第38話 アリババと1人の盗賊

 〈ジャムラ〉に雨が戻ってから1週間が過ぎた。

 ヴィ―ドは街はずれの小さな墓場を訪れる。


「よう、アリババ」


 ヴィ―ドはアリババの墓に花を添える。


「近い内に俺はこの街を離れる。物を売りながらユニを探すつもりだ。長い付き合いだったが……これが最後の挨拶だ」


 ヴィ―ドはアリババの墓を見つめながら思い出す。

 自分と、アリババの過去を――



 ◆



 ヴィ―ド=カタストロフ。彼が10歳の時のことだ。

 災厄の召喚士グリフによって100の悪魔が世に放たれた。

 ヴィ―ドの故郷は7番目に召喚された悪魔アリスによって滅ぼされた。ヴィードの両親はアリスによって殺された。


 ヴィ―ドと妹ユニと、親友のアリババ、そしてアリババの姉のヘレンのみが悪魔の手から逃れた。


「おにいちゃんっ……! おかあさんとおとうさんがしんじゃったよ……!」


 泣きじゃくる妹をヴィ―ドは慰める。

 ユニはまだ4歳、この非情な現実に耐えられる歳じゃない。


「どうして、こんなことに……」


 アリババの姉、ヘレンは放心状態だった。目の前の出来事を、きちんと認識できていない。


「くそっ! これからどうすりゃいいんだ……!」


 ヴィ―ドもまだ心の整理はついていなかった。

 4人の中で唯一冷静だったのはアリババだ。


「ヴィード。俺とお前でユニと姉さんを守るんだ」


 アリババは故郷を出る直前にそう言った。

 それから4人は場所を転々としながらたくましく生きていく。悪魔がこの世から滅ぶことを信じて。


 そして5年後、ヴィ―ドとアリババが15歳の時にグリフは打倒された。

 グリフを打倒した召喚士の名はシンドバッド。ヴィード達は彼を讃え、喜んだ。


「これで俺達を脅かす奴は誰もいない! 俺達は自由なんだ!」


 アリババは無邪気に喜んだ。


「アリババよ、喜ぶのはいいが、俺達に金がない状況に変わりはないぜ。商売を始めよう」

「ああ、いいぜ。俺とお前が組めばできないことはない」


 ヘレンもユニも5年という時で平常心を取り戻していた。

 4人は商売を始めた。各地で拾った骨董品を売る店だ。店は小さかったが、ヴィードの交渉術とアリババのカリスマで売り上げを伸ばしていった。


 ようやく、彼らの人生は好転し始めたのだ。なのに、別の悪魔が彼らの前に現れた。


 姿形は同じ人間、しかし心は悪魔よりも下衆な一派が彼らの店を襲った。


「男はいらねぇ。女と金を奪え!」


 一派のリーダーが言うと、賊はヴィ―ドたちの店の商品と金、そしてヘレンとユニを奪おうとした。


「ユニ! ユニィ!!」

「たすけておにいちゃん!!」


 この時のヴィ―ドとアリババはまだ召喚士ではない。

 召喚術を使う賊に、勝てるわけがなかった。


「俺達はシンドバッド海賊団だ。逆らう奴は皆殺しにする。おとなしくしてろ」

「シンドバッド……だと!?」

「そうだ。あの大英雄の海賊団さ」


 男は鋭く尖った目をしていた。人を殺すことを何とも思わない冷酷な目をしていた。

 ヴィードは男の瞳を見て、一歩も動けなくなった。だがアリババは――


「姉さんを返せ!!」


 アリババは1人、男に立ち向かった。


「へっ! いいじゃねぇか、お前は良い眼をしている。そこの腰抜けと違ってな」


 アリババは腹を蹴り飛ばされ、地面に転がる。男はアリババの顔を踏みつける。


「弱い奴はこうやって搾取されるのみさ。お前の姉はこれから俺達の食いモンになって一生その身を汚され続ける。お前が弱いばっかりにな」

「さ、せるかよぉ!!」

「気合いだけじゃなにもなせやしない。俺を憎め、恨め、俺を殺すことだけを考えて生きていけ。手段は選ぶな。俺と同じ、餓狼にならなきゃ俺は殺せない。牙を研ぎ、殺意を研ぎ、俺を殺しにこい」

