第4話 だんだんと弱っていく親分

2003年8月、工藤会は暴追運動の先頭に立つ男性が経営するクラブに手榴弾を投げ込む事件を起こす。いわゆる[ぼおるど事件]だ。


取材担当者:ぼおるど事件で溝下氏から話を聞いた?

A氏:電話で[何であんなことするか?]と聞いた。そしたら[詳しいことは分からんが閃光弾で、手榴弾じゃないと聞いたことがある]と言っていた。


取材担当者:それを本気で溝下氏が言っていた。

A氏:うん。

取材担当者:溝下氏と最後に会ったのは?

A氏:亡くなる前。病状を確認してくれと県警から依頼があって、肝臓を交換して帰ってきて動けるようになった時に、ちょっと会おうかと。彼が裸になって傷口を見せてくれて。もう大丈夫と本人は言ってましたけどね。


2008年7月、溝下氏が61歳で死去。葬儀は警察が厳重に警戒するなか行われ、全国各地から暴力団関係者が駆けつけた。


取材担当者:田中新太郎が殺されたことについて一切恨みを見せなかったが、その心は残っていたと?

A氏:それは目の前の恐怖、大きな溝したの影に全部隠していたんでしょう。段々と弱っていく親分(溝下氏)を見て、少しずつ少しずつ・・・。


取材担当者:溝下氏は、死ぬまで自分の後継である野村への疑いの心はゼロだった?

A氏:私が会っていた時代に関しては、野村を信用してたと思う。[野村は本当に孝行してくれる]と言ったことがある。


溝下氏の死後、工藤会では溝下派への粛正ともにれる動きが活発になる。溝下氏に近かった篠崎一雄元組長は工藤会によって射殺。また、溝下氏の側近だった江藤充正組長は、引退に追い込まれた後、何者かによって射殺された。


溝下氏が亡くなってから3年後の2011年7月、工藤会後代目継承が行われた。


組員たち:押忍!押忍!押忍!

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