第3話 烏天狗の子

 黒い翼を持ち弓の技に長けた烏天狗。 

 迦楼羅天の庇護を受けた誇り高く、並外れた忠誠心で有名な一族。

 その烏天狗が、一族で住んでいる里がある。

 山の中、うっそうと茂る木々に囲まれて、人間とも他の妖とも離れた場所。そこで、三百羽ほどの烏天狗が、身を寄せ合って暮らしている。


 烏天狗の里で、烏天狗の子ども達が通う学校では、一人の子どもの弓の術に、どよめきが起こっていた。

 弓術の訓練の最中、たった十一歳の子どもが、一矢十射の術、一つの矢で十の的を当てる妖術を成功させたのだ。大人の烏天狗でも、腕の無いものでは成功出来ない、難しい技を完成させたことに、皆、驚いた。


 子どもの名前は、壮羽そうは。今の烏天狗族の族長を務める黒羽くろはの次男であった。


「壮羽様。黒羽様、母様もきっとお喜びになられましょう」


講師は、そう言ったが、壮羽は、そう思わなかった。

 母上は、鼻で笑って、ではさらに鍛錬を積めと言うだけだろう。何を申し付けられるか分かったものではない。

 そう思っていた。

 母は厳しい人であった。飛行術で一等を取ろうが、剣術で大人を負かそうが、褒められたことなど無かった。ただ、ならば、その恵まれた才をさらに生かす努力を怠るなと、さらに厳しい訓練を申し付けるだけだった。

 今度は、どのような訓練が追加されるのだろう。

 壮羽は、皆が騒ぐ中で、一人暗い顔をしていた。


「壮羽、すごいじゃないか」


噂を聞いて駆けつけてくれた兄の悠羽ゆうはが、壮羽の頭を撫でて褒めてくれる。


「兄上! ありがとうございます」


壮羽は、悠羽に擦り寄る。悠羽は、優しい笑顔を壮羽に向けてくれる。

 壮羽より五つ年上の悠羽は、母の黒羽と違って、いつも壮羽に優しい。

 怪我をした時には、手当てをしてくれるし、いつだったか、山で迷子になった時には、必死になって奥深い山まで探しに来てくれた。その時も、壮羽は、黒羽にずいぶん叱られた。次男のお前が、跡継ぎの悠羽の身を危険にさらしてどうする。兄は、お前が無茶をすれば、助けに行こうとする。無茶をして兄に迷惑をかけるな、と言われた。

 烏天狗の一族として産まれ育った壮羽に、その言葉に異論はなかった。

 跡継ぎの悠羽を守る立場にあるのが、次男の壮羽である。悠羽に危険が迫れば、その盾となる存在にならなければならなかった。その盾である壮羽が、悠羽に身を守らせるようならば、本末転倒である。

