第27話 拷問
分厚い筋肉の鎧を身に纏い、攻守の両面において隙のない戦闘力を有する大男が床に膝をつき、大きく肩で息をしていた。
その視線の先には、境界警備隊の兵士が一人。ヘルメットをかぶっているので顔は見えないが、モルトにはおおよその見当がついていた。
「もうその被り物は取ったらどうだ……? 誰も見てはいないぞ」
二人は戦いの中で移動しており、レイジが転がっていた場所からはかなり離れている。それに加え、辺りはモルトが巻き上げた煙幕で視界が悪く、境界警備隊が駆け付けたとしても迂闊に踏み込める状況ではない。
「……お前が、例の男なんだろう? ここでは確か、ソレイユと呼ばれているのだったか。どうやら旧人類たちも我々と同様、貴様の能力を太陽だと認識しているらしいな」
「なるほど……狙いは最初から俺だったか」
正体を看破され、アサヒはヘルメットと銃を投げ捨てる。付近に誰もいないのであれば、このような変装も不要だ。
「こんなところまで嗅ぎつけるとはな。相変わらず鬱陶しい奴らだ」
「何を言うか。それほどの実力があれば、追手が何人いようとあしらうことなど容易いだろうに……まったく、やはり当初の計画通り、正面からの戦闘は避けるべきだったな……あの女の言う事は正しかった」
「お前、仲間はどうした?」
アサヒはこれまで、太陽の能力目当てで襲撃してきた敵を数えきれないほど返り討ちにしてきた。
その噂はまともな通信環境を持たないステップの間でも広まり、最初は無謀にも単独で攻撃を仕掛けてくる敵も多かったのだが、いつしか最低でも十人規模のチームを組んで襲って来るようになった。
ミナの家に匿われて以降は一度も襲撃を受けていないため、シェルターを守るための戦闘を除けば、およそ六年ぶりにステップと戦ったことになる。
いくらそれだけの期間が空いているとはいえ、敵がたった一人で、トンネルを掘ってまでここに来たことに、アサヒは違和感を覚えていた。
「太陽の能力とは関係なく、自分の実力を誇示するためだけに俺に喧嘩を売って来た奴もいた。そういう奴らは大半が単独だったが、お前はその手の馬鹿には見えない。トンネルを掘るのも、事前にある程度シェルターの内部構造を把握しておく必要がある」
モルトの能力は、手のひらに小規模な爆発を起こすもののようだ。それなら、岩を砕いてトンネルを掘り進めることも容易だったろう。
しかし、ステップといえど体力に限界はあるのだから、無限に能力を行使できるわけではない。
破壊力の大きい能力ほど、疲労も大きいものだ。目的地も定めないまま穴を掘っても、地中で方向感覚を失い、どこにも辿り着けないまま、無駄に体力を消費するのがオチ。
下手に掘れば生き埋めになる可能性だってあるし、音で境界警備隊にはバレるのだから、入り口を塞がれて毒ガスでも流し込まれたらそれなりに危険である。
トンネルを掘り、シェルターに単独で侵入するというのは、それだけ大きなリスクを伴っている。
馬鹿ならそれでもやるだろうが、目の前の男はその類だとは思えない。それに、彼の口から零れた『計画』や『あの女』という言葉も気になる。
「仲間がいるはずだ。なぜ姿を見せない? どこに隠れている?」
「別に隠れてなどいない、堂々と姿を晒していたはずだ」
「……どういう意味だ?」
「それに、仲間というのは共に戦場に立つことだけではない。他の計画を並行して進めることだってある。本来なら、私はただの陽動であり、混乱を引き起こしさえすればそれで良かったのだが……欲をかき過ぎた。勝てるとは思っていなかったが、ここまでの差があるとは」
アサヒは目を鋭くし、満身創痍な割に余裕のあるモルトの、一挙手一投足に注意を払う。
彼自身の勝機はゼロに近い。そしてそれを彼は自覚している。にも関わらず、計画は上手くいっているとでも言いたげに、満足そうな表情を浮かべている。
境界警備隊ならば自分が敗北してでも、シェルターを守ろうとすることはあるだろう。しかし襲撃者たちに自己犠牲の精神などは存在しない。勝利することが目的ではない戦闘など、アサヒには経験がない。
「一体何を企んでいる……? 目的は俺じゃないのか?」
「目的は貴様で間違いない。だが貴様を手に入れるための手段は一つではないということだ」