「き、さまああああああああああああっ!!!」


 ヴィ―ドとアリババは気を失うまで殴られ、気づいた時には店も家族も失っていた。

 アリババは立ち上がり、決心を口にする。


「……アイツらを、シンドバッド海賊団を消さなきゃ気が済まねぇ」

「アリババ……」

「俺はやるぞ。どんな手を使ってでも、アイツらを殺す!!」


 それから2人は盗賊へと身を墜とす。

 盗みを繰り返し、力を手に入れた。霊器を、精霊を手に入れた。

 手段を選ばずに奴らの喉元に近づくことだけを考えた。だが、人を殺すことや、痛めつけることはできなかった。まだ、粒ほどの良心が残っていたのだ。


 しかし、アリババに残っていた小さな良心はある一件で粉々になる。


 偶然だった。

 歓楽街の隅っこで、アリババは自分の姉を見つけた。


「姉さん……?」


 昔のおしとやかなヘレンからは想像できない、露出の多い恰好をしていた。

 彼女は全身に殴られたような跡を作り――絶命していたのだ。


「姉さん! 姉さん! ねえさああああああああんっっ!!!」


――この時、アリババは完全に悪に落ちたのだ。


 それからしばらくして、2人はとある誓約碑を貴族から盗んだ。

 ウンディーネの誓約碑だ。


「は、はは! 一年みっちり計画立てて、ようやく盗めた! コイツは国1つ滅ぼせるほどの水害を起こせる精霊だ!!」

「アリババッ……! そいつを使ってなにをする気だ!」

「なにって、決まってるだろ? あのクソ海賊共を皆殺しにするのさ!!」

「奴らを倒すのは賛成だ。だけど!」


 ヴィ―ドは一冊の本を出す。


「誓約碑と一緒に盗んだウンディーネの解説本だ。これには、ウンディーネは代償に召喚主の命を奪うと書いてある!」

「だからなんだ? 適当なやつに召喚させればいいだろ」

「……復讐に他人を巻き込む気か」

「これまで多くの罪を犯しておいてよく言うぜ。もう計画は立ててある」

「なんだと?」

「どうやらウンディーネはかなり召喚主を選ぶらしい。だから国を利用して召喚主を探す。ここから船でしばらく進むと砂漠の国がある。雨を失った国だ。雨を餌に、国王に召喚主探しを手伝わせる。国1つ分の人口なら1人ぐらい適正者がいるだろう。ここ数年で有能な協力者も何人か見つけた。奴らも連れて行く」

「……付き合いきれねぇぜ」


 ヴィ―ドはアリババに背を向ける。


「いいよなお前は。妹の死体を見てないんだから」

「――ッ!?」

「妹の死体を見てないから、まだ手段を選べるだけの余裕があるんだ」


 図星だった。

 まだヴィ―ドは妹の生死を確認していない。まだ、妹が生きている可能性がある。それだけが救いだった。妹の死体を見ていないから、良心を消さずに済んでいた。


「船出は明日の朝だ。必ず来いよ」


 ヴィ―ドはアリババと、バルゴ、キツツキ、フーランと共に〈ジャムラ〉へ行った。この5人が最初の五竜星だった。

 そして1年も経たない内にヴィ―ドは五竜星をやめ商人となった。ヨルガオがアリババの精霊になり、五竜星になったのはそれから4年後のことである。



 そしてヴィ―ドが商人になって5年後、1人の漫画家が〈ジャムラ〉を訪れる――



 ◆



 ヴィ―ドはアリババの墓を見下ろし、いつかの日を頭に巡らせる。


「あの船出の時にお前を止めるべきだった……いや、他にもお前を止められるタイミングはいくらでもあった。それでも俺が動かなかったのは、どこかでお前の復讐が成功することを祈っていたからなんだろうな……」


 アリババは姉の死体を見た。姉が生きている可能性が0だった。

 だがヴィ―ドは妹の死体を見ていない。まだ生きている可能性が1%でもある。 


 たったそれだけの差だ。


 もしもあの時の死体が、アリババの姉ではなく、ヴィ―ドの妹だったら、今頃墓で眠っているのはヴィ―ドだっただろう。


「俺とお前にとって『正しい道』ってのは、家族をどれだけ奪われても意に介さず、憎しみを忘れ、コツコツと仕事について、愛する人を見つけて、結婚でもしてよ。のんびり余生を過ごすことだったんだろう。俺もお前も、それはわかってたよな」


 でもよ。とヴィ―ドは言葉を続ける。


「正しい道が幸せかなんて、幸せな道が正しいかなんて、誰にもわかんねぇよな……」


 そう言ってヴィ―ドは墓に背中を向ける。


「あばよ、親友」


 こうして、アリババと1人の盗賊の話は幕を閉じた。

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