第8話 朝

 朝、壮羽が目を覚ますと、隣で緑蔭が眠っていた。よかった。取り敢えず、朝までに戻るという話は、覚えていてくれていたようだ。もう一つベッドがあるのに、壮羽のベッドに潜り込んだところをみると、寒かったのだろう。

 ガッチリ抱きしめられて、身動きが取れない上に、酒臭い。狭い、重い、臭い。

 壮羽にとっては、最悪の目覚めだった。


「緑蔭、起きて下さい。手を離して。朝ご飯の用意をしてきます」


なんとか引きはがそうと、壮羽は暴れる。緑蔭が、ブツブツ寝言を言いながら手を離した瞬間を狙って、壮羽は、ベッドを離れる。あれだけ酒臭いということは、二日酔いだろう

二日酔いには、何が効くんだったろうか。

壮羽は、男所帯の簡素な台所で材料を探す。


 緑蔭が目を覚ますと、台所に壮羽が立っていた。


「良かった。起きましたか。今起こしに行こうかと思っていました。早く顔洗って下さい」


 洗面所には、顔を洗いやすいようにぬるま湯とタオルが用意してある。緑蔭が顔を洗って戻ってくると、テーブルにショウガと卵の入った雑炊が載っている。薄味でほんのりとショウガが効いている。二日酔いの胃に優しく温かい。普段よりも細かく刻んだ青菜は、二日酔いの緑蔭の胃の負担を考えてのことだろう。


「ほら、食べたら用意して下さいね。今日は、黄虎の国まで行くんでしょう? 遠いですよ」


壮羽も、緑蔭の前に座って雑炊を食べる。小さな口で、緑蔭を待たせまいと一生懸命に口に雑炊を運んでいる。ハフハフと息を吐いているのは、雑炊が熱いのに無理をしているのだろう。

 緑蔭は、壮羽に気を使わせまいと、わざとゆっくり食べて、食べるスピードを遅くしてやる。緑蔭がゆっくり食べ始めると、壮羽も安心して、食べるスピードを緩める。


「お前、いい嫁になりそうだな」


緑蔭が揶揄うと、壮羽が、ムッとする。


「昨日の冗談の続きですか。朝から最悪ですね。まだ酔っていますか?」


だから酔っ払いは困るんですなどとブツブツ言っている。


「悪いな。まだ酒が残っている」


緑蔭が、壮羽の頭を撫でる。力の強い緑蔭になでられて、壮羽がぐらぐらと揺れる。


「ちょっと、手加減!」


目が回っている壮羽をみて、緑蔭が、大きな声で笑う。


「なあ、壮羽。お前、俺の傍でいいのか?」


緑蔭の質問に、壮羽が首をかしげる。


「もうすぐ十五歳だろ。妖にとっては、元服、成人の歳だ。俺みたいな猪の妖の傍にいなくても、お前の力を必要とする奴は多いだろ?もっと身分の高い連中が、烏天狗を欲しがるだろ?」


 緑蔭が、頭をかく。壮羽を拾って来た時は、まだ小さい子どもだったが、もう十五歳になる壮羽ならば、もっとまともな所に仕官しても雇ってもらえるだろう。こんな日銭稼ぎの猪の妖の傍にいる必要はない。


「なんで、猪だと駄目なんですか?緑蔭は、女癖は悪いし、酒好きだし、ギャンブルも好きだし、だらしないし、すぐ揶揄うし…ですが、とってもいい奴です」


壮羽がニコリと笑う。


「なんだ、それ。ずいぶん悪口が多いな」


緑蔭が、壮羽の頬を引っ張る。子どもの頬は、よくのびてフニフニしている。


「いひゃいです」


壮羽が、涙目になっている。離してやると、赤くなった頬をさすっている。


「とにかく、猪だろうが、その心に義があれば、私はいいんです。まあ、ちょっと、直して欲しい所はありますけれど」


「義? そんな物、俺にある訳ないだろうが」


緑蔭は、壮羽の思わぬ言葉に驚く。自分に義など、考えたこともない。


「ありますよ。何も考えず、私を拾ってくれたでしょ? ただの薄汚れた子どもですよ? そんなの拾ってくれるのは、緑蔭だけです。それだけで、十分じゃないですか」


 これだけ身の回りの世話を焼いてもらっている。楽しく暮らしている。緑蔭は、もうとっくに、拾った恩は返してもらったと思っていた。壮羽が、ずっとそのことに恩義を感じていたのかと思うと驚く。


「それに、いつも弱い者に優しいじゃありませんか。あなたの心に、ちゃんと義は有ります」


自信満々に言う壮羽の言葉に、緑蔭は、得も言われぬ喜びを感じる。初めての感覚だった。誰に認められることもない底辺の妖。その自分に、子どもが義なんて大層なものを見出してくれる。心が、むずがゆくなってくる。


「あまり自信がねえな。まあ、道を踏み外したら、お前が始末してくれ」


緑蔭は、ため息をつく。


「どうして、急にそんな話を…ひょっとして、私の働きに、ご不満がありますか? ならば、言ってくだされば、直します」


壮羽が、シュンとしている。


「不満? 俺がお前にか? ある訳がない。あるとしたら、もっと胸のでかい女だったら言うことなしなんだが。それは、外で賄っている」


緑蔭が、ニヤリと笑う。女の胸を揉む仕草を空中でする緑蔭に、ジトッと軽蔑の目を壮羽が向ける。


「……ぜひそうして下さい」




 壮羽と緑蔭は、あれこれと話しながら朝食を済まし、片付けをすると、黄虎の国へと出立した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る