第3話

 翌日、目下の悩みである志々原凜々花ししはら りりかのことを思うと、私はまた憂鬱な気分になる。

 なんだかこう胸の奥が熱くなるような。きっと積もり積もったストレスによって、今まで以上の怒りの感情が煮えたぎっているのだろう。

 だけど幸か不幸か、今日に限って志々原が私へのちょっかいをかけてこない。いつもなら、授業の合間の短い休憩時間だって、お昼休みだって隙を見てこっちに来て嫌がらせしてくるのに。

 来ないなら来ないで、無性にお腹の底からムカムカしてきた。


 ――なに? なんで今日は来ないわけ?


 きっと今もこの状況を遠目に、私を馬鹿にしているんだろう。これも嫌がらせの一環に違いない。

 いつ来るのかわからせないことで、私のイライラを煽っているのだ。でもきっと放課後までには――。


 結局授業がすべて終わって、担任が来て適当に話してみんなが帰り支度を始めても、志々原は私の所へ来なかった。我慢の限界だ。昨日も思ったけれど、今日こそ本当に耐えがたい。一言、はっきり言わないと腹の虫が治まらない。胸のモヤモヤが、苦しいくらいなのに。

 綺麗な顔に湿気しけた表情を浮かべた志々原へ詰め寄った。待っていると帰られてしまう。他の生徒達はもうパラパラと教室から出て行っている。

 私から話しかけるなんて、当然初めてのことだった。


「っなんで来ないわけ!?」

幸坂こうさかっ!? なんであんたがっ」


 いつもの小憎たらしい顔が、驚きで見たことのない表情になった。少しだけ、気持ちがスッとする。志々原も可愛い顔するんだな。


「なんでって、それはこっちのセリフなんだけど。同じ事言い返さないでよ」

「言い返すってなにそれ。……幸坂が急に来るからじゃん」

「はぁ? いつも勝手に来るのはそっちでしょ。それなのに今日はなんで来ないの!?」

「だって幸坂が昨日……」


 図々しいぐらいの口調が、どこか控えめだった。なんだか、しおらしく見える。


「具合でも悪いの?」

「はぁ? 全然元気だけど。なに幸坂、本当あんたこそ熱でもあるわけ? なんか今日の幸坂おかしくない?」

「熱……」


 たしかに体が熱い。でもこれは志々原への怒りが原因だ。


「ある。志々原のせいで」

「あ、アタシ!? なんで、幸坂の熱とアタシが関係わるわけ?」

「ある」

「意味わかんない言い掛かりつけんなって! やっぱおかしいでしょ、昨日だって……」


 言いよどむ志々原の眉間に寄ったしわが、なにか普段のキツい表情と比べるとどこか困っているように見えた。そういう顔していると、いつものすごみのある美人顔もどこかおとなしい。

 私達が言い合いしている間に、教室からは人がいなくなっていた。


「昨日って?」

「具合悪そうにしてたじゃん。態度も悪かったし」

「具合って……」


 志々原との会話から逃げるようにトイレへ行ったことか。そんなのはただ志々原に我慢の限界だっただけだ。でも――。


「私のこと、心配してたの?」

「心配なんてないってのっ! でもまあ、元気ないならそっとして置こうかなって……」

「ふぅん」


 視線を逸らして、どこか所在なさげな志々原が急にいじらしく見えてきた。

 今日に限って絡んでこないのはてっきり遠回しな嫌がらせだと思っていたのに、まさか私の体調を案じていたなんて思いもしなかった。もっと自分勝手なウザ女だとばかり。


「案外、可愛いとこあるんだ」

「はぁっ!? 可愛いってなに!? 幸坂、アタシのことバカにしてんの!?」

「バカにしてなんてない。思ったこと言っただけ」

「だったらやっぱ今日の幸坂おかしいからっ! 可愛いとか、そんなん……」


 そんなん、なに?

 いつも口ごもってしまうのは私の方なのに、今日は志々原の方が黙ってしまう。しかしほんのりと赤らんだ顔には、明確な照れが見えた。こいつ、照れいるのか? 私に可愛いって言われて?


