仕立て屋LIFE~あなたの1日、仕立てます~

沙月

第1話 注目を浴びるデニムジャケット<前編>

 私―水谷舞月みずたにむつきは、大学の狭い通りにあるベンチに一人座している。特に用事があるわけではないが、沢山いるはずの友人と遊ぶ気にもなれず、家にいるのも飽きてしまったからここに来た。二限目が始まってすぐのこの時間にここを通る人はほとんどいない。私はここで、今までの人生を振り返っている。

 私は幸せだと思う。父親はちょっとDV気味だけど一年前に単身赴任になってほとんど帰ってこないし、母親はそんな父親にはもったいないのではないかというほど美人で優しい。私には妹と弟がいるが、「お姉ちゃんだからしっかりしなさい」と言われることも特段なく、割と自由に生活させてもらっていた。値の張る私立大学には親のお金で通っているし、週3日4時間程度のアルバイトで稼いだお小遣いでたまに友人と朝までバカ騒ぎする。普通に幸せな大学生だと思う。でも、私はこの人生が退屈でたまらなかった。思えば、私は人生で大きな決断をしたことが一度もなかった。高校や大学の進学も、親が勧めてきた学校をなんとなく選んで受験した。成績は中の下ぐらいの私が、そのレベルを鑑みると相当いい大学に受かった時には、両親も凄く喜んでいた。ただ、特に受験勉強を頑張ったわけではなく、高校3年生の時に課されていた宿題をなんとなくこなしていたら運よく受かってしまった。大学に入ってからも夢ややりたいことはなく、時間が来たら講義室に向かって、適当に教授の話を聞いては、たまに行われるテストを解くだけで単位がもらえる生活だった。しかし、そんな生活ももうすぐ終わりを告げる。私は4回生。年も明けて一月になってしまった。あと3か月もしたら私は社会人になってしまう。なんのためになるのかもわからない話を聞いて単位を集めればよかった生活から、自分の頭で考え、自分より幾つも年上の人間の指示を聞きながら行動する生活に変わる。あぁ、そういえば、就職先の会社も、なんとなく内定もらえたから行くことにしたんだっけか。今までは無責任で自由だった私が、社会という名のジャングルに突然放りだされてしまう。それが漠然と不安でたまらなかった。こんな私が社会で生きていけるはずがない。わかっていても、それから逃れる勇気もない。そうやってなんとなく、私は社会の歯車となって、なんとなく何十年も過ごしていくのだろう。そう考えると・・・

「人生なんて退屈だ。」

誰もいない通りで、思わずそれを口に出したくなった。そうしないと、この気持ちが私の中で膨張し続けてしまうと思った。心につっかえていた気持ちを言葉という形に変えて外へ出したからか、ぽかりと空いた空間をぼんやりと捉えるような感覚になった。そのままぼーっとしていると、背後から声が聞こえた。

「退屈、ですか。」

私は驚いて振り向いた。そこにいたのは、紺色のスーツを着た中年の男性だった。

「わぁ、びっくりしたぁ。」

「ここは素敵な場所ですね。静かで。」

「え、えぇ・・・。」

「あぁ、申し遅れました。私、こういうものです。」

手渡された名刺には藍沢岳と大きく書かれていて、その上には仕立て屋LIFEと書かれていた。

「仕立て屋?」

「はい。しがないおじさんではありますが、仕立て屋を営んでおりまして。」

「はぁ、そうですか・・・。」

仕立て屋さんがこんな時間に、しかも大学の敷地内でなんの用だろうか。もしかして、もうすぐ卒業式だからスーツとか、その類のオシャレ着の営業だろうか。

「お名前は?」

「水谷です・・・。」

あまりにも不意に尋ねられたために、反射的に答えてしまった。こんな怪しい人に本名を伝えてよかったのだろうか。

「水谷さん、人生が退屈だとおっしゃっていましたね。」

やっぱりあの一言は聞かれていたのか。そう思うと、頬のあたりが熱を帯びていくのを感じた。恥ずかしさのあまり、私はそれとなく返事を返すことしかできなかった。

「はい、まぁ・・・。」

「ちょっとだけ違う人生を生きられるとしたら、ご興味はありますか?」

「違う人生・・・?どういうことですか?」

「ここでは全てをお話することはできません。しかし、その退屈な人生を変えたいと思い、覚悟ができましたらその名刺にある住所までお越しください。私はいつでも水谷さんをお待ちしておりますよ。その時は、水谷さんの1日を仕立てさせていただきます。」

