第3話 草野一家と工藤会の統合

1981年2月・・・・・・工藤会と草野一家の抗争は、稲川会などが仲裁に入り和解が成立。


A氏:昭和57年(1982年)頃、溝下が私に言ったことは[将来、暴力団対策法みたいなのができる]ということ。1987年、草野一家と工藤会は統合し、[工藤連合草野一家]が結成された。


溝下を殺すと言っていた工藤会関係者がたくさんいた。(溝下氏に対して)全員が完全に抵抗できないというか、そういう気持ちしか感じられなくなった。


取材担当者:殺すと言っていたヤクザが徒服した?

A氏:そうですね。溝下のカリスマが強かったということでしょうね。


この時、溝下氏と親子の盃を交わしていた組織ナンバー2になったのが、当時[三代目田中組]組長だった野村悟だった。


取材担当者:野村から見ると、溝下氏は自分のかつての親分である田中新太郎氏を殺害した組の当時のトップ。これは複雑な関係じゃないですか?

A氏:それは私も疑問に思ったことがあるけど、本人は、[それは野村とも話をして納得して子になった]と言っていた。


そして、野村は組織内での足元を固めていく。その傍らで野村は1998年、港の公共工事への介入を断った元漁協組合長を配下に命じて射殺した。


取材担当者:溝下氏から見て、野村のどこが優れていた?

A氏:溝下を支えるどうことで、彼の信頼を得たということでしょう。


四代目会長になった時期に野村が作らせたという焼酎がある。金黄色の箱に入った五合瓶には[幻の焼酎・野村]・[北九州・小倉]と記されている。


取材担当者:溝下秀男という人物はカリスマ性があって、それが組織をまとめあげた。野村悟という人物の源泉は何か?

A氏;やっぱり恐怖でしょう。

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