第1話
どうすれば私は猫様に愛されるのだ
ああ、愛しの猫様、私の顔にその肉球を埋めてはくれないだろうか
嗅ぎたい、猫様のお尻の匂いを嗅ぎたい
私は根古田、ねこた、なのに何故、みんな私を拒絶するのでしょう?
などと、独り言を延々と言いながら、苗字に猫がついていれば何か変わるかもしれない、と思い至り、早速表札の文字を根古田から猫田へと変えたのだった。
彼の研究室には、助手は一人もいない。なぜなら公的な研究機関ではないからだ。いや、そもそも研究室ですらない。築五十年の古びた木造アパートの一室、彼の自宅の呼び名が研究室、なのだ。もっとも根古田博士以外の人物が、研究室と呼んでいるわけではない。
彼には友達がいなかった。彼には家族もいなかった。彼の部屋を訪ねてくる者は誰一人としていなかった。だから、彼の自宅が彼によって『研究室』と呼ばれていることを知る者など、存在しないのだ。
だから、本当のことを言えば、根古田博士は博士ですらなかった。
根古田博士は物心ついた時から、猫の虜だった。
『あの可愛いらしい天使のような生き物は一体なんだろう?ふさふさの毛並み、ピーンと伸びたおヒゲ、オレンジのお鼻、ピンク色の肉球、自分のシッポを追いかけ回すおっちょこちょいなところ、砂糖菓子よりも遥かに甘く響くニャオという鳴き声……』
とにかく、根古田博士は猫の魅力に取り憑かれていた。
根古田家ではもともと三匹の猫を飼っていたが、根古田博士がこの世に生を受けた年に、パタパタといなくなってしまった。行方不明、家出、失踪、理由は分からないが、とにかく、いなくなってしまった。
根古田博士は生まれながらにして、悲しいくらい猫と縁がなかったのだ。
幼稚園時代、根古田博士がテレビで猫を見かけると決まって停電した。停電復旧した時には猫のシーンは終わっていた。猫のイラストが書かれた絵本は、母親が醤油をぶちまけてしまって、ちょうど猫のイラストの部分だけ汚れて見えなくなった。
小学校時代、登校中に野良猫を探し回って遅刻することが多々あった。放課後、野良猫を探し回って日が暮れることも日常茶飯事だった。猫を飼っているという友達の家に遊びに行く予定を立てたが、急に引っ越してしまって猫に会うことはなかった。
中学生になると、お小遣いやお年玉を使い、猫カフェなるものに入り浸るようになった。もふもふしたい欲求が根古田博士を突き動かしていた。お店の看板猫は一度も根古田博士の前に姿を現さなかった。同じ店内にいる他の客の所には何匹も猫が密集していても、根古田博士の前に現れる猫は皆無だった。それでもなんとか肉球を拝みたいと、天井近くに設置された透明なレールの真下に潜みその瞬間を待ちわびたが、根古田博士がよそ見をしている間に、大抵の猫はそこを通過してしまう。一度だけ、他のお客さんが猫と絡んでいる時に、たまたま覗きのような感じで、ピンク色の肉球を拝むことが出来た。至福のひとときだった。
あの肉球に触れてみたい、もふもふしたい、と願ったが、彼のお小遣いの範囲の滞在時間では、ついにそれは叶わなかった。そもそも、根古田博士の半径1メートル以内に近付く猫が皆無だった。
高校生になると根古田博士はペットショップでアルバイトを始めた。少しでも猫と触れ合いたかったからだが、何故か爬虫類担当にされてしまい猫の姿を拝むことはなく、そのままそのお店が閉店してしまった。
次に、中学生時代に入り浸った猫カフェのアルバイトに採用されたが、初めての出勤の日に交通事故に遭い、入院を余儀なくされてしまった。結局一度も出勤することのないまま、クビになってしまった。
とにかく根古田博士は、悲しいくらいに猫と縁がなかったのだ。
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