「志々原、私に可愛いって言われて照れてるの?」

「照れてねーってっ!! って言うか、そんな恥ずかしいこと聞く普通!? 幸坂デリカシーとかないわけ!? だからボッチなんじゃんっ」

「そうやってムキになって言い返すのも、照れ隠しなんでしょ」

「バっカじゃないのっ!? そんなわけねーじゃんっ!!」


 口では全力で否定しながらも、気づけば整った顔は耳まで真っ赤になっている。

 と、思うのだけれど麦穂みたいに明るい茶髪は肩より少し長く、肝心の耳は隠れてしまっていた。多分、ピアスが目立たないようにだろう。

 私は彼女の耳がどうなっているのか気になって、つい髪に触れてた。ほとんど無意識だった。


「なっ、幸坂っ!?」

「やっぱり耳まで真っ赤。なに、そんな恥ずかしかったんだ?」

「ふっ、ふざけんなって! やめっ」


 志々原が私の手を払いのけようとする。けれど私はまだ小さな可愛らしい耳が、赤く縮こまっているところをもっと見ていたかった。


「おいっ!? なんだよっ、離せって」

「いいでしょ。もっと見せてよ。ピアスしてないんだね、意外。てっきりいっぱいつけてるかと思った」

「こっ、校則で禁止されてるじゃん」


 彼女の言うことはもっともなのだけれど、少しはだけた胸元にはネックレスがつけられている。


「じゃあこれはっ?」


 髪を押さえていたのとは逆の手で、今度は志々原のシャツの首元を広げた。ネックレスがもっとよく見たくて、第三ボタンも外してしまう。


「へっ、変態っ!! ほんっと、なにすんのっ!?」

「ネックレスはしてるのに、なんでピアスだけ校則守るの?」

「ボタン外すなっ!! 四つ目に手をかけるなっ!!」

「なら質問に答えてよ? 全部外すよ?」


 志々原は抵抗したけれど、私が「おとなしくしろ」って目を見ると、またしおしおと動かなくなった。


「……だ、だって、ピアスは穴開けるじゃん」

「穴がどうしたの? 耳に穴なんて元から開いてるんだし、一つ二つ増えてもいいでしょ」

「バカっ!? それはノーカンだよっ!! っていうか、開けるのが絶対痛いじゃんっ!!」

「え? もしかして……穴開けるの怖くてピアスしてないの? ギャルなのに?」


 たしかにそういう意見は聞く。体に傷をつける行為だし、後も残るのだから軽はずみにすることとも思わない。だけどウザいだけのギャルの志々原がピアス穴に怖がっていたというのは。


「可愛い……やっぱ、可愛い……」

「可愛いじゃねーって!! な、なんなんだよぉ……本当に、幸坂……いつも全然アタシのこと相手しないくせして……」

「志々原、私に相手してほしかったわけ? だからずっとダル絡みしてたの?」

「ダル絡みって……別に、普通に話しかけてただけじゃん」


 いやいや、十分ダルくてウザい絡みだったって。だけど今日の彼女は――。


「へぇー、じゃあ望み通りいっぱい相手してあげよっか。何してほしいの? おしゃべりの相手? 一緒にトイレ行く?」

「なっ、幸坂なんなのっ。アタシはそんな……」

「あれ、志々原はもっと違うのが望みだった? そっか、例えばこういう?」

「だから服を脱がそうとするなっ!! 先生呼ぶぞっ!!」


 ギャルのくせに、これくらいで騒がないで欲しい。うるさい口だな。いつもいつもそうだ。私は静かに漫画読みたいのに、邪魔ばっかりしてくる。

 でも小さくて色素のちょっと薄い桃色の唇は、なんだか無性に愛おしい。いや、違う違う、憎らしい。ムカつくから、黙らせないと。だけど片手は髪と一緒に志々原の頭を押さえ込むのに使っていて、もう片方は志々原を脱がせるのに忙しい。

 そうなると口を塞げるのは。


「――――っ!? こ、幸さっ!?」

「むむふぁい」


 私の唇で志々原の唇をすっぽり押さえ込んだ。だけど志々原が暴れ口を動かすからまだ静かにならない。こうなったら隙間を埋めるようにして、口の中にも何かを詰め込んで――。


「きょ、ひょうひゃかぁっ!?」

「んねぇろ」


 志々原の口に入れた舌をそのままかき回すように動かす。彼女の歯や舌をねぶっていると、やっと志々原がおとなしくなった。騒がないならゆっくりと彼女の口を堪能しつつ、服を脱がしていつも見えそうで見えなかった下着と胸を鑑賞して――。

 ――あれ? 私、何しているんだ?


「こ、幸坂ぁ……」


 唇を離すと、瞳を潤ませた志々原がか細い声で私を呼ぶ。どうかしました?

 ――じゃないよ! 私、いくらウザかったからってカースト頂点のギャル相手になんてことしちゃったんだっ!?


「えっ、あの、ごめんね、志々原! 私えっと急用が……お使い頼まれてて……」


 乱れた志々原の服装を慌てて戻し、ボタンを掛け違いえたけれどこれ以上この場にはいられないと、教室から飛び出した。


「幸坂ぁっ!! お、置いてかないでよっ」


 知らん知らん、アデュー! 当然私は、友人である折部おりべの家へと足早に向かった。

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