謀議

 三月十日。

 三好組本部会議室。深夜。

 何だと? おい安藤、そりゃほんとか? もういっぺん言ってみろ。

 三好の問いに、安藤は険しい顔で答えた。

 はい、組長。覚醒剤シャブを返してほしければ、三月十八日の午前二時、S町の“幽霊ビル”まで来い、とのことです。そこで、一億円と引き換えに覚醒剤シャブを返してやると。

 

 ふざけやがって!!


 井口が大声で怒鳴り、でかい拳でテーブルの天板をぶっ叩いた。ひどい音がした。

 一億円だと!? くそったれ、そんな大金すぐに用意できるか! それに十八日だと!? もうすぐじゃねえか! バカヤロー足元見やがって!!

 井口は頭を抱え、かきむしった。

 畜生クソッタレ強盗ども必ずブッ殺してやる! 殺すだけじゃ飽き足らねえ、死ぬより酷い目に遭わせてやる! 絶対にだ!!

 泡つば飛ばして喚き散らす井口の顔は、まさに悪鬼のそれだった。

 三好と安藤、辰巳はその様子を黙って眺めていた。

 しばらく怒り狂った井口は、続けざまにラッキーストライクを三本灰にした。それから若い衆を呼びつけ、マックスコーヒーを持ってくるよう命じた。怒りがどうにも収まらぬとき、井口は、甘ったるいマックスコーヒーを飲むことにしているのだ。

 若い衆が持ってきたマックスコーヒーを喉を鳴らして飲み干した井口は、空き缶を片手で握りつぶした。ゴミ箱に放り捨てる。

 そこで四人は、今後どうするかについての話し合いを再開した。

 それでどうするんです兄貴、と辰巳が言った。一億円、黙って支払うんですか。

 三好はフンと鼻を鳴らした。そんなバカな話があるか。冗談にしても面白くねえぞ辰巳よ。

 すんません兄貴。

 何にしても必ず覚醒剤シャブは取り戻します。井口が決然とした口調で言った。そしてもちろん、強盗のクソ野郎どもは全員ブッ殺してやる。もちろんその前に、黒幕について洗いざらい白状させますがね。

 しかしな井口よ、と辰巳は言った。おめえもわかってるだろうがな、こいつは罠の臭いがぷんぷんするぜ。のこのこ取引場所に出向いたら、飛んで火にいる夏の虫、ってことになるかもしれねえぞ。

 井口は鬼瓦のような顔をさらに険しくゆがめ、腕組みして言った。

 ええ、そりゃもう……叔父貴の言うことももっともです。こいつはとんだ博打だ……しかし、このままでは正直、手詰まりなんですよ。何せ、今のところ、ろくな手がかりをつかめてないんですからね。

 そうなのだった。〈バタフライ〉での大失態から二週間以上が経過していたが、三好組は今のところ、覚醒剤のありかも、強盗の行方もつかめずにいた。無論、取引の情報を漏らしたのが誰なのかもわからず、ましてやこの事件の背後にいる黒幕の尻尾をつかむことなど、夢のまた夢だ。

 不可解な騒ぎはあった。強盗事件から二日後、K市内の放置車両の中から見つかった身元不詳の射殺体。放置車両には銃撃の痕があったことも確認された。また同日、K市郊外の廃工場で激しい火事があった。廃工場は完全に黒焦げになってしまった。警察は何者かの放火と見ていたが、詳細は不明だった。火災発生の直前、大きな破裂音を聞いたという付近の住民の証言もあったが、今のところ、警察も詳しいことは何も分かっていないようだった。とどのつまり、暗礁に乗り上げたということだ。

 三好組はこの両方の事件について、警察内部の情報源を通じて探らせたが、〈バタフライ〉の一件とのつながりを確信させるには至らなかった。それに、すでに警察が動いている案件について、ヤクザが迂闊に首を突っ込めば、藪蛇となる恐れもあった。この線を追いかけるには限度があった。

 かといって、地道な捜査にも限界があった。そもそも、警察の注意を惹かないように、動かす人員はできる限り少なくする必要があったからだ。傘下組織の三下まで動員してのロードローラーなど、とても実行できない。また、様々な伝手を頼って情報を集めるのも危険だった。警察はまさにそういう情報の流れ、そして金の流れにこそ目を光らせているからだ。三好組が急に熱心にカネをばらまき、情報収集に努めている……となれば、それだけで県警の組織犯罪対策課ソタイの注意を惹き、を探られることになりかねなかった。そうなったら元も子もない。

 よって、捜査は遅々として進まなかった。

 一方、〈バタフライ〉の一件は、当然のごとく三好組の上位団体の耳にも入っていた。関東一円の大河内組系団体を統括する関東・首都圏ブロック評議会は、この一件を非常に重く見ていた。当然であろう。これは三好組の、いや大河内組の権威に対する真っ向からの挑戦なのだ。これを放置しておけば、ことは三好組に留まらず、大河内組全体の権威の毀損にもつながる。面子が何より重んじられるヤクザの世界で、それは極めて致命的な事態であった。

 よって評議会は、三好組に速やかな事件の解決を命じた。さもなければ、三好組には重いペナルティが課せられることになる。下手をすれば、せっかく苦労して開拓した、香港からの覚醒剤密輸ルートは取り上げられ、他の組織に任されてしまうということにもなりかねない。そうなったら大打撃だ。いや、下手をすれば、本家の判断によって、執行三役どころか組長までも、お役御免とされる恐れもある……。

