第2話 王宮からの逃走
『いつか』は、西寧が思っていたより早く来た。
ある日、陽明は、夜中に西寧を連れ出した。
荷物もほとんど持たずに、バタバタと慌てて西寧を担いで外に出す。
陽明は、荷馬車のわらの中に西寧を隠し、
「何があっても顔を出さないで下さい」
ときつく言う。
陽明のあまりの必死の形相に、西寧には、口を挟めなかった。
万一の時には、ここを訪ねて下さいと、陽明は、西寧に小さな紙きれを握らせた。
走りだした荷馬車の中で、西寧は、何が起きたのか、思案した。
一つの可能性としては、めでたく普通の毛並みの子が王に産まれた。
あるいは、革命が起きて、王家全体が狙われている。
さらに考えれば、陽明が失墜して追われる身になった。
どう転んでも、西寧の命は危ういだろう。西寧は、緊張した。
しかし、事実は、西寧の予想したどれでもなかった。
西寧を擁護する存在であった王妃が崩御した。
その混乱に乗じて、西寧の命を太政大臣が狙っていると、陽明に連絡が入ったのだ。
だが、その事実を西寧に知らす時間は無かった。
西寧は実の母の死も、知らないままであった。陽明は、西寧を守るために、一刻も早く他国に亡命しようと、馬車を国境へ向けて走らせていた。
「こんな時間にどこに行かれる」
揺れる荷馬車が止まり、知らない男の声が聞こえる。藁の中の西寧には、どんな者かも分からない。
「はい。隣の
陽明の声がする。
西寧は、陽明の声から、ただならぬ緊張を感じ、息をひそめる。
「確か、お前の家には、あの黒い毛並みの不吉の虎がおったな。あの子はどうした」
男の声が、西寧のことを尋ねる。陽明が育てているのだ。当然聞かれる。
「国外に連れ出すのは、禁じられております。このような時には邪魔なので、家に縛り付けて放置しております。不吉の子など、誰も預かってはくれませんので。まあ、二、三日で帰る予定ですので、生きてはいるでしょう」
嘘だ。
そんな扱い、陽明から受けたことはない。
なるほど、王宮内では、俺はずいぶん嫌われているらしい。こんな風に言わないと不自然なくらいに。これでは、やはり将来王に立つなど、全く無理だろう。どうして陽明は、あのように、俺に将来の王に成れと言っていたのだろう。西寧は訝る。
男が鼻で笑う。
信じたのだろか?
西寧は、緊張で心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「御託はもういい。その藁の中を確かめさせてもらう」
男が、笑いながら言う。
どうやら、陽明の嘘を端から見抜いていたようだ。見抜いていて、陽明の反応を揶揄っていたのだろう。
西寧は、観念した。藁の中から、ぴょこんと顔を出すと、陽明と兵士の顔が見える。兵士は、ニヤリと笑う。陽明が、悲しそうな顔をしている。
「命乞いするか?坊主」
どうせ聞く気などないだろうに、兵士はそう言う。
西寧が荷馬車から降りると、兵士は、西寧の喉に剣を当てる。西寧は、土に小さな手をついて、土下座をした。
兵士が、情けない王子だとせせら笑った。
「俺は、いい。せめて、ここまで育ててくれた陽明の命くらいは助けてもらえないだろうか。陽明は、俺に同情して情けをかけてくれただけで、何の罪もない」
西寧は、金の瞳で真っ直ぐ兵士の顔を見て、そう言った。
たった六歳の子ども。
自分の死を覚悟して、臣下の行く末を案じている。
たった一人の臣下を助けるために、この小さい王子は、喉に剣を当てる見知らぬ兵士に土下座をする。
「西寧様…」
陽明の目には、涙が浮かんでいた。
「はっ! 化け物め。黒い毛並みだと、考え方も気持ち悪いな」
てっきり、むせび泣いて、己の命を救って欲しいと、見苦しく縋りつくと思っていた。西寧の物怖じしない態度に、兵士は寒気を感じて、西寧をののしる。
「化け物で構わん。お前とは、価値感が違うだけだ」
剣先の冷たさを喉に感じながら、西寧がニコリと笑う。ヒッと、兵士が小さい悲鳴をあげる。
兵士には、西寧が不気味でならない。手が震える。西寧の首から、血が滴り落ちているが、西寧は、微動だにしない。後少し剣が首を突き破れば、こんな小さな細い首、あっという間に吹っ飛ぶだろうに。
「西寧様、お逃げください!」
陽明が、兵士に体当たりをする。
荷馬車から馬が外されている。兵士が西寧に構っている間に陽明が外したのだろう。
西寧は、馬に飛び乗る。
「陽明! 早く!」
西寧が陽明を振り返ると、陽明は、ニコリと笑って首を横に振った。
「いつか、国にお戻りになって、王にお成り下さい」
陽明は、西寧の乗った馬の尻を叩いて、馬を走らせた。
幼い西寧の乗馬技術では、振り落とされないように乗っているだけしかできなかった。
次第に遠ざかっていく陽明の姿は、兵士に切られ、川に投げ捨てられた。
西寧は、何もかもを失って、ただひたすら、国境を目指して走り続けていた。
「俺が、失敗した。俺が、失敗したから、陽明は、命を失ったんだ。本来、俺が命を失うはずの場面で、俺は、陽明を見殺しにした」
西寧は、涙で何も考えられなくなりながら、馬にしがみついていた。
国境を、越えてしばらく経って、ようやく馬は減速した。懐から、陽明が渡した紙きれを出す。
西寧は、馬を引き、その商店を目指して歩き始めた。
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