第16話 生きる理由

「社長、商店街に今度出店するイタリアンと契約出来ました」

 蒲田は事務所に戻ってくると汗を拭きながら報告した。

「それは良かった、ところでその社長って言うのは何とかならないかな」

「えっ、でも社長は社長じゃないですか」

「いや、まあそうなんだけどさ」

 そんな風に呼ぶ人間が他にいないので背中がむず痒い。    

「だいぶ仕事にも慣れてきたみたいだね」

 蒲田が入社してすでに半年が経っていた、意外にも真面目に仕事を覚えていくと、人当たりの良い話し方と端正なルックスのおかげで営業としてはすでに戦力になっている。

「社長と愛美さんの教え方が上手いからですよ」

 そう言うと自分のデスクに腰掛けてパソコンを開き事務作業を始めた、チラリと愛美の方に目をやると今の会話など聞こえていなかったかの様に黙々とパソコンに向かって仕事をしている。

 

「二人は今日終わってから予定あるのかな」

 狭い事務所なので二人同時に話しかけると、同じタイミングでコチラを向いた。   

「暇です」

 蒲田がすぐに答える。

「特に予定はありませんが」

 愛美が愛想なく言った。

「たまには三人で飲みに行かないか」


 

 今まで一度も行ったことのない個室の居酒屋を選んで予約した、知り合いに合って名前を呼ばれても面倒だ。

 定時の十八時になると三人で事務所をでて予約した場所までタクシーで向かう。

  

「この仕事は続けられそうかな」

 瓶ビールを傾けると恐縮したように両手を添えて蒲田がグラスを差し出した。

「ありがとうございます、社長に首を切られるまではいつまでも続けていく覚悟です」

 本当に同一人物なのかと疑いたくなるくらいに、蒲田敦と言う男はこの半年間で変わった、出口の無いトンネルを彷徨っていた頃と違い今では希望に満ち溢れた将来があるからだろう。

「そうか、僕も出来るだけ長く会社が続くよう頑張るよ」 

 世間話をしながら一通り料理をつまんだ所で本題に入った


「愛美と付き合っているんだってね」

 蒲田は姿勢を正して向き直った。

「申し訳ありません、ご挨拶が遅れまして」

 深々とその場で頭を下げた。

「いやいや、いいんだ、若い子の恋愛に首を突っ込むほど野暮じゃない。ただ」

 グラスを置いて蒲田をしっかりと見つめる。

「親ばかかも知れないが大切な娘でね、彼女には幸せな人生を送って欲しいと思っている」

「勿論です」

「実は僕には娘がもう一人いたんだよ」

 蒲田は驚いたように顔を上げた。  

「高校生の時に死んだ、夜一人で歩いている所を拉致されてレイプされたんだ」

 蒲田は固まったまま動かないでいる。

「次の日にはマンションの屋上から飛び降りて自殺したよ」

「そんな……」 

「犯人は捕まらなかったが」 

 明は憎悪の眼差しを蒲田に向けて真っ直ぐ言葉を発した。


「必ず俺の手で地獄に送ってやる」 


 その視線から逃げるように蒲田はトイレに立った。


「おじさん殺気漏れてるよ」

 杏奈が心配そうな顔で明を見つめていた、芝居のつもりがついつい仇を目の前にして興奮してしまった。


 まだだ、もう少し待て――。


 明は自分に言い聞かせると静かに冷酒を煽った。


 

       ※


 

「杏奈の作った飯を食ってるって?」

 蓮は信じられない、といった表情で缶ビールを飲んでいる。

「何か問題あるわけ」


 杏奈は眉間にシワをよせて蓮を睨みつけた。

「蒲田は腹を壊して死ぬ方が先かもしれないなあ」

 テレビに映った伊東家のリビングでは小さな女の子とお母さんがカメラの方を、正確にはテレビを観ていた。 

「ちょっとどういう意味よ、それに私はあんたより八歳も年上なんだから杏奈さんでしょーが」

「ははっ、なーに言ってんだよ杏奈」

 杏奈が手を振り上げると蓮は本気で逃げた。


   

『春華そろそろお風呂にしようか』

『うん』

 テレビ画面に映る雅美と春華の会話が聞こえると、蓮は慌ててキッチンで焼酎の水割りを作っていた明に声をかけた。

 蒲田と飲んだ翌日、蓮は明の家に押しかけてきてライブ中継を観戦しようと提案してきたが、サッカーの予選でもあっただろうかと明は疑問を抱いていた。

 

