パーラー

江古田煩人

パーラー

 こんな時間に開いているパーラーなのだから、自然と客層も限られてくる。

 人通りも途絶えた深夜二時、店内の人影はまばらだった。貧民街周辺をひたすら歩いて不審人物を問いただすだけのきつい仕事の後にはどうしたって甘いものでも食べないとやっていられないのだから、連日深夜営業を続けているこのパーラーは、与野のような丹本自警団特区班——年始はことさら休みが少ない——にとって数少ない憩いの場だった。店内いちばん奥のボックス席はいつもの指定席だ、与野は自分の身体を投げ出すようにソファへ腰を下ろすとテーブルに突っ伏したまましばらく動かなくなった。おそろしく無愛想な顔のウェイトレスが注文を取りに来ても、与野は顔をあげようとすらしない。疲れすぎていた。

「あんた、注文はいつもの? クリームサンデー一つと」

「ん」

「アイミルにガムシロ五つね」

「ん」

「まともな返事とチップくらい出したらどうだい」

 ぞんざいに上着から引き出されたくしゃくしゃの紙幣をひったくるなり、中年のウェイトレスは牛のような足音を立ててカウンターへ消えた。いつものことである。激務に疲弊して判断能力をなくした自警団員はそこらの酔客すいきゃくより素直に金を出す事を、このパーラーのウェイトレス達はきちんとわきまえている。しかしオーダーが通ってきっちり五分後には無果汁のストロベリーシロップとチョコソースを垂らしたクリームサンデー、それに冷たいミルクが与野の前へ並んでいるのだから、こんな真夜中でもまっとうな仕事をしてくれるだけ良心的な店なのかもしれない。ガムシロップはすでにミルクの中へ溶かしてあるあたり、常連客への配慮も怠らない。

「お疲れ様、ヒヨコちゃん。私ずっと待ってたわ、あなたがいつ来るのかってドアの方ばかり見てたからさっきひどく叱られちゃったのよ」

 テーブルからのったりと顔を上げ、墓から這い出るような手つきでグラスを引き寄せる与野に話しかけてきたのは、先程とは別の、もっと若いウェイトレスだった。蜂蜜色の金髪を頭上でくくった若いウェイトレスは、わざとらしく開いたブラウスの隙間から谷間を覗かせつつ小型犬でも可愛がるような手つきで与野の髪の毛をふわふわと撫でている。よほど暇なのだろう。無視を決め込む与野に構わず、彼女はなおも話しかけてきた。

「ねえヒヨコのお兄さん、自警団のお勤めってそんなに大変?」

「そうでもないよ。例えば君みたいなとびきり可愛い女の子を真っ裸にむいて、その辺に転がしておくと、アソコをがちがちにした男が次々に寄ってくる。そいつらを警棒で殴ると、一発ごとに空からお金が降ってくるのさ」

「ボーナスステージみたい。その女の子も一緒に殴ったら?」

「次はそうするよ」

 死んだ目で黙々とスプーンを動かす与野とは裏腹に、若いウェイトレスはネオンピンクのラメをたっぷりと乗せた目で与野を見つめながら時折にこりと微笑みかけてくる。甘いミルクゼリーのような彼女の眼球を暇つぶしにスプーンでえぐり出してみてもよかったのだが、今ここで癇癪を起こすにはいささか疲れすぎている。代わりに本日二枚目の紙幣を彼女の目の前へ突きつけてみせると、彼女は予期していたような満面の笑みを見せた。

「わあうれしい、お兄さんありがと」

「いいよ、どうせ空から降ってきたお金だから」

「私のことも殴ってみる?」

「公私混同はしない主義なんだ」

 与野の頬についたクリームを、しなやかな小指がすくっていった。こんな時間に開いているパーラーなのだから、一応そういう店でもあるのだ。その分の料金は否が応でもサービス代として上乗せされることは言うまでもないだろう。与野は彼女にぎょろりと目を向けた。

「そんなの別に頼んでないんだけど」

「期待の上を行くサービスがうちの売りなの。くつろいでって、ヒヨコちゃん」

「今日の帰りには気をつけたほうがいいよ、誰かに真っ裸にむかれるかもしれない」

「あら、公私混同はしないんでしょ?」

「まあそうだけど。時と場合によるかもね」

「アイリーン! あんたまた油売ってるんじゃないだろうね⁉︎ そんな脳みそに大麻植えてるようなボンクラの世話なんかどうだっていいんだ、さっさとこっちに戻ってグラスを洗いな!」

 地割れのような声をホールに響かせたのは、いっとう最初に与野のオーダーを取りに来た中年の牛女である。艶のない荒れた肌。ビヤ樽のような胴体に食い込むフリル付きエプロンが見るからに痛々しい。与野は牛女から目を背けながら、もはや怒る気力さえ失せているが、一応は腰のスタンバトンを取り上げて振ってみせた。貧民街の連中には効果てきめんな自警団しぐさも、このパーラーの中では効力がすっかり薄れてしまうのか、忌々しげにこちらを睨む牛女の鼻からはふいごのような鼻息がひとつ漏れただけであった。

「あんた、与野っつったかい、あんたもねえ、自警団ならもっとしっかり見回りをしてくれなきゃ困るんだよ。こないだもうちの近所でガソリンの抜き取りがあったんだよ、それもごっそりとさ。あんただって知ってるんだろう!」

