第15話 親友
「一緒に帰りましょうか、どうせ同じアパートなんだし」
藤堂杏奈は蒲田と共に事務所を後にするとそう提案したが蒲田は驚いたようにコチラを凝視している。
「え、愛美さんもあのアパートに住んでいるんですか?」
確かに若い女性が住むようなアパートではない。
「うん、タダだしね」
「でもちょっと若い女性が住むにはセキュリティが」
お前が言うなと思ったが杏奈は鏡の前で練習した笑顔を向けて微笑んだ。
「そうなんだけど、これからは敦くんがいるから安心ね」
男は馴れ馴れしく名前で呼んだほうが喜ぶとネットに書いてあったが本当だろうか。
「いや、そんな僕なんて役に立てば良いんですけど」
確かに背は高いがこの細い体では些か頼りない、実際に一対一なら負ける気がしなかった。
葵が自殺してからは無我夢中で空手に打ち込んだ、それまでも才能と少しの努力で全国クラスの実力はあったが、如何せん目標がなかったし友達と遊んでいる方が楽しかった。
おじさんの態度が変なのはすぐに気がついた、葵の自宅にお線香をあげに行った日、なんだか会話が噛み合わなかった――。
『杏奈ちゃんの家ではお風呂に入らなかったのかな?』
『ああ、ごめん、杏奈ちゃんのお家に葵が泊めて貰った時の話なんだけど』
『その後は?』
「え? 帰りましたけど……」
杏奈がそう答えるとおじさんは困ったような表情になって会話を濁した。つまりおじさんは葵が自殺する前日、私の家に泊まったと思っていた……。
葵は家に帰っていない、ならどこに行った。
おじさんは葵に付き合っている男がいるかを確認してきた、おそらく彼氏の家に泊まったと予測を立てたのだろう、しかし。
葵に彼氏はいない、それは断言できる。小学校から高校までずっと一緒の葵はとても私に隠し事を出来るようなタイプではない。
そこまで整理すると葵が自殺した真相がうっすらと見えてくる、そして、それしか葵が自殺なんてするような理由が他に見つからないのも事実だった。
次にお線香をあげに訪れた時におじさんを問い詰めた、理路整然と並べたロジックの前におじさんはすぐに白状した。
葵を殺した二人をすでに見つけたことも、でもすぐには復讐しない理由を聞いて納得した。
当然、杏奈にはその二人の正体を教えてくれなかったがタイミングが来たら私にも何か手伝わせて欲しいと伝えた。おじさんは曖昧に返事をするだけだったが、必ず連絡してくださいと付け加えた。
いつかその二人を撲殺するため、その為だけに杏奈は空手に打ち込んだ――。
今、目の前には葵の仇がいる、その細い足に下段蹴りをくらわせて膝が折れて丁度いい高さにきた顔面に膝蹴りを叩き込みたい。(膝蹴りは空手じゃ反則だったかな)そんな思いが頭を過ぎったが何とかこらえた。
「あ、そうだ敦くん夜ご飯はどうするつもりなの」
「コンビニ弁当かカップ麺ですね」
照れ笑いをする蒲田をみて胸糞が悪くなった。
「良かったら一緒に食べない? 一人分も二人分も作る手間変わらないからさ」
「え、でも、良いんですか」
「お父さんにはナイショね」
人差し指を口に当てている自分がどんなマヌケ顔をしているか見てみたかった、しかし思ったよりは上手く出来ているのではないだろうか。
とにかくまずはコイツを愛美に惚れさせなければならない、その為には苦手なぶりっ子でも何でもやってやる。
「じゃあおやすみなさい」
夕食のカレーを食べて汗がびっしょりになった蒲田は気のせいだろうか、足元がふらついているように見えた。
杏奈の部屋を後にする蒲田を見送ると頭の中で何度も殺した。
愛する女に殴り殺される男か……。
悪くない、杏奈はその光景を思い浮かべて満足すると日課の正拳突きを始めた。
※
同じアパートで間取りも同じはずなのに、そこはまるで別世界だった。綺麗に片付いた部屋にはベットがあり、床にはブルーのラグが敷いてある。若い女性特有の甘い香りで頭がクラクラした。
俺に気があるのだろうか、入社してわずかで社長の娘の家に上がり込んでしまう事に一抹の不安があったが、吸い込まれるように入室してしまった。
「カレーなんだけど甘口と辛口どっち派かな」
いつのまにかピンクのエプロンを付けて髪を結んでいる愛美が冷蔵庫から人参や豚肉を出しながら聞いてきた。
「どっちでも大丈夫です、辛口の方が好みですが」
「あたしと一緒ね、じゃあ辛口ね、すぐに出来るからテレビでも見て待ってて」
「はい、ありがとうございます」
ワンルームなのでキッチンは丸見えだ、愛美の後姿のスカートからは細い足が伸びている、だが筋肉質なその足はカモシカのようなしなやかさと強靭な力を想像させた。
新婚生活とはこんな感じなのだろうか、数日前には想像すら出来なかった夢を今は見る事が出来る。
「お待たせしましたー」
白い皿に載せられたカレーが運ばれてくるとお腹が鳴った、愛美は蒲田の目の前に座るとニッコリと笑いながら蒲田を見つめる。
「どうぞ食べてください、お口に合うかしら」
なんて可愛い子なんだろう、こんな子が作った手料理を食べる事が出来るなんて。
「では、頂きます」
スプーンを手に取りカレーをすくい口に運ぶ。
「…………………………!☆?」
言葉にならない無言の叫び声が心の中でこだました、なんだコレは、口の中に劇薬を入れたような刺激が駆け巡る。
うまいとか、不味いとかそういったレベルではなかった、口の中が激痛なのだ。
「どおかな?」
小首を傾げた愛美が控えめな声で料理の感想を求めてくる、その問いに答えるためにはまず口の中にあるものを飲み込まなければならない。溢れ出そうになる涙をこらえながら慎重に咀嚼してなんとか胃におさめた。
「すごく、おいしいです」
声をふりしぼって、そう答えると愛美は満面の笑みで手を叩く。
「やったー、嬉しい」
目の前にそびえる大盛りのカレーを見て目眩がした、コレを食べきれないことには明日はない。大げさではないだろう、勤め先の社長の娘に嫌われては蒲田などすぐにでも浮浪者に逆戻りだ。
「水を頂いても宜しいでしょうか」
「あ、そうだよね、ちょっと待ってて」
水があれば少しは耐えることが出来るだろう、これは試練なのだ。
「ご馳走様でした……」
すべての力を使い果たした蒲田は力無くスプーンを置くと、愛美に礼を言って部屋を後にした。
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