第37話 水霊の儀

 幼児化したヨルガオはもう戦闘態勢を解いていた。


「アリババ様。私はもう戦力になりません」

「ちっ!」


 アラジンはヨルガオを見る。


(召喚獣を維持するのには決して少なくない魔力を使うはず。ヨルガオが戦力外になってもヨルガオを消さないということは、それほどヨルガオが貴重な戦力ということ。アイツの手札にヨルガオ以上の存在はそう居ないと見た)


 アラジンの予測が正しいことを焦ったアリババの表情が示していた。


「まだだ……まだ終わってねぇ!」


 アリババは安っぽい、ボロボロの木の横笛を出した。

 笛を吹くと、一匹の小鬼――ゴブリンが現れた。


「そんな雑魚でなにができる?」


 アリババは笛を吹くのをやめない。

 笛の音が鳴り続くと次々とゴブリンが召喚されていった。


(1匹や2匹じゃない。30は居るぞ!? 

 1本の鍵笛でこれだけの精霊を呼び出せるものなのか!)


 アラジンが動揺したのは鍵笛の容量についてであり、決して劣勢に立ったからではない。

 アラジンは指を横に振り、一気に10匹のゴブリンを薙ぎ消した。


「悪あがきもいい加減にしろ!!」

「おい……なに抵抗してんだ? こっちには人質がいるんだぞ?」


 アリババはアラン王とスノーに指を向ける。

 2人は今、赤鬼と青鬼に捕えられている状態だ。


「お前……!」

「おとなしくしろ。でないと2人ともぶっ殺す!」


 アラジンは攻撃をやめる。

 ゴブリンたちが襲い掛かってくる。


 ゴブリンはアラジンを殴り、蹴り、噛みつき、ひっかいた。


 絶え間ない攻撃が続いた。


 アリババは苦虫を嚙み潰したような顔をする。ゴブリンたちは攻撃に疲れ、恐れおののいた目でアラジンを見る。


 アラジンは服こそ乱れてはいても、肉体へのダメージはほんの少しだけだった。


「なんだよ……なんなんだよテメェは!!」


 アリババはスノーに目を向ける。


「こっちへ来い!」

「きゃっ!?」


 アリババはスノーの腕を引っ張り、ウンディーネの誓約碑の前へ連れていく。


「ウンディーネと契約しろ!」

「い、嫌です……アリババ様、もう諦めてください。あなたの負けです」

「ああ、計画が頓挫したことは認めよう。だがまだ負けてはいない! ――お前がウンディーネを使ってアイツを倒すんだ!」

「そんなこと、できません!」

「やらなきゃジジイを殺すぞ!」


 赤鬼がアラン王を握りしめる。アラン王の悲鳴が響き、スノーの顔が青ざめる。


「俺はここで終わるわけにはいかねぇんだよ!!」


 アラジンは体の後ろに右手を隠し、アリババにバレないように魔神の指に魔力を溜めていた。


(もう、一息で殺るしかない)


