第33話 太政大臣

「なあ、水揚げってなんだ?」


人のいない廊下で、西寧が壮羽に問う。


「あなた、そんなことも知らないで、よくこんな作戦を……。いいでしょう。お教えいたしますよ。意味が分かれば、あの門番の男の気持ち悪さが、いっそう身に染みましょう。水揚げとは、体を売る女が、初めて客を取ることです。男と寝ることですよ」

壮羽が、ムッとしながら答える。


西寧の顔が、みるみる赤くなる。これで、自分がどのような作戦を立ててしまったのか、理解したはずだ。無謀なことばかりする西寧には、良い薬だろうと、壮羽は思った。


「ね、寝る。あれか。うん。大体わかる。気持ち悪いな。あのトカゲ」


西寧の金の瞳が、動揺して涙で潤んでいる。さて、これで怯えて、帰ると言いだすだろうか。ならば、今度は、この屋敷から、忍んで出る方法を考えなければなるまい。壮羽が、逃走の算段を始める。


「やたら気持ち悪い思考だが、理解した。門番があの考えならば、太政大臣も似たような物かも知れんな。よし、これでまた、駆け引きの材料が出来た」


西寧のやる気は、おさまらないらしい。壮羽は、ため息をついて、向こう見ずな主をどのように守ればいいかと、悩んだ。


 太政大臣がいる部屋の前。壮羽は、扉の前で、声を掛ける。

「太政大臣様。失礼いたします。葉居の使いで参りました。主の葉居から、太政大臣様に失礼をしたお詫びの品として、新鮮な娘をお持ちいたしております。一目ご覧いただき、その憐憫に預かれるかご判断いただきたい所存でございます」


扉の向こうから、すぐに返事はない。

そのまま、壮羽と西寧は、待つ。

いつものことだった。権力を無駄に誇示するためか、いつも返事は遅い。扉の前で、自分に頭を下げる連中が、返答を待ってやきもきしている様子を楽しんでいるのだろう。悪趣味だ。


「まあ、扉を開けて、女をみせろ」


憮然とした声が聞こえてくる。壮羽は、声の指示通りに、扉を少し開けて、西寧を中から見えるように立たせる。西寧が、自分から布を取って、中を見る。広い部屋。その真ん中に、虎精の中年男が、座っている。腹の出た男が、先ほどのトカゲに似た笑いを浮かべて、西寧を品定めしている。あれが、太政大臣なのだろう。さきほど潤んだままの、大きな金の瞳で太政大臣をみれば、気に入ったのか、舌なめずりをしている。


「なるほど、新鮮そうだ。水揚げ前か? 初心そうだ」


「さすがお目が高い。仰る通りでございます。物事の造詣の深い太政大臣様に水揚げをお願いしたいとのことです。どうか、部屋にいれていただけませんでしょうか。主人から伝言も言付かっております」


壮羽の嘘に、太政大臣から、よし、と許可が下りる。よっぽど西寧を気に入ったのだろう。部屋に二人が入る。壮羽は、部屋に違和感がある。ただ広いだけの部屋。おかしい。以前来た時には、もっと装飾品が飾っていたと思うのだが。何かあったのだろうか。


太政大臣が手招きをして、西寧を手元に呼び寄せる。西寧が、大人しく応じる。


「似ているな。あの女に。あの女の一族の者か? 若い娘を売るとは、ここまで落ちぶれたか。ふふ、気分がいいな。儂に少しも目を向けなかったあの女。似た女の水揚げを儂が行うのか」


西寧を太政大臣が品定めしようと手を伸ばしてくる。


「あの、人が見ていますので。その……」


西寧の言葉に、太政大臣は、まだ部屋の片隅に壮羽が侍していることを思い出す。


「まだ居ったか。気の利かん烏め」


太政大臣が壮羽を睨む。


「まだ、主の伝言がございますゆえ。お聞き届け頂けますでしょうか」


「何じゃ。手短に申せ」


「はい。先王の遺児、西寧様が、取引をしたいと申しております」


壮羽の言葉に、太政大臣が目を剥く。気づけば、女が、太政大臣の喉にナイフを突きつけている。


「太政大臣。儲け話を持って来てやったぞ。喜べ」


西寧が、化粧を取ってニコリと笑う。

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