「手段?」
「何も正面から戦って勝利し、屈服させることでしか、貴様を手懐けられないわけではあるまい。以前はなかった弱点が、今の貴様にはあるのではないか?」
そこまで言われてようやく、アサヒの脳裏に一人の少女の顔がよぎる。何に代えても守らねばならない大切な少女は、この騒動発生時から姿が見えず、どこにいるのかもわからない。
「気づいたようだな。貴様を倒すための刺客としては、私は力不足だ。だが少し気を引くだけでいいのなら、役目を果たせる。その隙にあの女が、貴様の妹とやらを手中に収めるという計画だ」
アサヒの視界が急速に黒く塗り潰されていく。冷たい海の底にでも突き落とされたかのように、暗く、静かな空間へと意識が転がり落ちる。
「この計画を立案した私の依頼主が、既に陽山レナを連れてシェルターを離れたはずだ。彼女の身の安全を保障してほしければ、我々の要求を呑んでもらうぞ」
「……………………今、なんて言った?」
その瞬間、この空間に流れていた時が凍り付いた。アサヒはただ静かに、顔を歪めることもなく、真っ直ぐモルトを見ている。
そんな何の変哲もない視線が、モルトの全身を氷漬けにし、胃の中身が全て逆流してきそうなほどの恐怖を与えた。
「ま、待て。俺が無事に戻らなければ、あの女は貴様の妹を殺すだろう。俺の役割はお前の気を引くだけではなく、メッセンジャーとしての務めもある。取引に応じる意思があるのかどうか、俺が伝えなくては────」
「あの女って誰だ?」
「それは……」
「シェルター内部の人間、それも俺の身近な人物だな。サヨか? マヒルか? ミコトか? それとも別の人間か?」
「ここでどんな名を名乗っているのか、俺は知らな────」
モルトの言葉が途中で途切れる。彼は不意にぐらりと姿勢を崩し、受け身を取ることもできずに顔面から床に転がった。
「はっ……あ……? な、何が……」
モルトが手を突き、顔を持ち上げると、そこには切り離された自分の両足が転がっていた。
「なっ……⁉」
自分の足をこうして俯瞰する機会など本来はない。なので彼は、五秒ほど経ってもまだ、自分の足が千切られたのだという実感が湧かず、呆然としていた。
「もう一度聞く。お前の依頼主は誰だ? 誰に頼まれた?」
「だ、だからっ……それは…………」
答えなければ、次は腕をやられる。いつの間にか手の届く距離まで接近してきていたアサヒと目が合った瞬間、モルトはそう理解した。
答えを知らない質問であろうとも、何とか答えを捻り出さなくては死ぬ。取引だとか、人質だとか、そんなことを言っていられる暇などない。生き残りたいのならば何としてでもこの問いに答えなくては。
「せ、背の低い女だ……見た目は十代後半ぐらい。黒髪で、いつも口角を半分吊り上げて悪趣味な笑い方をしている……」
「……サヨだな。あいつ、奇妙な奴だとは思っていたが……ステップだったのか」
自分の正体を他人に悟られないようにすることに精一杯であり、まさか自分と同じようにシェルターに潜伏しているステップがいるなど、アサヒは考えたこともなかった。
それ故に隙を突かれた。冷静に考えれば気づけたはずの事実を、想定していれば避けられたはずの現実を、アサヒは防げなかった。
「くっ……ここまで直情的な男だったとは……これで、対等な取引ができるとは思わないことだな……」
足の出欠を止めようともがきながら、モルトは引きつった目でアサヒを睨む。いかに屈強な大男といえど、両足の切断は精神的なショックも大きかったはず。喚き散らさないだけ大したものだ。
アサヒを恐れながらも、役割の放棄まではしない辺り、責任感が強いようだ。この仕事を任されたのも頷ける。
ただ、彼はアサヒのことを全く理解していなかった。否、依頼主があえて誤解を招くような説明をしたと言うべきか。
「対等な取引? お前は何を言っている?」
アサヒはモルトの頭部を片手で鷲掴みにし、肩の高さまで持ち上げる。足の無い彼は抵抗することができず、ぶらんと宙に浮いた。
「レナはどこにいる?」
「……その質問に答えるためには、まず貴様の意思を────」
交渉を開始するべく、駆け引きを展開しようとしたモルトの右腕が、瞬いた閃光によって断ち切られ、鮮血を撒き散らしながら飛んでいった。