 そんなところに、今回の電話があったのである。

 〈バタフライ〉での一件を知るのは、三好組の関係者以外には強盗グループ以外にいないはずであるから、電話をかけてきたのは強盗グループと見てまちがいない。そして、わざわざ三好組本部に電話をかけてきたということは、強盗たちは本気で覚醒剤シャブを買い戻させようとしている公算が高かった。

 それにしても、考えてみればこんなに大胆不敵な話もない。強盗グループは、一度覚醒剤シャブを奪った相手に、覚醒剤シャブを買い戻させようとしているのだ。肝っ玉が太いのか、それとも何も考えてないのか……井口には判断をつけかねた。あるいは辰巳の言うように、手の込んだブラフかもしれないが、そんなことをする必要が思いつかない。

 ……もしかしたら、連中も困っているのかもしれませんね。

 安藤が言った。

 どういうことだと井口は尋ねた。

 ひょっとしたら、覚醒剤シャブを奪ったはいいものの、いい買い手が見つかってないのかもしれません。それで、本来の持ち主である我々に買い戻させようと考えたのかも。

 なるほど溺れる者は藁をもつかむってことか、と辰巳が薄笑いしながら言った。もしそうだとしたら、そいつは傑作だな。

 井口は顔をしかめて言った。

 そんなことはどうでもいいんです。ともかく、連中はこっちの足元を見て、べらぼうな金額をふっかけて覚醒剤シャブを買い戻させようとしてやがる。そんなの、たとえ冗談でも呑むわけにはいかねえ。組の沽券に関わる。何としても、覚醒剤シャブを取り戻し、強盗どもを一網打尽にしなきゃならねえ。

 けどな井口よ。三好が低くしゃがれた声で言った。おめえもよくわかってるだろう。目下の情勢で、下手に子分どもを動かすわけにゃいかないんだぞ。それこそ警察サツに感づかれたら一巻の終わりだ。おめえ、そうなったらどうするつもりだね。

 そこで安藤が言った。組長。こういうときのために飼っている連中がいるでしょう。あいつらを使えばいいことです。

 三好はちらっと安藤の方を見たが、何も言わなかった。

 辰巳が嫌な顔になって言った。あいつらか。まあ、確かにこういう場合は適任だろうな。だけど本当に信用できるのか。

 そのために連中には十分な報酬を弾んでやってるんです、と安藤は言った。そして今のところ、連中はこちらの期待によく応えている。叔父貴だって、連中の働きぶりはよくご存知でしょう。

 辰巳は唸り声を上げ、しぶしぶという感じでうなずいた。

 続けろ、と三好が言った。

 安藤はうなずいて話を続けた。

 ええ、そして最も重要なことは、連中が部外者だということです。連中は表向き、我々とは全く無関係だ。だから、いざとなれば、我々は連中を切り捨てて知らぬ存ぜぬを決め込むことができる。これが最も重要なことですよ。

 辰巳はフンと鼻を鳴らしただけであった。

 いっつも思うが、仁義もへったくれもねえな、と井口が苦笑いした。

 しかたありません。安藤の口調はあくまで真面目だった。組織を守るためには必要な処置であり、支払うべき犠牲です。

 よし、すぐに連中に連絡を取れ。三好が言った。もう時間がねえからな。

 言われるまでもありません。安藤は低い声で言った。すでに待機させてます。

 さすがだな安藤。

 恐れ入ります。

 そのとき、スマートフォンの振動音が室内に響いた。

 失礼。

 辰巳がスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、電話に出た。

 もしもし。……ああ、お前か。いま会議中なんだが……なんだって? そりゃ本当か? わかった、よく伝えてくれた。じゃあな。

 辰巳は電話を切った。

 何だったんです叔父貴?

 井口が尋ねた。辰巳は険しい顔で言った。

 子分からだ。妹尾組に怪しい動きがあるらしい。

 三好が眉をひそめて言った。今度は何だってんだ。

 へえ、兄貴。どうも連中、よそから助っ人を呼び寄せてるらしいんです。

 助っ人? いってえどこの馬の骨だ。

 さあそれが……詳しいことがよくわからねえんで。ただ、一人や二人じゃねえようです。

 きな臭ぇですな、と井口は顔をしかめていった。

 ああ。辰巳は忌々しげに顔を歪めた。よりにもよってこんなときによ。

 安藤が顎に手を当て、不審そうな口調で言った。しかし伯父貴、連中いったい何をするつもりでしょうか。

 何言ってんだ安藤。そんなの決まってるだろう。カチコミの準備に決まってる。

 それがおかしいんですよ、と安藤は言った。そんなことをしても、向こうには一銭の得にもなりませんからね。なんぼ連中の統制がなってないからって……。

 辰巳は呆れたように首を振った。

 おい安藤、おめえも大概お人よしだな。あいつらがそんな難しい損得勘定のできる連中だと思うのか。いいか、あいつらは気××い犬とおんなじだぜ。目につくものには何でも噛みつこうとしやがる。特に三好組と名のつくものには、な。おまけに、あの組長代行ときたら、犬どものしつけがろくにできてねえときやがる……

 そうは言っても、と安藤は難しい顔つきになった。

 わかりました叔父貴、と井口が言った。とにかく子分どもに方々の守りを固めさせます。組長オヤジもそれでよろしいですか。

 三好は何も言わず、ゆっくりとうなずいた。

 わかった、それじゃ俺の方からも他の兄弟分たちに伝えておくぜ、と辰巳が言った。

 よろしくお願いします伯父貴、と井口は言った。それにしても、よりにもよってこんなときに。

 悪い時に悪いことは重なるもんだ、と辰巳は言った。悪い偶然だ。

 

 本当に悪い偶然で済むことなのだろうか、と井口は思った。

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