第6話

 澪子の後ろ姿を眺めながら、沙沼で過ごした頃を思い返していた。誰が見ても理解し難い理不尽にさらされていたはずだ。けれど僕がそれによって澪子に吐いた言葉はもう取り戻せない。人を呪ってしまった。それは夢の話などでなく現実として澪子の目の前で吐いた言葉だった。お互いまだ子供であった。とはいえ僕はずっと後悔してきた。それは僕に対する父たちの理不尽さと同じである。贖罪でここにいるのではない。僕はただ自分がこの呪いの連鎖から逃れたい一心でここにいるのだ。澪子の幸せを願い、あの日の言葉が本意などではなかったと自分に言い聞かせたいだけだった。

 三献の儀、将生から受けた盃を澪子が、そしてまた将生へと継がれる。誓いの指輪が交わされ、誓詞を読み上げる二人。その瞬間、胸騒ぎがした。腹の奥底から内臓を食い破られるような嫌悪感。それは心臓に絡みついてギリギリと締め上げる。同じだった。山の祠の前で体験した恐怖。けれどなぜ今なのだ。僕は床板に手をついた。嘔吐が込み上げるのを必死に抑え込む。様子がおかしいのを察した母が僕の側へと寄った隙にそれは起こった。

「市哉、どうかしました 具合が悪いなら」

「大丈夫です すみません」

 僕が正気を戻しつつあるのと同時に澪子が膝をついた。苦悶の表情で口を覆う。ひどく苦しむ様子を見て将生が肩に手を回し支えたが澪子はそれを振り解いて悶えはじめた。あまりの取り乱し様に一同は呆然としたまま立ち尽くす。

「澪子! どうしたの! 誰か早く! 医者を呼んでちょうだい! 早く! 澪子ォオ」

 母は澪子の背に触れて必死に声をかけ続ける。澪子は全身をのたうつ。口元をおさえた手の指の隙間から血が漏れていた。母は悲鳴まじりに澪子の名を叫ぶ。その呼びかけも虚しく澪子は一瞬力が抜けたように虚ろな目つきを見せると口元から血飛沫をあげてその場に倒れた。

「澪子! 澪子! ねぇ? 澪子ォオァ アアァアア」

 母の悲痛な叫びが響き渡る。その腕の中で白無垢を染めた鮮血は惨状とは裏腹に艶やかな花のように映った。他の人間が徐々に事態を飲み込み始めると社の本殿は騒然となった。そんな中で僕だけはまだ立ち尽くしたまま澪子の上に咲いた花を見つめていた。なぜ澪子が。そんな思いがずっと巡った。僕があの日、代わりに死ねと言ってしまったからなのか。僕が澪子をこんな目にあわせてしまったのか。そう思うと何も出来なかった。母のように慌てふためいたり、悲しむことさえ僕には許されない気がした。


 澪子は駆けつけた救急隊員に運ばれていった。同時に到着した警察から現場保存のために僕たちはその場に残された。一人ずつ聴取が執り行われる中で僕は澪子になんとか助かってほしいと祈り続けたが澪子が運ばれてから三〇分ほど過ぎた頃、病院より連絡を受けた刑事の口から澪子が亡くなったと告げられた。母はその知らせを聞いた途端に気を失ってしまった。清蔵が僕の胸ぐらを掴んで言う。

「貴様が 貴様が澪子を殺したんじゃあ!」

 そのまま拳を振り上げた時、僕は澪子のことで頭がいっぱいでなんの抵抗も出来なかった。清蔵は刑事や将生に止められて引き剥がされたが僕は清蔵に言われたことを真実のように捉えて涙が止まらなくなった。何度も地面を殴りつけたせいで拳が裂けた。

「やめなさい 事情は知らんがあんたが悔いても彼女が生き返るわけじゃない 皆さん少しよろしいでしょうか 詳しいことは現時点でまだ捜査中ですが沙沼澪子さんの死因は毒物による窒息死でした このことから澪子さんは他殺であった可能性があります 本件はこれより殺人の可能性も含めて捜査を行います あなた方には事件の関係者として聴取を行いますので何卒ご協力願います」

 殺人。僕には自責があった。僕と澪子の過去について。けれど刑事の言葉を受けて澪子が苦しみはじめた瞬間を振り返る。僕が実際に澪子を手にかけたわけではない。ならばこの中にそれを行った者がいるのだ。今一度、この場にいる者の顔を見遣ると誰もが怪しく見えた。澪子は死んだ。残された僕に出来ることは警察よりも早く、その悪魔を見つけだしてこの手で殺すこと。静かに灯った憎悪の火は決意の上で一層強く燃える。体の内側で夥しい数の蟲が這いずる音がした。

 

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