第7話 初めの主

 壮羽を拾ってくれたのは、傭兵をして各地を回っている猪の妖だった。

 女好き、酒好き、博打好きの図体のでかい陽気な男、緑蔭りょくいんと言う名だった。

 街を彷徨っていた壮羽は、この男に拾われ、この男と一緒に各地の戦場を走り回り、従者として身の回りの世話をしてやっていた。もう三年にもなるだろうか。十一歳だった壮羽も、十四歳になっていた。


「緑蔭。明日は、朝から次の仕事に移動しますから。朝までには、帰ってきてください」


いかがわしい飲み屋に、派手な服の女と一緒に入る緑蔭に、壮羽は叫ぶ。緑蔭は、手を振る。


「あら、可愛い子ね。あなたの子?」


女が緑蔭に聞く。緑蔭が、女の首筋に擦りついている。


「んなわけあるか。あれは、烏天狗だぞ。烏天狗の女なんか、猪の俺なんかに縁のある訳がない。拾ったんだ。飯食わせてやる代わりに、俺の世話をしてくれている」


緑蔭が、答える。緑蔭の手は、女の腰をさすっている。くすぐったいのか、女が笑う。


「何それ。嫁じゃん」


女が冗談を言う。壮羽は、聞き捨てならない言葉に、ムッとする。


「嫁じゃありません。従者です!」


冗談にムキになって返す壮羽に、緑蔭が、大声で笑う。


「どっちでもいいじゃねえか。別に。本気にするな。クソガキ」


緑蔭が、女の胸に手をのばしながら、壮羽に答える。


「よくありませんよ。えっと、くそじじい? とにかく、朝までに帰って下さい」


 酒臭い緑蔭を一睨みして、壮羽は、歩き出す。後ろで、緑蔭が、ヘイヘイ、嫁様。と、まだ冗談を言っている。女も笑っている。

 冗談じゃない。誰が嫁だ。ムカつく。酒の席の冗談は嫌いだ。

 明日の朝は、酔い潰れた緑蔭を探し回らなければならないのかもしれない。壮羽は、ため息をつく。

 緑蔭は、陽気で、酔っていなければ、話をしていても楽しい。だが、一度酔うと、女にまとわりつき、ギャンブルにのめり込んでしまう。

 こういうところがなければ、いい奴なのに。壮羽は、チラリと後ろを見て、女と店に消えていく緑蔭を見送った。


 店の女と酒を飲んでいた緑蔭は、三時間ほどすると席を立ち、帰り支度を始める。


「何? もう帰るの?」


女は驚く。最近の緑蔭は、帰りが早い。あの烏天狗の子どもの影響だろうか。


「悪いな。子持ちなもんで」


緑蔭が、ニヤリと笑う。


「何? 真面目になっちゃって。柄じゃないわよ」


女が笑う。何年も、緑蔭は、女の常連だった。緑蔭は、朝まで飲まないと気が済まない性質だった。いつも、閉店まで飲んで酔いつぶれて、その辺の路地裏に転がっていた。それが、こんなに正気が残っている状態で家に帰るのだという。笑わずにはいられない。


「だろ? 俺もそう思う。だけれども、少しくらいは、まっとうになってやろうかと思えてな」


 じゃあ、と、緑蔭は、女に手を振って店をでた。

 家に帰ると、明かりは消え、壮羽は、寝床で寝息を立てていた。部屋の隅に、明日の準備が整えてある。壮羽が、寝る前に準備したのだろう。緑蔭は、壮羽を拾った時のことを思い出す。


 雨の中、行く当てもなく繁華街の片隅で十一歳の壮羽は座っていた。真夜中、いかがわしい店の並ぶ路地裏、雨が当たらないように軒下に身を寄せて、自分の翼を体に巻き付け、寒さに震えながらも、瞳は真っすぐ前を向いていた。緑蔭が、壮羽に声をかけたのは、ほんの気まぐれだった。緑蔭は、いつものように、フラフラになって真っすぐ歩けないくらいに酔っていた。軽い気持ちで、行くところが無いならついて来い、そう言った。そこから先は、覚えていない。ただ、朝起きると、ゴミだらけの部屋は掃除され、朝食の用意がされていた。汚れ物が洗濯されて、部屋の片隅に、うずくまって壮羽が寝ていた。


 壮羽は、緑蔭とは違い、とんでもなく真面目な性格だった。バランスの取れた食事をとった方がいいだの、酒は控えろだの。面倒くさいことを色々言うクソガキだった。日々の生活を、壮羽は整え、従者だと言って、色々な所へくっついて来た。初めは、面倒な者を拾ってしまったと後悔していたが、昔、幼い弟を病で亡くしていた緑蔭には、行く当てのない子を追い出す気にもなれず、壮羽がすることを放置していた。

 壮羽は、緑蔭の後について、戦場にまで出た。緑蔭が、危険だと言っても聞かなかった。


 だが、戦場で見た壮羽の術には、舌を巻いた。力任せの緑蔭とは違う、洗練された剣技、弓術。緑蔭の背を守り、決して前には出ないのは、烏天狗が忠義の一族であるためか。ひたすら、緑蔭が戦いやすいようにだけ気を配って戦っていた。

 粗暴な猪として、人に蔑まれる中、傭兵として雇ってもらって、ようやく日々の糧を得ていた緑蔭は、どうせ、明日は保証されていない身の上、その日が楽しければ、それで良い。先のことなんて、考えても無駄だと思っていた。義だの忠だの面倒なことは、どうでも良くて、生きていればそれでいい。ただ、それだけだった。


 誰に言われるでもなく、緑蔭に尽くして、日々の鍛錬を怠らず、ひたすらに剣技を磨く壮羽をみていて、少しずつ、緑蔭は、考えが変わっていった。子どもは不思議だった。こいつが、少しはマシに生きられるようにと、緑蔭は、少しずつ生活を改めた。壮羽と一緒に居るのが、楽しくなってきた。


 翼の生えた烏天狗の子ども。

 誇り高く迦楼羅天という神に愛された一族。

 粗暴で有名な猪の一族の緑蔭とは、雲泥の差がある。きっと、成人すれば、だらしない猪の妖のことなど忘れて、もっとまともな主人を見つけて飛び立ってしまうだろう。

 それまでの間、後少しの間、まっとうになれるように、お前が道を示してくれ。

 緑蔭は、壮羽のベッドに潜り込んで、壮羽を抱きしめて眠った。子どもの体温は、夜を歩いて来た緑蔭には、驚くほど温かかった。

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