私はその名刺に再び視線を落とした。ここからは少し遠いが、行けない距離ではない。違う人生を生きるってどういうことなんだろう。そんなにいい服を仕立ててくれるってこと・・・?どれぐらいするんだろ。高いのかな?気になることを訪ねようと視線をあげた時、藍沢さんの姿はなくなっていた。まだ近くにいるのではないかと思い、ベンチを立って近くを探してみたがどこにもいなかった。40代後半ぐらいに見えたけど、かなり足が速い方なんだと思った。


 私は家に帰り、リビングのソファーに寝転んだ。時計は12時15分を指している。今の時間は、家族は全員出払っていて私しかいない。家族が嫌いなわけではないが、自宅に誰もいないこの時間が好きだ。誰のことも気にせず、家族で共有するはずの空間を独り占めできるから。私はそんな小さい幸せを感じながら、ポケットに突っ込んでいた名刺を取り出した。


―ちょっとだけ違う人生を生きられるとしたら、ご興味はありますか?


藍沢さんの顔が脳裏に映し出されて、渋い声が聞こえてくる感覚がする。いろいろ思うところはあるけど、確かに私の人生はこのままでもつまらない。だとしたら、ちょっといい服を買って街を歩くみたいな日があってもいいのではないかと思った。怪しい人ではあったが、暇だし、怖いもの見たさもあったので、私はここへ向かおうと決心した。


 次の日、私はこれから名刺に書かれた住所へ向かう。この学年になると大学の講義なんてほとんど受ける必要はない。今日も平日なのに学校に行く必要はない。朝はゆっくりと起きて支度をし、結局、外へ出たのは11時頃になった。冷たい風と暖かい陽の光が心地いい。30分ほど電車に揺られて、大学の近くにある大通り。そこを学校の方へ向かうのではなく、少し入り組んだ狭い路地を奥へ奥へと進むとこじんまりと佇むお店があった。ショーケースには3着のスーツが飾られていて、その窓ガラスにはLIFEとオシャレな文字で書かれている。仕立て屋と聞くと老舗が多いイメージがあったからボロボロのお店なのかと思っていたが、その見た目はまるで西洋を思わせるほど綺麗で、こんなただの大学生がお邪魔してよいものなのかと不安になった。扉を開ける前に深呼吸をして、前方に力を入れた。すると、ベルの音がカランカランと鳴った。ゆっくりと歩みを進めて中に入ると、そこには以前会った藍沢さんの姿があった。布を広げて作業をしていた様子だが、手を止めてこちらを向いた。

「あぁ、水谷さん。お待ちしておりましたよ。思ったより早くいらっしゃってくれましたね。」

「あ、すみません。もしかして営業時間外ですか?」

「そういうわけではありませんよ。ただ、いらっしゃるまでもう少しお考えになられると思っていましたから。」

「それってつまり、私がいつか来るだろうと確信していたってことですか・・・?」

「さぁ、それはどうでしょう。」

藍沢さんは少し含みを持った笑みを浮かべている。私はそれが少し気味が悪いなと思って、もしかしたら凄く高い服を売りつけられるのではないかとか、変な営業でもかけられるのではないかと悪い想像ばかりが頭を巡った。向こうのペースに持っていかれないようにと、私はとりあえず気になっていることを尋ねることにした。

「と、ところで、」

「はい、なんでしょう。」

「違う人生を生きられるって、どういうことですか・・・?」

「やはりご興味がおありですか。お話することは可能ですが、この件は他言無用です。ご了承いただけますか?」

ますます怪しくなってきた。もしかしたら身の危険がある内容なのかもしれない。それでも、怖いもの見たさは消えなかった。私は、すぐに逃げられるように店の扉が背に来るように立って返事をした。

「はい、わかりました。」

「そうですか。でしたらお話しましょう。」

藍沢さんはお店の中にあった椅子に腰を掛けた。

「よかったらお掛けになりますか?」

アンティーク調の椅子とテーブル。藍沢さんは向かいの席に向かって手を伸ばしている。

「いえ、結構です。私はここで。」

「そうですか。では、違う人生を生きられるという件についてですが、私はあなたの憧れの人物をあなたのために仕立てることができます。」

私は全く理解ができなかった。

「どういうことですか?」

「そうですよね。こんなこと急に言われても理解できませんよね。つまり私は、人を服に変えて、あなたにご提供することができるということです。私が仕立てた服をお召しになれば、あなたはとして生きることができます。」

「そんなことって・・・。」

私は到底信じられなかった。人を服に変えるなんて、どういった理屈なんだろうか。もしかして・・・。

「人の皮とか使って服作るとか・・・そういう事ですか・・・?」

藍沢さんはあはは、と口元に手を持っていき上品に笑っている。

「何をおっしゃいますか。私がそんなことをするように見えますか?」

怪しい言葉や、よく見れば怪しくも見える仕草を考えると、そんなことありません。と返すことはできなかった。

「まあ、信じていただけないのはわかりますが、私には可能です。企業、というほど大きい店ではないですが、この店を営業する上での企業秘密なので、理屈はご説明できませんけどね。」