「へえ、今知ったよ。それどこ、何丁目?」

「とぼけるんじゃあないよ。二丁目だよ」

「ああそう、惜しかったなあ、あいにく二丁目はちょうど管轄外なんだよ。ローズさん、ミルクレープちょうだい。生クリーム添えで、あとミルクもおかわり」

「ばかばかしいね、特区班に管轄外もクソもあるもんか。砂糖の取りすぎで脳まで溶けてるんじゃないの」

「だとしたら美味しいシロップになってるかもね。店の新規メニューに加えたら? 貧民街を元気に駆け回る下っ端自警団から採れた新鮮なシロップです、パンケーキに添えてどうぞ。売上金は全額を丹本自警団、東興分署の特区班に寄付します、ってさ」

 乱暴な音を立てて、与野の前にミルフィーユとミルクのグラスが置かれた。衝撃でミルクがテーブルの上に白い水たまりを作っても牛女はお構いなしだ、この店では客よりもマスターよりもウェイトレスがいっとう偉いのだ。

「アイリーン‼︎」

 至近距離で放たれた大声がホール全体をびりびりと震わせる。店のガラスが何枚か割られているのは酔っ払いが悪ふざけに投げた石のせいだと言われているが、実際のところはオペラ歌手も真っ青なこの牛女の声量のせいではないだろうか。しかしいくら怒鳴りつけられたところで、いかにも尻軽そうな顔をしたウェイトレスはわざとらしく頬を膨らませてみせるだけだった。

「そんな大きな声出さないの。大きなベイビーが機嫌をそこねちゃうわ」

 与野の耳元に顔を寄せながら、若いウェイトレス——アイリーンとかいう——は甘ったるい息を吐いた。胸元に彫られたハートのタトゥーはいつ入れたものなのだろう、チップ欲しさに誰彼かまわず胸を押し付けてまわるのだから、嫌でも目に入るのだ。与野がタトゥーに毛ほども興味を示さないことを知ってか知らずか、アイリーンは与野の頬に手を添えると指先でくるくるとなぜ回した。牛女——こっちはローズとか言うやつだ、名前に似合わない——の鼻息がいよいよ荒くなる。やがて業を煮やしたのか、濃い栗色のひっつめ髪をゆすりながら、ローズは荒い足音と共にキッチンへ戻っていった。名前も知らないけだるい洋楽が流れる店内で、アイリーンにうなじをくすぐられながら、与野はミルクレープの薄層を一枚一枚はがしてはミルクに浸す。白いしずくを滴らせながらしっとりと濡れるクレープ生地は、ブラウスから覗くアイリーンのきめ細やかな白肌とよく似ていた。

「あらヒヨコちゃん、食べ物で遊んじゃいけないのよ」

「どうせ食べるんなら僕の好きに遊んでいいだろ」

「まあ面白い、あなたって合理主義なのね」

「よく言われるよ」

 ぺろりとフォークから垂れ下がるクレープ生地の一枚を口に押し込み、与野は冷えたミルクでそれを流し込んだ。疲労ですっかり麻痺した脳みそは、甘味以外の味覚をまるで無視してしまうようだ。フォークにべったりとこびりついた生クリームを舌先で舐め、ついでにその先端をテーブルの上のミルク溜まりに浸してみる。べたついたテーブルクロスの上へでたらめに線を描きながら、与野はさりげない調子でアイリーンに訊ねてみた。

「あのおばさん、どこ住んでるんだっけ」

「ローズさん?この店のすぐ裏よ、古いアパートがあるでしょう。あそこの一階で暮らしてるのよ。なによチキンちゃん、ああいうのがタイプなの?」

「ううん、あのおばさんの自宅に今度ガソリン届けてあげたら喜ぶかなってさ。いい思いつきだろ」

「あらあなた親切ね。そしたらうちのマッチも持ってくといいわ」

「君面白いね」

「よく言われるわ」

 半分ほど食い散らかしたミルクレープをフォークの先で突き崩しながら、与野は頬をなぞるアイリーンの手をうるさげに払った。アイリーンの甘えるような目が与野ではなくポケットの中の財布に注がれていることなど、与野には最初から分かっている。またチップをせびられる前にくだらないお喋りを切り上げて、今日のところはさっさと店を出たほうがいいかもしれない。皿の上の甘ったるい残骸をかき込んで席を立つ与野の手に、アイリーンがさりげなくブックマッチを滑り込ませた。鳩とクリームソーダがあしらわれた、三色刷りの店名ロゴ。与野にはすっかりお馴染みのものであった。

「バーベキューなら君一人でやったらいいよ」

「あらやだ違うわ。だってお兄さん、吸うんでしょ? 上着に匂いが染み付いてるもの。私、こう見えて鼻がきくのよ」

「タバコなんか吸わないけど」

「タバコだなんて言ってないわ。だってお兄さん、チョコの方が好きでしょう」

「君って面白いね、本当に。仕事中に会えないのが残念だよ」

「ねえヒヨコちゃん、また来てね。私、そのふわふわの髪が大好きなの。またいい子いい子させてね、他の店に浮気しちゃいやよ」

 こんな寂れたパーラーには不似合いの、どちらかと言えば、風俗棟のただれた美人窟の方が似合いそうな笑顔だった。そっちの方が彼女にとってもいい金になりそうなのに、なんだってこんな所で働いているのだろう。無論、そんなことは与野にとってまるでどうでもよい事だった。ブックマッチの片隅に小さな丸文字で内線番地が書き添えてあるのも無論どうでもよい事で、こうして馴染みの客に色目を使っては安くない金で身体を買わせるのだ。本当に、どうして、彼女はこんなパーラーなんかで働いているんだろう?

「君みたいな頭のおかしい子、僕は好きだよ」

「ありがとう、あなたもね」

 結局、三枚目の紙幣をアイリーンに握らせ、与野はパーラーを後にした。こんな店でも、一応は憩いの場なのである。

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パーラー 江古田煩人 @EgotaBonjin

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