第2話

 折部おりべの部屋の壁に貼られたポスターと目が合う。和服を着たイケメン男子だ。

 ゲームのキャラらしいから私は詳しいことはまるで知らないが、どうにもアンニョイな表情を浮かべていて色っぽい。

 ――えっと、それでなんだっけ? 催眠アプリ?

 けったいな単語に、私は思わず聞き返していた。折部もどこちなくぎこちない笑みで、「あーいや、その」と口ごもる。


「折部、変な漫画の読み過ぎじゃない? なに催眠アプリって。ないよ、そんなのない」

「あたしもそこまで信じているわけじゃないけど、ほらこれ」

「えぇ?」


 そう言って見せられたスマホの画面には安っぽいフォントで『催眠アプリ』と書かれていた。そのまんまだ。なんだこの小学生のイタズラみたいな代物は。


「タップするとかける催眠の内容が選べてるみたいで」

「ふーん」


 画面に触れると、いくつかの選択肢がズラっと並んで出てくる。


「えっと……『エッチな気分にさせる』……いやいや、やっぱ漫画でよく見るあれだよね? ふざけてるよね?」

「あはは。まあ、そうなんだけど。でもこれが本物だったら志々原ししはらさんへの仕返しもできるのになって」

「エッチな気分にさせてどうしろとっ!!」


 志々原は美人だけれど、私にそういう趣味はない。それにあいつ、背は高いけど胸は小さめだしな。多分、私の方が大きい。むっ、まさかあいつ私の方が胸が大きいからそれを妬んでいるのか?


「でも他のやつならさぁ……ってあんまり使えそうなのないね。『感度百倍』ってなに?」

「…………なんだろうね?」


 適当に話を逸らす。愚痴も言い終わったし私は漫画タイムへ移るつもりだったけれど、折部はまだアプリが気になるようだった。


「あ、これは『百合にする』だって。ほら、これ使って、志々原さんに惚れてもらったら優しくしてもらえるんじゃない?」

「惚れられたくないし、優しくしてほしくもないんだけど」

「えー、でもさ、仲悪い二人が恋に落ちるとかよくない?」

「よくないっ! それこそ漫画の読み過ぎっ」


 カースト頂点にしてウザ女、志々原への不満を聞いてもらっていたはずが、どうして私と彼女が恋に落ちなくちゃいけないのか。ありえない。落とすなら地獄だ。もちろん志々原一人だけ。

 私はため息をついて言う。


「だいたいさ、催眠とかそんなのあるはずないじゃん」

「まあ、そうだけど。でも本物かどうか一回くらい試してみたくならない?」

「……試せば?」

「自分だとちょっと怖いし」


 だから志々原で試してみろ、というのが折部の本音らしい。確かに志々原だったら催眠アプリの効果で『感度百倍』になっても私の知ったことではない。なっても得はないけれど、あいつが少しでも不幸な目に合うなら十分憂さ晴らしにはなる。


「……まあ絶対効果ないと思うけど、やってみるだけいっか」


 無料アプリで変な登録が必要なものでもないなら、遊びで使っても面倒なことにはならないだろう。もちろん万が一のことを考えると自分に使うのも避けたいけれど、志々原ならどうなっても構わない。いや、むしろ催眠の効果とか副作用ですごい目に合ってほしい。

 私は折部からスマホを渡してもらって、適当に操作する。試すとして、どうやったら催眠がかけられるのだろうか。


「あーこの『催眠実行』ってボタン押せばいいの? これ押したらターゲットとか選べるのかな?」

「え、ちょっとそれ待った方が」

「ん?」


 言われたときにはもう遅く、私がタップし終えたスマホは画面をピカピカと光らせながらキュイキュイと鳴る。激しい明滅と機械音が頭に刻まれていくようで、私は驚いてスマホを落とした。するとどこかのボタンに触れたのか音が止んだ。


「だ、大丈夫?」

「う、うん。……それより、ごめん。スマホ落として」

「えっと、うん。こっちも大丈夫そう。……それより、平気? 催眠かかってない?」

「……うーん?」


 変な光と音に多少くらっと来ただけで、気分が悪くなったり、頭がぼんやりしたりなんてこともない。


「大丈夫そう。……でもそっか、画面見せて催眠かけるのか。これだと志々原に試すの難しいかも」

「あー、そうだね。催眠かけようとしたの、志々原さんにバレバレだもんね」


 アプリだしもっと簡単にかけられるかと思った。でもそういえば漫画とかで出てくる催眠アプリもこんな感じだったかも。私は基本的にどんな漫画でも読むけど、催眠アプリにそこまで詳しいわけじゃないからな、知らなかった。


「でも効果なしかー。まあそうだよね。それに効果あったら今頃、幸坂が……えっと何の催眠選んでたの?」

「そっちはいじってなかったから……あー多分、百合?」

「えっ。もしかして、なった? 百合なった?」

「……いや?」


 折部が笑いながら聞いてくるけど、やはり私が何か変わったような様子はない。


「なーんだ。残念、あたしと幸坂のラブコメが始まるかと思ったのに」

「ないない。始まるのは漫画タイムだから」

「『きらら』ってこと!?」

「……そういう意味じゃない」


 つまないことを言う折部に呆れながら、私は立ち上がって本棚を勝手に物色する。壁のポスターとまた目が合った。優男が、なんだか腹が立つ顔に見えてくる。あれ、こんな顔だったっけ? もっとこう色気のあるイケメンに見えてたけど……案外好みじゃなかったのかな。

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