「そう、ですか・・・。」

「違う人生を生きられたら―その言葉に惹かれて、怪しいと思いながらもここへいらっしゃったのでしょう?どうせそのまま生きていてもつまらないのなら、どうです?非現実的な話にでも乗っかって、思い切ってその人生を少し変えてみませんか。」

私は藍沢さんの目を見た。これまでの私の思考を言い当てた、その人の目を。

「確かに、そうかもしれません。」

「そうですか。でしたらさっそく準備に取り掛かりますか。」

そういって腰を上げる藍沢さんを見て、私は大事なことを思い出した。

「あ、ちょっとまってください!」

「なんでしょう?」

「その、代金って・・・」

「あぁ、大事なことを忘れていましたね、私は。もう歳ですかねぇ。」

藍沢さんは右手で拳を作って、頭をコツコツと叩いた。

「あの、結構高いですよね・・・?」

「高いと捉えるかは水谷さん次第です。代金はお金ではありませんから。」

「お金じゃない?」

「代金は、水谷さんの寿命を1年分頂きます。そして、これからお作りする服は一度お召しになってから1日しかもちません。」

「代金が寿命?しかも1年も出すのに1日だけって・・・。」

「高いと感じるのであれば、今回のことは諦めた方がよろしいかもしれません。しかし、水谷さんはまだお若い。これから長い人生のたった1年払えば、憧れの1日が手に入る。そう考えれば安いとも言えませんか?」

「確かにそうかもしれませんけど・・・。で、でも!私が服にする人って、現実ではどうなるんですか?もしかして、消えちゃうとか・・・?」

「詳しいことはお話できませんが、永遠に消えてしまうことはありません。水谷さんにお仕立てした服が存在している時間だけ、つまり長くても1日だけでございます。しかし、その服をお召しになっている間は水谷さんは別人になってしまいますので、事実としてはこの世界からは居なくなるということになります。」

「なるほど・・・。」

「しかし、これには注意事項もございまして。ここは覚悟してお聞き願いたいと思います。少々不謹慎な内容もございますが、大事なことです。」

私は背筋に力を入れた。まっすぐ藍沢さんの目を見て、はい。と返事をした。

「まず、その服をお召しになって亡くなってしまった場合、亡くなるのは水谷さん本人になります。それから、水谷さんがその服をお召しになった状態で社会的モラルや世間から制裁を受けるような大事おおごとを起こしてしまった場合、その被害は水谷さんへ降りかかってしまいます。」

誰かの服を作って犯罪をするとか、そういう悪さはできないようになっているんだ。都合がいいようにできてるなぁ。

「上手くできているんですね。でも、後半の部分って具体的にどうなるんですか?例えば私がの服を着て犯罪をしたとして、その犯罪を犯したのってになるわけですよね?」

「左様でございます。しかし先ほども申し上げたように、その服は1日分の耐久度しかございません。それゆえ、その服が消えてしまった後、その事象が水谷さんご本人に起こったとして世の中が書き換わる手筈になっております。」

話を一通り聞いたが、いまいち理解できない。それが表情に表れていたのか、藍沢さんはそのまま話を続けた。

「まあ要するに、死ぬな、モラルは守れ、犯罪するな。ということです。水谷さんが今そう生きているように、その服をお召しになっても同じようにしていただければいいだけです。」

「確かにそうですね。」

「はい。それから、服をお召しになっていると時々の思考が自分の中に入り込んでくるような感覚に陥ることがあります。それが他人になれる服の醍醐味の一つでもありますし基本は問題ありませんが、吐き気を催す人もいらっしゃいますのでご留意ください。」

「わかりました。」

「あとは小さいことですが、こちらはあくまで服ですのでお作りしてからいつお召しになっていただいても構いません。途中で脱ぐことも可能ですが、脱いだ時点でその服の効力は消えてしまいます。ですから、できれは1日通して着ていただくのをお勧めしております。せっかく1年もお支払いいただいてますからね。」

「確かに、どうせなら長く体験したいかも。」

そういった私の言葉に藍沢さんは、はい、是非。と笑顔で返してくれた。1テンポ置いてその表情は真剣なものになり、話を続けた。

「それでは最後に大事な確認です。本当に、お作りしてもよろしいですか?」

私は藍沢さんから聞いた話を振り返った。それと同時に、この退屈な人生も思い返していた。中身のない人生を23年。1年寿命がなくなるとしても、その無くなってしまう1年が彩りのあるものとは思えない。だったら1日くらい、綺麗に彩られた1日を過ごしてみたい。私は意を決して藍沢さんの方を見た。

