトンネルを掘ってシェルターに侵入しようとしているのかも」

「トンネル……⁉」


 それは考え得る限り最悪の事態だ。ステップを撃退するための兵器や設備は全て一層にあり、二層には一切ない。

 もし、ホワイトラインを通らずに、いきなり二層にステップが出現することがあれば、シェルターの防衛は内側から瓦解する。


 トンネルを掘られるなんて、簡単に想定できることなのだから対策を打っておくべきなのだろうが、そんなことにまで手を回していたら正面の警戒が疎かになってしまい、本末転倒だ。

 数少ない資源をやりくりしなくてはならない中で、完全無欠の防衛体制を築き上げることは不可能。穴があるとわかっていながら放置せざるを得ない問題もある。


「……ついにその時が来たということね。今まで対策を後回しにしてきたツケが回って来たというところかしら」

「どうするの? もし本当にこの音がトンネルを掘っている音だったとしたら、何か対抗策はあるの?」

「もちろん、こうなった時のマニュアルも存在しているわ。ただ……そうね、全てが上手くいっても、ここは血の海になるわ。間違いなくね」


 本来なら、こんな悲観的なことを一般人であるサヨの前で言うべきではない。兵士の役割はステップとの戦闘はもちろん、住人たちを安心させることにある。

 それは理解していたが、あまりにもサヨが平常心を崩さないので、ついつい本音を口走ってしまったのだ。マヒルは一つ咳ばらいを入れ、今一度自分を律する。


「そうか、ステップは強いんだもんね。こんなところで戦ったら、犠牲者は山のように出るよね」

「……ええ、けれど、それは全て私たち兵士でなくてはならないわ。あなたたちのことは一人残らず全員守ってあげるから、安心して」


 とりあえず、こうやって特に根拠のない保証をすることしかできない。だが事実を言って過度に怖がらせるよりは良い。

 マヒルはぎこちない苦笑いを作って、サヨの胸中に燻っているはずの不安を取り除くべく、無責任な言葉を並べる。


「それに、工事か何かの音ということもあるし……案外何事もないかも」


 ここまで大きな音が鳴るような工事をするなら、混乱が生じるのを避けるため、事前に通達がある。何事もないなんてことは有り得ない。

 二層からステップに侵入されるという事態を目の前にして、マヒルの思考はやや現実逃避気味だった。ここまで明確な異常を認識しておきながら、気のせいであればいいなどと考えているのだから、判断力も鈍る。


 マヒルはひとまず音の正体を確認するべく、境界警備隊の本部に通信を入れた。


「こちら、天道です。今、二層の公園で大きな音が────」


 会話を一刀両断するように、そしてマヒルの顔を掴んで現実の前に突き出すかのように、シェルターがかき混ぜられるほどの大きな揺れと共に外壁が崩れる音がした。


「まさか……そんな、本当に……?」


 ここまできて目を逸らし続けるわけにもいかない。近くに居た人々でさえ、事態を概ね正確に把握し、我先にと走り出している。


「今の音、もしかしてシェルターに穴が空いた?」

「赤月サヨ、よく聞きなさい。今すぐシェルターの反対側まで走って逃げて。荷物は全部置いて、なるべく身軽にして走るのよ」

「…………」


 サヨは返事をしなかったが、確かに聞こえたはずだ。肩を掴んで同じことをもう一度言っても、動き出そうとはしない。

 マヒルが初めて戦場に立った時も、同じように棒立ちしていた。白けたような顔をして、ポカンと大口を開けながら呆然としていたものだ。

 それと同じだと考えればもたもたしているのも責められないが、かといってここに放置していくわけにもいかない。


「……まだ、あの子たちが来てないよ」


 そろそろ、当時の先輩にやられたように、ビンタして言うことを聞かせようかと考えていた時、サヨはボソリと呟く。


「あの子って……アサヒ君たちのこと?」


 確かに、彼らは音のした方に居たはず。そこから公園の外へ出るには、必ずマヒルたちの居る区画の前を通るのだが、まだその姿は見えない。


「……心配なのね。わかった。そっちは私に任せて。アサヒ君たちは私が必ず避難させるわ。だから、あなたは先に行きなさい」

「先に? 私が?」

「そうよ。友達の安否が気になるのはわかるけど、あなたがここに残っていても意味がないわ。まずは自分の身の安全を優先しなさい。合流するのはその後よ。危険な場所で合流しようとしたところで、全員の生存率が下がるだけだわ」


 マヒルは改めてサヨを諭し、避難させようとする。しかし彼女は全く動かない。それも怯えて動けないという感じではない。まるで危機を感じていないかのように、涼しい顔で佇んでいるのだ。


「……何をボンヤリしているの? これがどういう状況かわかってる? 危機感を持ちなさい! ここに居たら、あなた死ぬわよ!」

「ピンチなのは知ってるよ。でも、アサヒたちがどうなるのか気になってさ」

「だから、それは私に任せなさい。必ず、無事に避難させるから‼」


 自分の命だって満足に守れないのに、こんな約束を果たせるわけがない。それでもサヨを説得するため、マヒルは叫ぶ。


「いや、君に任せるつもりはないよ」

「……まさか、自分で行くつもり? 駄目よ‼ 犠牲者が増えるだけだわ‼」

「ああ、そうじゃなくてさ」


 マヒルの熱意も虚しく、サヨの冷めた態度は変わらない。それはまるで、こうなることが事前にわかっていたかのような落ち着きぶりで────


「彼が死ぬ心配はそもそもしていないよ。あの子は私の最高傑作だから」


 魔女と表現するのが相応しいような、悪意に満ちた笑みを浮かべ、サヨは淡々とそう告げた。

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