 壮羽は、その時、黒羽と悠羽に、両手をついて謝った。


「強くなりましたら、兄上の盾に壮羽も成れましょうか?」


壮羽は、ニコリと笑う。悠羽は、困ったような顔をする。

 まだ、兄の盾としては不十分なのだろうか? 壮羽は、不安になる。


「壮羽。私の盾になぞ、なる必要はないのだよ」


悠羽は、可愛い弟を盾にしてまで生きたいとは思わなかった。古い考え方に、悠羽は、納得がいっていなかった。

 壮羽は、キョトンとしている。


「ですが、壮羽の存在は、兄の盾となって初めて価値がありましょう? 私は、兄上を尊敬しております。兄上の盾と成れるのでしたら、本望でございます」


 烏天狗としては、百点の発言。壮羽は、産まれてからずっと言われてきた言葉に、何の疑問も持っていないのだろう。

 可愛い優秀な弟。

 悠羽は、壮羽が大きくなってその才覚が現れてきた時に、弟は兄の盾となれという言葉に疑問を持った。

 壮羽こそ族長に相応しく、自分こそ壮羽の盾になるべきではないかと。

 母の黒羽にも、姉がいたのだと聞く。母は、亡くなった姉に代わって族長になったのだと。ならば、何も長男にこだわる必要が無いのではないかと、悠羽は、思う。

 母の黒羽にもその疑問はぶつけたことがあったが、長男が継ぐことが決まっておらねば、跡目争いで醜い争いが起こるのだと、一蹴された。


「壮羽…。盾になどならずに、お前のやりたいことを自由にやればいいのだよ」


悠羽は、優しく壮羽を抱きしめてくれた。

 壮羽のやりたいことは、悠羽を守ることなのに、なぜ兄はそう言うのだろうか。

 壮羽には、悠羽の言葉が、理解できなかった。



 夜、また何を言われるかと、母と顔を合わせるのが嫌で木の上に登り隠れていた壮羽に、とんでもない会話が聞こえてきた。


「悠羽様は、お心は広いが、武術は長けていない。それでは、武勇の誉れ高い烏天狗の族長として務まるのだろうか」


「本日、壮羽様が、烏天狗一族の弓の秘術を成功なされたと聞く。飛行術でも、武術でも、誰よりも長けた壮羽様こそが、族長になられるべきではないか」


男達の声は、誰も聞いていないと思ったのか、とんでもないことを言っている。

 壮羽は、木の上で、怒りに震えていた。兄上の素晴らしい所を、全く分かっていない。出て行って、お前たちのために誰が族長になぞなるかと、言ってやろうか。


「しかし、壮羽様は、悠羽様を慕っておられます。とても、押しのけて族長になろうとはなさらないでしょう」


「ふふ、そこでだ。悠羽様のお食事に毒を入れてはどうかと思っている。毒を入れて、悠羽様が倒れられたら、壮羽様も族長に成らざるをえなくなる」


 悲鳴をあげそうになったのを、なんとか口を押えて食い止める。


 自分の存在があることで、兄の悠羽の命が危険にさらされている。

 もし、無事毒を防いでも、他に何を仕掛けてくるか分からない。

 どうしよう。兄の盾になるどころか、自分の存在が、悠羽を危険にさらしている。

 私が、兄を慕っているのが悪いのか? 私が、秘術を成功させてしまったのが悪いのか?すべては、優しい兄を守る存在になりたいがためだったのに、それが、全て裏目に出てしまった。

 涙がこぼれてくる。

 母の黒羽が、壮羽を手放しで褒めることが無かったのも、きっと、このような輩が出てくるのを恐れたからだろう。

 そうだ、兄のためには、自分は存在してはいけないのだ。

 壮羽は、そう思い込んでしまった。


 壮羽は、急いで家に戻ると、自室の机に置き手紙をして、着の身着のままで家を出た。


『本日、跡目争いの種に自分が成っていることに気づきました。兄の命を危険にさらすくらいならば、私は、里を出ます。どうか、お探しにはならないで下さい。お捨ておき下さいますように。では、母上も兄上も、お健やかであられますように。壮羽』


そう書き残して、暗闇の中、里の外に翼を向けた。

 運よく出入りの商人の幌馬車を見つけたのは、やはり天も壮羽に里にいるべきではないと、言っているのかも知れない。壮羽は思った。

壮羽は、商人に気づかれないように幌馬車の中に潜りこみ、そのままそこで眠りについた。後は、この馬車が、勝手に遠くへ連れて行ってくれるだろう。

 たった十一歳の子ども。外に知り合いがいる訳でもない。

 野垂れ死に覚悟の旅立ちだった。




 しばらく馬車に揺られて壮羽は、目を覚ました。

 不安な気持ちで空を見上げると、夜が明けるところだった。

 見たこともない景色。どこを走っているのだろう。

 地平線には、今日の太陽が、すみれ色に染まる夜明けの空に登り始めるところだった。

 日が昇れば、目立ってしまう。抜け出すなら今だ。見つかれば、里に戻されてしまう。壮羽は、翼を広げる。翼は、風を受けてバサリと音を立てる。

 明けきらない空へ、飛びだす。夜明けの冷たい風に受けて、高く空へ舞い上がる。遠くに、建物の影が見える。壮羽は、旋回して、街と思われる方向へ飛び去っていった。


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