「はやくはやく、始まっちゃうよ」

 子供のようにはしゃいで明の手を引っぱるとテレビの前にあるソファに腰掛けた。

 画面には伊東陽一郎の家のリビングが映し出されている。

「隠しカメラなんてどうやって仕掛けたのよ」

 杏奈はプロテインを飲みながらソファの下に直接座っていた。

「ぬいぐるみの中に仕込んだ、小さな音声も拾える最新式で録画、再生、ライブ映像も観れる優れものだよ」

 確かに画質も綺麗だし画面に映る伊東家の会話も聞こえてくる。

「どうしてこのタイミングで観るってわかるのよ」

 それは明も疑問だった。

「こいつは奥さんと子供が風呂に入ったタイミングしかエロDVDを観れないからさ」

「しょーもなっ」

 杏奈はプロテインを飲み終わると興味を無くしたように立ち上がる。

「みないの?」

「興味ない、明日も早いからか帰るわ」

 それだけ言うと玄関に向かい明の部屋を後にした。

 画面の中の伊東は二人が風呂に入ったのを確認するような仕草をすると画角から一度フレームアウトする、再び戻ってきた右手には透明なプラスチックケースが握られている。

 伊東が良く利用しているエロDVDの店で蓮が店員のフリをして伊東にプレゼントしたものだ。

「ほらね」 

 蓮は目を輝かせてテレビの中の映像に集中している、伊東はプラスチックケースから白いDVDを取り出すとデッキにセットした、ソファに座った伊東の横にはティッシュがスタンバイされている。

 隠しカメラがセットされたぬいぐるみはテレビの横に置いてあり、ソファにすわる伊東を正面から捉えているので伊東家のテレビ画面に何が映し出されているかはコチラから確認できない。

 

『うそつき、全然集中して観てなかったくせに』

『え、そんな事ないよ、ちゃんと観てたよ』


 映像から音声が聞こえてくる、映し出されている伊東はその画面を見て微動だにしないかった。

「え? 雅美……」  

 そう小声で呟くと辺りをキョロキョロしている、映像の中の出来事がまだ理解出来ていないようだ。 


『ここは娘さんと旦那さんのお家でしょ』

『んっやだ、入れたいよ聖斗くん』

 状況を理解し始めたのか伊東は真っ直ぐ画面の方を凝視している、隣の蓮は小さい頃楽しみにしていたアニメを見ていた時のように目を輝かせている。 

「さあ、どうする陽一郎」

 そう呟いてコチラを振り向くと、明はどう思うと意見を求めてきた。

「うーん、取り敢えずDVDを片して後で嫁に問い詰めるんじゃないかな」

「俺は風呂場に怒鳴り込みに行くと思うよ、そして暴力を振るう」 

 画面の中ではリモコンを持ったまま固まって動かない伊東と雅美の獣のような喘ぎ声が聞こえてくる。 


『ん――――――――――――――』

『旦那さんと別れて僕と一緒になってくれるよね』

 

『じゃあ二人はもういらないって言って雅美さん』

 

『いらない、陽一郎も春華もいらない、聖斗くんダメ―――――』

『雅美さん俺もイクよ、中で出して良い』

『出して、お願い聖斗くん中で出して――――――』


 画面から音が消えると伊東はリモコンをコチラに向けて何か操作している、電源を切ったと思ったら再び音声が聞こえてくる。

 

『じゃあどうしてこんなに濡れてるんですか』

 

 映像を最初に戻したようだ、わざわざもう一度見ようという伊東の神経が明には理解出来なかった、すると伊東はズボンを下ろしてすでに勃起した陰部をさらけ出すと自分でしごき始めた。


「おいおい、まじかよコイツ……引くわあ」

 先程まで目を輝かせていた蓮は汚物を見るような目で画面を凝視している、自分の妻が見ず知らずの男と性交している映像で自慰をする伊東を明も全く理解出来なかった。


『出して、お願い聖斗くん中で出して――――――』

 伊東は素早い動きでティッシュを数枚抜き取ると自分の陰部に押し当てた、どうやら無事にフィニッシュしたようだ。

 

「気味の悪いもん見せやがって」

 蓮はそれだけ言うと立ち上がりキッチンに酒を注ぎに行った。

「この後どうするんだ?」 

 しばらく隠しカメラで様子を見ると蓮は言う、コレが原因で二人が離婚するのであれば雅美と春華は復讐の対象から外すと、どちらにせよ、もう雅美とは連絡を取るつもりも無いのでスーパーのアルバイトには行かないようだ。

 

「結婚して幸せな生活を送っている時に殺したほうが良かったんじゃないか?」 

 明は葵を死に追いやった二人を簡単には殺さないと決めている、夢も希望もない人間を殺した所で大した絶望を与える事は出来ないだろう。

 そういった意味で今の伊東はまさに殺し時だったのではないかと明は考えていた。 

「見ただろ?」

 蓮は顎をシャクってテレビを指す。

「イカれてるんだよ、妻も娘もコイツには重要じゃない」

「そうかなあ……」 

 あまり納得いかなかったがチャンスはいくらでもある、コイツが幸せの絶頂の時に全てを奪ってやる。

 

 それだけが今の明の生きる理由だった――。

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