徳川家康の本当の素顔

司忍

第1話

まず初めに徳川家康の人物紹介をする。

徳川家康は今川義元が実行支配していた三河国に生まれ、幼少期は人質として

今川義元の本拠地・馴河国で人質生活を強いられる。その後、桶狭間の戦いに

より、主君の今川義元が討ち取られると、誰も居なくなった岡崎城に帰還し、

独立の第一歩を踏み出す。

[天下が転んできた]かのように書かれることもあるが、三英傑の中で、一番の苦労人はこの徳川家康といえるだろう。


呼び名は・・たぬきじじい

      内府どの


こっからエピソードは始まる。


今川家の人質として、駿府の今川館で幼少期を送っていた時のこと。正月に今川の家臣達が集まる機会があったのだが、その場に人質の竹千代(家康)も居あわせていた。

家臣達は竹千代を見るなり[あれが三河のいくじなしの小倅か(笑)]と皆で笑った。


竹千代はこれに怒り、緑先に立って小便を始めた。本来ならば、人質という肩身の狭い身。侮辱にも泣き寝入りするしかない場合も多い中で、大胆にも周囲をあざ笑うかのように立ち小便を決める竹千代。


[ただの頭のおかしい子]という意見はさておき、幼少期の頃からプライドと負けず嫌いな性格を垣間見ることができる俛話です。


家康・・人ん家の縁側で小便したらしいで・・・


さらに家康が遠州浜松城を拠点に武田信玄と対峙していた頃の話。1573年に発生した三方ヶ原の合戦において、家康は武田信玄に大敗する。実はこの時、敗走する馬上で恐怖のあまり脱糞をかましてしまった。


何とか命がらから浜松城へ逃げ帰る家康。脱糞したことに自分ですら気がつかない始末。そこへ家臣が来て、家康が脱糞したことについて突っ込むと、家康は冷静にこう言い放ちました。


[これは味噌だ]


家康すげ~(笑)。


これは豊臣秀吉の小田原征伐における一幕です。秀吉は、家康と今後の領国経営の話をするために、小田原が一望できる場所に[連れションしようぜ!]と誘います。家康もこれに応じ、二人で連れ小便をすることになった。


内容は[この広大な関東の地を家康に任せる代わりに、家康が長年守り続けてきた三河を含む旧領をわしにくれないか?]という、いわゆる領地替えの事でした。


しかし大物同士の連れ小便とは、これまた豪華である。何か汚い逸話ばかりになってしまいましたが(笑)、悪しからず。



次話は、秀吉君が出てきます。フォローよろしく。

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