「うぐっ……⁉」
モルトは両目をきつく閉じ、突然襲い掛かって来た容赦のない痛覚に抗う。それでも両足と、右腕から流れ落ちる血の量が減るわけではない。
足が落とされても、まだ死ぬと決まったわけではなかった。止血をし、義足を作れば今まで通りの生活をすることもできる。
極めて希少な存在ではあるが、切れた手足を再生させられる能力の持ち主だっている。だからこそ、彼の心は折れることなく、アサヒと向かい合うことができていた。
だがこのおびただしい量の血が目に入ってしまえば、流石のモルトも冷静ではいられない。
戦いにおいてほとんど傷を負ったことのない彼が、自分の大量出血を前に健全な精神状態を保つことなど不可能だ。
「き……貴様……何をしている⁉ こちらは人質を取っていると言ったのが聞こえなかったのか⁉ 貴様にとって重要な人間なのだろう⁉ なぜ私を躊躇なく攻撃することができる‼ 陽山レナがどうなっても良いというのか⁉」
「もう一度聞くぞ。レナはどこにいる?」
話が全く噛み合わない。モルトにとって、これ以上の恐怖など他にないだろう。戦闘力で劣ることは事前にわかっていたのだから、彼の生命線は交渉にある。
平行して行動している仲間が人質を取り、それをカードとして交渉して、アサヒを依頼主の前まで連れ出す。それがモルトの仕事だった。
しかし話が通じないとなれば、その前提が根底から崩れる。人質も全く効果を成さず交渉の余地は皆無だった。
「嘘だと思っているのか……⁉ だったら探してみろ‼ 貴様の妹はもうここにはいないぞ‼」
「別に信じていないわけじゃない。だから、レナはどこだと聞いてるだろ」
「……っ⁉ だったら、なぜこんな……妹がどうなっても良いというのか⁉ ……ああ、そうだ……貴様は確か、共に育った仲間を皆殺しにした男だったな……‼」
「なぜそう聞いてもいないことをベラベラと話す? いいからサッサと答えろ。レナをどこへやった」
「答えれば、私の命はないのだろう……? それならば答えるはずが────」
心底うんざりした顔のアサヒが軽く指を振ると、四肢の最後の一本。モルトの左腕が音もなく床に落ちた。
「うぐっ⁉ うぁ……あぁぁっ……ああああああっ⁉」
脳みそをグチャグチャにかき回す激痛と、心を粉々に砕く喪失感で、もはやモルトはまともな悲鳴すら上げられなくなっていた。
「このままだと情報を吐く前に死ぬな。どうする? お前が望むなら、手足を元に戻してやってもいい」
「…………⁉」
「どうする? 時間がないんだ。早く答えろ」
モルトは顎を数回カクカクと動かす。頭を掴まれているモルトに首を縦に振ることはできないので、その代わりの動作だろう。そう判断したアサヒは、彼を床に放り出し飛び散った四肢を拾い集めてきた。
そしてそれぞれの断面に躊躇なく叩きつけ、その上から高熱を帯びた細い光を一瞬だけ浴びせる。
「うぐぁっ⁉ あああああっ⁉」
モルトの脳内を走り抜けたのは手足を切り落とされた時よりも酷い痛覚だ。眼球の奥が真っ白に点滅して、今にも意識を刈り取ろうとしてくる。
「ほら、くっつけてやったぞ。皮膚を溶かして接着しただけだから、動かすことはできないがな」
「き、貴様……こ、こんな……こんなことが……ッ‼」
「お前がレナの居場所を吐くまでこれを繰り返す。切っては繋げ、切っては繋げ、死なない程度に出血も抑えてやる。傷口を焼き潰せばとりあえず血は止まるからな。どうせ助かりはしないが、死ぬ寸前まで気絶するギリギリの苦痛を浴び続けることになるだろうな」
大量の血が抜けたせいか、それともこれから起こる未来に絶望したせいか、モルトの顔面は生きている人間とは思えないほど蒼白になった。呼吸も荒いなんてものではなく、どこか作り物染みた不気味な動作へと変化する。
「下手に体力を持って生まれると、死ぬときは辛いものだな。俺の妹に手を出したからには、楽に死ねると思うなよ」
アサヒは呼吸と心臓の鼓動以外の活動を全て停止してしまったモルトを再び持ち上げ、沈んだ意識を呼び覚ますべく再び能力を発動した。
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