第10話 狂戦士

 狂戦士は、緑蔭だった。



 ひょっとして、薬を飲まずにいてくれているかと、一縷の望みをかけていたが、甘かった。


「緑蔭!」


目の焦点が合っていない。壮羽の声も、緑蔭には届いていない。

 腕に刺さった矢を引き抜き、緑蔭が壮羽に向かってくる。


「そこの子ども! 逃げろ! 国境まで走れ! 兵士が来て、もっとひどいことになる」


壮羽の言葉を聞いて、子どもが走り出す。良かった。これで、緑蔭に子ども殺しをさせなくてすむ。


 壮羽は、剣を構える。

 緑蔭が、素手で壮羽に殴り掛かってくる。もはや、壮羽だとは分からないのだろう。緑蔭から出てくる言葉は、唸り声だけだった。


 翼を使って緑蔭の攻撃をかわす。緑蔭との間合いを広くとる。素手の相手ならば、弓を使った方が有利だ。緑蔭の腕力で加減なく殴られたら、素手だろうが、子どもの壮羽の体重では吹っ飛んでしまう。


 死ぬまで、元には戻らない。


先ほどの烏天狗の男の言葉が、心をえぐる。

 ここで、緑蔭を殺さなくても、どうせ後で来る兵士たちに、緑蔭は、なぶり殺されてしまうだろう。ならば、罪のないものを緑蔭が傷つける前に、緑蔭が苦しまないように、壮羽がここで一気にとどめを刺してやる方が、どう考えてもいい。

 だが、壮羽には、どうしても、その一撃が出せない。チラリと、心をよぎる思い出に邪魔をされて、攻撃が鈍ってしまう。

 一方的に従者として勝手に押し掛けただけの関係。だが、主として扱った者を、忠義の妖である烏天狗の壮羽が殺すことは、身を切るよりさらに辛かった。それが、心通わせた緑蔭であるのならば、どうしても、攻撃の手はこわばった。


「緑蔭……」


涙で、視界がにじむ。弓をつがえる手が震える。

 背後から、兵士のときの声が聞こえる。

 もう時間がない。

 壮羽は妖力を込めて緑蔭に矢を放った。


 一矢十射ひとやじゅっしゃの術。

 里で、兄の悠羽が褒めてくれた技。里を出るきっかけとなった術。

 壮羽の放った一本の矢が、壮羽の妖力によって十本に分かれて、緑蔭の急所を攻撃する。


 矢は、正確に緑蔭の息の根を止めた。

 緑蔭は、倒れて動かなくなった。

 壮羽は、緑蔭から、自らの射た矢を抜くと、膝に緑蔭の頭を載せて、ただ、座って泣いていた。もう、他の狂戦士に殴り殺されようが、兵士に首を刎ねられようが、どうでもよかった。


 緑蔭の懐から、ほろりと小さな包みがこぼれ落ちる。

干しイチジク。壮羽のために残しておいてくれていたのだろうことが、分かる。

 悔しい。

 どうしてこんなに優しい人が、無惨に死ななければならなかったのだろう。

 どうして、こんな人にとどめを刺さなければならなかったのか。

 自分は、大切な主をこの手で殺した。

 大切な緑蔭を守れなかった。

 壮羽は、いつまでも泣き続けていた。


 作戦終了後、作戦の指揮官、大臣直属の臣下の男は、兵士の報告に、目を剥いた。

 村人は、国境地帯に逃げおおせて、殺されたのはわずかだった。村では、酒を飲んだ狂戦士が、お互いを攻撃して殺し合っていたのだという。

 予定では、村人は全て殺されてしまい、その仇を反乱にいち早く気づいた黄虎の国の兵士がとったという形になるはずだった。

 その方が、自分たちの行動の証人がいなくなるから良いだろうというのが、大臣の判断だった。

 大臣の意向に背く形になってしまった。どうしたら、その怒りに触れずに報告できるのだろうか。

 指揮官の男は、そればかりを考えていた。


「このチビが、村で、猪の死骸を抱えて泣いていました」


兵士の一人が、壮羽の翼の付け根を乱暴に鷲掴んで、指揮官の前に掲げる。鶏を持つような持ち方。泣きはらした目で、だらりと力なく四肢を垂らして壮羽は、されるがままになっている。


「烏天狗の子どもか。おおかた、その猪についていたのだろう。猪ごときに付き従うくらいだ。落ちこぼれの烏天狗なぞ、役には立たない。……だが、わりと可愛い顔をしているな。大臣に献上すれば、多少機嫌が良くなるだろうか」


指揮官が、鼻で笑う。油断していたのだろう。壮羽に顔を近づける。

 途端に壮羽の目に光が宿り、指揮官の男の首がひねり折られたのは、一瞬のことだった。

 壮羽を鷲掴みにしていた兵士が慌てて壮羽を殴り押さえた時には、すでに指揮官の男は絶命していた。

 散々に殴られた後で、副指揮官の男によって、壮羽の処遇は決定した。


 壮羽は、奴隷商人に売り飛ばされることになった。

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