「作ってください。」

藍沢さんは待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべてこういった。

「かしこまりました。それでは、水谷さんの人生にピッタリの1日を仕立てさせていただきます。」


 藍沢さんは私の身体にメジャーを当てながら手早くサイズを測っていく。近くにあるデスクに置いてある紙に数字をメモしながら、それぞれのパーツを測り終えて私に声をかけてきた。

「できました。それでは、こちらにお掛けください。」

私は先ほど藍沢さんが座っていた椅子の方へ誘導された。アンティーク調の椅子とテーブル。私は奥の方に掛けて、その向かいに藍沢さんが座った。

「それでは服を仕立てるにあたって、いくつかお聞きします。まずは、どなたの服をお召しになりたいですか?」

「そうだ、それ決めないといけないですよね。えぇっと・・・。」

私にはこれといった趣味などはなく、他人にも興味がなかった。友人は沢山いたが、なりたいと言われると違うし、1年も寿命を払ってまた大学生になるのも違うなと思った。家族もなんか嫌だし・・・。思いを巡らせていると、たまたま母が見ていたドラマのワンシーンを思い出した。確か、あの俳優って・・・。

「これ、知らない人でもいいんですよね?」

「もちろん。一人に特定することができるのであればどなたでも構いません。」

「だったら・・・」

私はスマホを手に取ってそのロックを解除した。検索の欄に立花一澄たちばなかずみと入力した。

「この人の服がいいです。」

「あぁ、確か俳優さんですよね?今、月9に出ていたような。」

「そうです。立花一澄という方です。」

「この方、お好きなんですか?」

「いや、なんとなく思い出したんで。どうせなら俳優とか派手な人になった方がお得かなと思って。」

「なるほど、かしこまりました。」

藍沢さんは手元のある紙にタチバナ カズミとメモを残した。

「それでは今日から1週間後以降にまたこちらへお越しください。」

「そんなに早く出来上がるんですね。」

「これでもプロなので。」

藍沢さんは自分が来ているスーツの両襟にそれぞれ手を添わせて背筋をピンと伸ばす素振りを見せた。意外とふざけたりもするんだなと思って不覚にも可愛らしい人だなと思ってしまった。

「さすがです。」

「ありがとうございます。それでは、また来週お待ちしております。」

そう言って、藍沢さんはお店の扉に手をかけた。私が外へ出やすいように扉を手で押さえてくれている。

「わかりました、また来ます。」

挨拶をして、私は店を後にした。


 遠足に行く前の小学生のように、この1週間はドキドキとワクワクで寝つきが悪くなった。寝不足が続いていても不快な気持ちは一切なく、むしろアドレナリンのようなものが出て、自分でもわかるほど生き生きしている。やっと訪れた約束の日、私はルンルンとした気分で仕立て屋LIFEへ向かった。

「お邪魔します。」

「水谷さん、お待ちしておりましたよ。」

「お願いしていたものはできましたか?」

「はい、もちろんです。少々お待ちください。」

藍沢さんはお店の奥へ消えていった。少々お待ちくださいの少々を、これほど長く感じたことはないだろう。私は一刻でも早くを手にしたかった。

「お待たせいたしました。こちらですね。」

藍沢さんが持ってきたのは綺麗な青色のデニムジャケットだった。

「ジャケット?」

「はい。普段、立花さんはデニムのジャケットを好んでお召しになるようですね。」

「これって、によって服の種類って変わるんですか?」

「そうです。元になった人のイメージにあった服が完成します。水谷さんは男性をお選びになったので、今回は男性に多い服が完成しましたね。あ、もちろんサイズは女性の水谷さんにピッタリになっておりますので、そこはご安心ください。」

「そうなんですねぇ、面白い。」

私は藍沢さんが手に持っているジャケットをまじまじと見た。これから有名俳優として外を歩けるんだと思うと、緊張と喜びが混ざったような感情を抱いた。

「それでは、こちらで問題なければこのままお渡しします。」

「はい、お願いします!」

かしこまりました。と言い、藍沢さんはわざわざ紙袋に入れてくれた。その後、お店の扉に手を掛けて私を店外へ促してくれている。そのまま店の外へ出ると、藍沢さんも店の外へ出て紙袋を渡してくれた。

「こちら、お品物です。またお待ちしております。」

「ありがとうございます!」

私は受け取った紙袋を大事に握って、お店を後にした。

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