婚約者VS悪役

 セイラ・シェリアガン。

 シェリアガン伯爵家のご息女であり、本作のヒロインの一人である。

 主人公であるハルトよりも剣に優れ、第二部では前線で最も活躍した頼りになる存在だ。

 大人びて美しく、姉のような雰囲気はユーザーからの評価も高く、学園では多くの生徒から慕われていた。


 しかし、セイラは作中ではどのルートを辿っても一番最後に攻略できるキャラクターだ。

 どれだけ好感度を上げても、イベントをこなしても、誰よりも最後に落とすことができる。

 その理由は―――最後まで婚約者であるクズユージンをからであった。



「さっさと当たりなさいよ、クズユージンっ!」

「お墓には綺麗な状態で入りたいんですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」


 開始早々礼儀正しく接したつもりが無礼を働いてしまったことにより、ユージンはハンバーグの材料にされかかっていた。

 今、この訓練場で行われる模擬戦の中で最も白熱していると言っても差支えはないだろう。

 何せ、セイラは作中の中で一番剣の腕に長けている存在。

 生まれの伯爵家が騎士家系だというのもあるだろう。あとは先天的な才能と後天的に身に着けた努力の結晶。

 木剣とはいえ、振るわれる速さは学生の域を軽く超えており、流れるような型は息をつく暇を与えない。


『やってしまってください、セイラ様!』

『いけっ! クズユージンを倒せ!』

『女の敵なんかやっつけちゃえ!』


 周囲からセイラに対しての声援が飛ぶ。

 しかし―――


(なんなのよ……ッ!)


 そんな周囲の声など届かず、セイラの内心は焦りでいっぱいいっぱいだった。


(今まですぐにやられてたはずなのに!)


 横薙ぎに剣を振るう。

 するとユージンは突き上げるような形で弾き、逆に振り下ろすと器用に拳で側面を叩いて軌道を逸らしていた。

 どれだけ剣を振るっても、流れるように隙を狙っても、ユージンには一向に届かない。

 何故? どうして? 今までのユージン……いや、誰であろうともこんなに綺麗に躱されることなんてなかったのに。

 同年代で負けたことなんてない。

 ましてや、婚約者として昔から一緒にいたユージンに対して苦戦したことなんてなかった。


(なんで……ッ!)


 こんなに動きが変わっているのよ、と。叫んでしまいそうな口を我慢する。

 三つ。下半身を固定し、肩から腕にかけて一気に力を込めて突きを放つ。

 しかし、ユージンは一度目を拳で叩き、二度目を剣で弾く。最後の一つは上半身を逸らすことで躱した。


 ―――当たる気配がない。


 一撃を与えられる実感が湧かない。

 それが余計にもセイラの焦燥を煽った。


「意外と動けるもんだな」

「何よ!?」

「いやなに、こっちの話だ。意外にもユージンくんはちゃんと体を動かしていたみたいで安心していただけだよ」


 何を言っているのか分からない。

 それでも剣を振るう。


 アカシア流剣術———二愁にしゅう


 上段から振り下ろし、そのまま腰を屈めて相手の足元を狙う隙の剣術。

 剣を扱うとどうしても足元が疎かになりがちだ。それが学生の域ならなおさら。

 人は目に見えるものを扱う際、上手く扱おうと目に見えるものを注視する。

 その隙を狙う一撃こそ決定打の手前———決定打を撃ち込むきっかけを作り出す。


 はず、なのに。


「甘い」


 振り上げた瞬間に、セイラの鳩尾へと蹴りが入る。


「がッ!?」

「技に意識が向きすぎ。狙ってくださいっていう新手のアプローチか?」


 初めてユージンが攻撃に転じた。

 初めてユージンの攻撃が突き刺さった。

 重く、早く、防ぐ術すら与えてくれなかった一撃によってセイラは地面を転がってしまう。


(あ、あり得ないわ……ッ!)


 油断していたかしていないかで言えば、恐らく自分は油断していたのだろう。

 憤っていたのは事実。あれだけ一緒に過ごして、婚約者という立場にいるにもかかわらず「初めまして」と、眼中にすら映っていないと言われたのだから。

 しかし、もっと別———と、心の中で思っていたからだ。


(でも、途中からはちゃんと本気だった!)


 当たらないから、勝てるビジョンが思い浮かばないから。

 必死に……そう、必死に剣を振るっていたはずなのに。

 届かない。たった一度も、届かない。


『う、嘘……セイラ様が!』

『この前のことといい、あいつ本当に無能のクズユージンかよ!?』

『セイラ様が負けるなんて……!』


 地面に体をつけるセイラを見て周囲の声援がざわめきへと変わる。


(私が、負ける……?)


 そんな馬鹿な。

 そんなことはあり得ない。

 セイラは執念に似た思いで立ち上がろうとするが、握っていた剣が弾かれる。

 ユージンが目の前に現れて木剣を蹴り飛ばしたのだと気がつくのに、少しばかりの時間がかかった。


「実を言うと、あんまり剣が得意じゃないんだ」


 地面に這いつくばるセイラを見下すように、ユージンは立つ。


「専ら拳の方が楽だったからさ。リーチの差こそあれど、小回りが利くのはどうしても自分の体だからな。といっても、本業は魔法士の方なわけなんだが」

「……何よ、自分の不得意なジャンルで戦って勝ったってマウントかしら?」

「マウント取る必要なんかないだろ? が目に見えて分かっている状況なんだから」


 ギリッ、と。セイラは悔しさと苛立ちのあまり歯を軋ませる。

 悪びれている様子がないユージンは、それに対しても飄々とした態度を崩さない。


「いや、でも本当に煽るつもりなんかないんだ。多分、悪いことをしたのは完全に俺だし」

「何を―――」

「ただ、もったいないなって」


 ユージンはしゃがみ、セイラの顔を覗き込む。

 そして、小さく笑みを浮かべた。



「その剣はいつか上にまで登るよ。間違いなく、ズルした俺なんかよりも比べ物にならないぐらい上達するさ。だから俺の件で冷静さをかいたのは本当にもったいなかった」



 そう言うと、ユージンは立ち上がって背中を向ける。

 何を言いたいのか? 文句でも口にしたかったのか? それとも今までと全然雰囲気の変わった背中を見て不安に思ったのか? セイラは思わず手を伸ばしてしまった。


「待ちなさい……!」

「あ、そうそう。俺との婚約が嫌だったら解消できるようなんとかしてみるよ。今回失礼なことをしたお詫びも兼ねてね。その方がお前にとっちゃいいことだろ?」


 だが、その声は届かなかったようで。

 ユージンはセイラに背中を向けたまま離れていってしまった。


 ───伸ばした手が遠い。


 今まで婚約者として多くの時間を過ごしてきたが、そこまで近くに寄ろうとはしなかった。

 しかし、何故か今だけは伸ばした手が遠くなっていくことに───


「……なんなのよ」


 胸の内にこべりつくようなが湧いてしまった。





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