 アラジンが決心した時、

 サク。と、サッパリとした刺突音が聞こえた。



「が、は?」



 アリババの胸からが生えている。

 アリババの影、そこにはヨルガオがいた。ヨルガオは元の15歳ほどの容姿に戻っている。ヨルガオの握る骨槍は背中からアリババの胸を貫いている。


「精霊を多数展開することには多くのリスクがある。その内の1つが『縛りが甘くなる』こと。加えて、私が幼児化したことで誓約を緩めましたね? アリババ様」

「ヨルガオ、貴様っ!」


 ヨルガオは槍を引き抜く。

 アリババはスノーを手放し、胸の傷に手を当てる。


「お前、どうして元の体に……!」


 アリババはヨルガオの足元にある瓶を見る。瓶の中には赤い液体が少量残っている。


「人間の血液をストックしていたのか!?」

「血を飲めば元の体に戻れる。こんなこともあろうかと備えていました」

「わかっているのかっ……!? 召喚主を殺すことは精霊界の禁忌だぞ! 二度と、お前は精霊界に帰れなくなるんだぞ!!」

「承知の上です。私はあなたの下で多くの罪を犯した。その罰を受けるだけです」

「精霊界に帰れず、誰とも契約できなくなったお前はただ消えるだけだ! 考え直せ! お前ならまだ俺を治せるはずだ!!」

「できません」

「ぐっ!?」


 アリババは地面に倒れこむ、地を這って前に進む。


「俺は、俺はまだ……!」


 地を這って進むアリババの前に、1人の男が現れる。


「アリババ……」


 ヴィ―ドだ。

 ヴィ―ドは全身傷まみれで、血を流している。だがここにいるということは、あの五竜星の3人に勝利したということだろう。


「ヴィ―ド!!」


 アリババは嬉しそうな顔をする。


「や、やっぱりお前だけだ。お前だけが信頼できる! 助けてくれ! 俺はまだ仇を討っていない! ユニの、ヘレン姉さんの仇を!!」


 ヴィ―ドは哀れんだ目でアリババを見る。


「復讐を否定する気はないぜ。だがな、あの世にいるヘレンさんに顔向けできない真似してまで、成すべきことじゃない」

「……っ!?」


 ヴィ―ドの言葉を聞き、どこか納得したような顔をして――アリババは息絶えた。

 アリババの精霊がヨルガオを残してすべて消える。ヨルガオは影の部分を踏んで宝物庫の出口へ向かった。


「ヨルガオ、これからどうする気だ?」

「死に場所を探す。放っておいてくれると助かる」


 ヨルガオは宝物庫を出て行った。


「アラジン様!」

「うおっ!?」


 スノーが勢いをつけてアラジンに抱き着く。


「ヨルガオ様からアラジン様は死んだと聞きました……それに髪の色も青色になっていて、いったい何があったのですか?」

「あー、色々とあってな」

「アラジンよ」


 アラン王がアラジンの前に歩いてくる。


「我々を助けてくれたこと、心より感謝する。しかし、礼は後回しでもよいだろうか。これからやるべきことがある」

「水霊の儀のことか」


 スノーの顔が暗くなる。アラジンはスノーの頭をポンと叩き、


「ウンディーネとは俺が契約する」

「え?」

「俺の力でこの国に雨を取り戻す」


 スノーは「いけません!」と声を上げる。


「アラジン様を犠牲にはできません」

「つーかよアラジン、お前霊器召喚士だろ? ウンディーネとは契約できねぇだろ」


 アラジンはウンディーネの誓約碑の前に行き、誓約碑に書かれた文字を見る。


「我は海より産まれ、海へ還る水神の涙。慈悲の雨を魂と引き換えに与えよう――招霊せよ、ウンディーネ」


 誓約碑は海のように青いフルートになった。


(誓約碑に書かれているのは精霊の言語。だから二つ目の願いで全ての言語に対応した俺なら読める。誓約碑を読めれば契約できるというルールならば、俺は全ての霊器・精霊と契約できるということになる)


 ヤミヤミのでたらめな力によって成しえたルール違反である。


「おいおいマジかよ。霊器と精霊、どっちとも契約できる人間なんて聞いたことないぞ!」

「いいや、過去に1人だけ、霊器も精霊も従えた男がおった」


 アラン王はその名を思い出す。


「災厄の召喚士グリムを倒した英雄、シンドバッド。

 彼はこう呼ばれていた、至高の召喚士マスターサモナーと」


「では、アラジン様はシンドバッドと同じ、至高の召喚士マスターサモナーというわけですか?」

「そういうことになるだろう」

「やれやれ、アイツが何者なのかどんどんわかんなくなってきたぜ」

「で、ですが、ウンディーネをアラジン様が召喚することは、アラジン様の命が代償として奪われるということ。そんなこと、させるわけにはいきません」

「大丈夫だよ、アイツは死ぬ気なんてないさ」


 ウンディーネと契約を終えたアラジンはヴィ―ドたちの集まる場所へ足を運ぶ。


「ヴィ―ド。俺を砂漠のど真ん中へ連れて行ってくれ」

「……やるのか?」

「ああ。決着をつける」



 ◆



 砂漠の真ん中で、アラジンは1人で立っていた。

 アラジンはウンディーネの鍵笛を吹く。すると透き通るような白い肌を持った巨大な人魚が現れた。


「私は水を司りし精霊、ウンディーネ。水に関わる願いを叶えましょう。ただし、あなたの命と引き換えにね」

「この砂漠に雨を取り戻してくれ。代わりに俺の命を捧げよう」

「いいでしょう」


 ウンディーネは両手を合わせ、目を閉じた。 

 その隙にアラジンはイフリートの指輪を召喚し、指に嵌める。

 黒い雲が空を覆い始めた。

 黒い雲より産み落とされる雫が、乾いた大地に落ちる。


 〈ジャムラ〉の人々は天の恵みを見て、笑う者も居れば泣く者もいた。


「さて、願いは叶えた。代償を貰いましょうか」


 仕事を終えたウンディーネは目を開き、怒りの形相を浮かべた。


「貴様ッ!」


 アラジンは魔神の指に魔力を溜め込み、デコピンの形を作っている。


「俺の命は渡せない」

「約束を反故にする気か!?」

「すまない、ウンディーネ。この借りはいずれ――」

「きさまああああああああああああっっ!!!!」


 誰も見ていない砂漠で、巨大な爆発音が鳴り響いた。


「終わった」


 ウンディーネを倒したアラジンはウンディーネの鍵笛を手に取る。

 笛はピキッと音を立て、割れ崩れた。


(これが代償を無視した結果か)


 アラジンは全身に雨を浴びながら、天を仰ぐ。


「……ありがとな、ヤミヤミ」

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