お願い

 まぁ、よく分からない先輩が来たけど気にしないでおこう。

 とりあえず、これからユージンは極力アリスから離れないよう近くで守らなければ。

 しかし、常日頃守れるかと言われれば難しい。

 就寝時や起床時、それこそ寮生活である以上、オフの時間も付きっ切りというわけにもいかない。

 そこで、ユージンは考えた。

 そうだ、あの人にお願いしよう、と―――


「大まかな事情は分かったわ」


 カタッ、と。ティーカップがソーサーに乗る音が響く。

 翌日の放課後、ユージンの部屋には赤髪を携えた少女が神妙な顔つきで正面に座っていた。


「アリスっていう子が聖女の生まれ変わりで、この前の襲撃も含めて狙われる立場だってこと。それで、私に守ってほしいってこと」


 ユージンは大まかな事情を話した。

 何せ頼れて、無償で助けてくれそうな優しさがあって、実力も申し分ない相手。

 元々交友関係が皆無なユージンであったが、もうセイラしか頼れる人がいない。

 逆に言えば、セイラこそ適任だ。同性でもあり、周囲からの評判も高ければアリスが警戒することもないだろう。

 だから、ユージンはセイラに向かって


「頼む、この通り!」

「どの通りよ?」


 お願いする態度ではなかったようだ。


「まぁ、冗談として……本当に頼む」


 茶化さず、今度こそとしっかり机越しに頭を下げる。

 クズなユージンがする行動としては珍しい。

 事実、セイラはユージンが頭を下げる姿を初めて見た。

 しかし───


「……あなた、自分の言ってることが分かってる?」


 セイラはそっと、整えるかのように息を吐く。


「あの子が傷ついてもいいってわけじゃないけど、守るってことは私まで危ない目に遭ってしまう可能性があるってことよ?」

「そ、それは……」

「楽しくババ抜きをするんじゃないの。聖女の再来ともなれば皆必死にババを取ろうと躍起になるでしょう。その中でずっと手元にババを持っておけって? これから今以上に情報が広まる可能性だってあるのに?」


 セイラの言うことはごもっともだ。

 無償の対価は命の危険。守るということは、アリスと同じ渦中にセイラまで飛び込まなければならなくなる。

 ユージンはまだいい。リュナだって、固有魔法オリジナルを有するほど実力があり、負ける可能性などほぼ皆無。

 しかし、セイラは学生の中でも飛び抜けているだけで実際にはユージンには手も足もでなかった。

 もし、ユージンほどの相手が来たら? 自分の命はどうなる?


「…………」


 考えていなかったわけではないが、改めて現実を突き付けられてユージンは押し黙ってしまう。

 ユージンとて、アリスは大事な存在だ。こんな自分にも積極的に話しかけてくれ、横にいるだけで笑顔を向けてくれるのだから。

 しかし、それはセイラだって同じこと。

 こんな自分ですら見捨てないでくれている優しい女の子だ。

 強いからって危険な目に遭わせていいという理由にはならない。


「……すまん」


 ユージンは少しだけ逡巡すると、小さく頭を下げた。

 だが―――


「別にやらないって言ってるわけじゃないわよ?」

「え?」

「ただ、あなたがそこも踏まえて私にお願いしてるのか聞いておきたかっただけ」


 セイラはもう一度紅茶に口をつける。


「あなたが婚約者である私を蔑ろにしてまでアリスって女の子を助けたいって思っていたなら考えたわ。色々あるけど、私達は婚約者同士で、周囲の評判云々はあるとはいえ、何かがあっていいわけじゃない。まぁ、あなたがわざと私を危ない目に遭わせてアリスって女の子を横に据えたいっていうならいい案かもしれないけど」

「いや、それは絶対にねぇよ」

「ならいいわ。のであれば」


 にっこりと、セイラは優しく柔和な笑みを向ける。

 苦しかった心が解されていくような、そんな感覚すら覚えた。


「正直、あなたからこの提案を持ち掛けられた時……正直、嬉しかったの」

「へ?」

「あなたが誰かに優しさを向けられるぐらい心を改めてくれたこと、手も足も出なかったあなたが私の腕を認めてくれたこと、そして……私に頼ってくれたこと」


 しかし、優しそうな笑みはすぐさま嬉しそうなものへと変わる。

 瞳の色からは純粋な感情だけではなく、色々な色が映っている気がした。

 それが全て解析できたわけではないが、セイラの表情が心配を杞憂なものとさせる。


「いいわ、あなたの提案を受ける」

「本当か!?」

「私だって、同級生がそんな立場になっているのなら見捨てたくないし、困っているのなら手を差し伸べたくもなるわ」


 なんて優しい女の子なんだろう。

 ユージンを見捨てなかった時点で優しいことは分かっていたのだが、改めて彼女の優しさを痛感させられる。

 無償で誰かを助けられる優しさは、どこかユージンに似ていた。本人は気づく様子もないが。


「う、埋め合わせは必ずするからな!」

「だったら、私の剣の練習に付き合いなさい。まだ負けたこと、根に持っているんだから」

「それぐらいならお安い御用だ! あぁ、もちろん! 今なら札で顔を叩かれながらジュースを買いに行かされても文句はない!」

「パシリを許容してんじゃないわよ、伯爵家の子息が」


 よかった、と。セイラの言葉にユージンは胸を撫で下ろす。

 そんな様子に、セイラは少し首を傾げた。


「でも、どうしてあなたは彼女を守ろうとするの? 別に惚れているわけじゃないんでしょ?」

「あ? そりゃ、こんな俺にですら話しかけてくれた人だからな。守りたくなるのは当然だろ」


 何を言っているんだ? さも当たり前のように言ったユージン。

 それを聞いて、セイラは嬉しそうにそっと口元を綻ばせた。


「……変わったわね」

「ん? 何か言ったか?」

「別に、いつ婚約式を挙げようかなって考えていただけよ」

「ハッ! 俺にはこんな美少女と一つ屋根の下になる資格があるのをすっかり忘れてた!」


 女の子と無縁の生活を送っていたユージンは忘れかけていた事実に震える。

 もう自分は独り身を貫くことはない。寂しく路上を歩くカップルに妬みの視線を送る必要はない。

 何せ、元より添い遂げてくれる相手がいるのだからッ!

 あぁ、なんて素晴らしいんだろうありがとうッッッ!!!


「ふふっ、ばーか」


 喜び、「勝ち組だぜやったねひゃっほい!」と歓喜していたユージンは気づかない。

 セイラがどこかおかしそうに笑って、微笑ましい瞳を向けていたことを。


 ───そして、間違いなくこのシーンはストーリーになかったことを。

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