第16話

 根古田博士はこの数日、非常に疲れていた。


 何度トラコに服を着せても、すぐに脱いで裸になってしまう。異性に対する免疫が皆無の根古田博士にとって、トラコの裸が視界に入るだけで心拍数は上がり、呼吸困難に陥った。胸を見ようものなら鼻血を噴き出し倒れてしまうほどだ。トラコは元々は猫であるとはいえ、一見しただけでは普通の人間の少女の姿にしか見えない。根古田博士が狼狽えるのも無理はなかった。



「トラコ、どうか服を着ていておくれ、そうでないと私は死んでしまう」

『だって息苦しいにゃ。猫に洋服を着せるのは人間のエゴにゃ』

「しかし、今のあなたは猫ではなく人間なのだ。人間の姿をしている以上、人間の文化を尊重するべきではないか?」

『堅苦しいこと言うにゃ。あたしは猫にゃー!』


 そう言ってトラコはすぐに服を脱いだ。


 ***


 玉越たま子からの連絡は一向にない。媚薬について調べてくれると約束してくれたのだが、一週間経ってもなんの連絡も寄越さなかった。


 根古田博士は玉越たま子から名刺を貰っていたことを思い出した。名刺には彼女の連絡先が書いてあったはずだ。


 根古田博士はスマホで彼女の番号に電話をかける。


「もしもし、玉越ですが」

「貴様か」

「相変わらず失礼な人ですね」

「媚薬について何か分かったか?早くしてくれ、そうでないと私は出血多量で死んでしまう」

「まぁ、そうなったらトラコちゃんは私が責任を持って引き取りますよ。猫の姿でも人間の姿でも、どっちでも可愛いので大歓迎です」


 根古田博士は先日の光景を思い出していた。

 自分には近寄りもしないトラコが、玉越たま子には自ら近寄り嬉しそうに頭を擦り付けていた。甘えた声を出して、体をモジモジさせていた。


「貴様、何故…あんなに猫に……」

「え? なんですか?」

「なんでもない、とにかく早く、一刻も早く原因を突き止めろ」

「言われなくても探ってます。これは私の将来設計にも関わる問題です。一獲千金の為に、名誉の為に、私も真実を知りたいんです」

「貴様は金のことばかりだな、猫というのはそもそも……」


 挨拶もなく電話が切れた。


 ――何故、あんなにも猫に好かれるのだ?


 根古田博士は聞けなかった言葉を、頭の中で繰り返した。玉越たま子がトラコに懐かれるのを、羨ましくも不愉快に感じていた。



――私はこんなにも猫を愛しているというのに、猫に愛されたことなど一度もない。トラコの窮地を救ったのは私だ。捨てられて死にそうだった子猫のトラコを育てたのは私だ。それなのに、何故、ぽっと出の女にトラコを奪われなければならないのだ!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る