第32話 復讐の鬼


 オーガ族の肝っ玉母ちゃんに背中を押されたのは、これまた鬼瓦のような顔でガタイの良いオーガだった。


 こちらも申し訳程度に布を胸に巻いているから辛うじて女性だと分かっただけで、全裸だったなら雌雄の区別をつけられない自信がある。


「良かったな。アガダの母ちゃんはオーガ族の中でも1、2を争う程の美人だ。当然、アガダの妹も美人だ」


 名前も知らないオーガが説明してくれたが、にわかには信じられない。


 このヒトたちが美人……?


 価値観は人それぞれだから否定はしないけど、オーガ族と鬼人族の好みは理解できそうになかった。


 シュガの価値観は俺に近いようで口を開けてぽかんとしている。



「い、いや。嫁とかそういうのは特に求めていないので」



 放心していた頭を回転させて、やんわりと断る。

 しかし、彼女たちには伝わらなかった。



「分かってる、分かってるよ。でも、帰る場所があるっていうのは大切なことなんだよ? 戦場でも、敵国でも家族を思い出せば踏ん張れる。あたしの子なら丈夫な子も産めるし。尊い鬼龍族の血を残さないと」



 何を分かってねぇよ。

 俺は元の世界に帰るんだから、こっちの世界で家族なんかいらない。


 子供なんてもっての外だ。

 ただでさえ、魔王がいらん事をして困っているというのに。


 いざという時に後ろ髪を引いてくるような存在はいらないんだよ。



「俺はそんなに弱くない。子を残すつもりもない。それに女はこいつで事足りている」



 シュガを指さすと、オーガ族と鬼人族の男たちにギョッとされた。



「鬼龍族は、悪魔をそういう目で見るのか!?」

「想像しただけで吐き気が……うっ」

「異種交配すらも穢らわしいのに、悪魔だなんて」



 男たちは想像力豊か故に嗚咽している。

 反対に女性たちからは軽蔑するような視線を向けられた。


 俺のことなら好き勝手言われても構わないが、シュガを巻き込んでしまったことへの罪悪感は少なからずあった。


 きっと睨んでいるだろう、と横目で見るとシュガはあろうことかニヤニヤしていた。



「…………ふひっ」



 俺は察した。

 この反応がオーガ族と鬼人族女性たちの神経を逆撫でしたのだろう。


 同族の中で美人とされる女性が振られ、忌み嫌う悪魔が寵愛を受けているとなれば、彼女たちの心中は穏やかではない。


 そして、この人を小馬鹿にしたような笑み。


 シュガは人をイラつかせる天才かもしれない。



「そういうわけでこの話は終わりだ。俺たちは帰る」



 再び、踵を返そうとした俺の袖が引かれる。

 シュガが俺と視覚リンクしたことで、彼女が見ているヒトの姿が見えた。


 俺たちを囲むオーガ族の最も後ろにいる女だ。

 


「なんで、俺に見せた?」

「話したそうにしてたから」



 なぜ、性別な女だと分かったのか。

 それは彼女が限りなく人に近い姿をして、服を着ていたからだ。


 つまり、鬼人族の女性が俺を見つめていた。


 シュガの目越しだけど、確かに目が合っている気がしてならない。



「そこの女。何の用だ? 何かあるから聞くぞ」



 俺が声をかけるとオーガ族が道を開けて、俺と鬼人族の女性を遮るものがなくなった。よく見ると女性というよりも少女だ。



「よくも、おめおめと出てこれたものだな」

「ブスのくせに」



 そんな心無い言葉が飛び交う。



 ブス……?

 どう見ても美人だが。

 やっぱり、オーガ族と鬼人族の基準が分からん。



「お初にお目にかかります。キキ一族のキキティと申します。兄オルダに代わって、鬼龍族のツダ様にご挨拶申し上げます」



 丁寧に頭を下げた女性の白髪が揺れる。



 その姿は驚くほどに美しかった。

 人族の世界なら絶世の美女として語り継がれること間違いなしだ。


 だが、俺は美しさよりも彼女がオルダを兄と呼んだことの方が驚きだった。



「オルダの妹?」

「はい。不甲斐ない兄の最期を見届けていただけたのがあなた様で良かった。同族……しかも希少種に看取られたとあれば兄も満足でしょう」



 よく見ると彼女の髪飾りは、オルダの武器と同じ鎌の形をしていた。

 魔力の雰囲気も風属性だ。



「ここでは人が多すぎる。場所を移そう」



 俺がキキティと名乗った鬼人族の少女を連れて行こうとした時、肝っ玉母ちゃんの娘が叫んだ。



「そんなブスのどこがいいのよ! あたしの方が綺麗なのに! 毎日、牙も磨いているんだから!」



 俺は仕方なく足を止めて振り返った。



「人のことをブス呼ばわりする奴を魅力的だとは思わない。俺は見た目よりも中身を重視する。兄を思いやる心を持つこの子の方がよっぽど好感を持てるぞ」



 うぐっ、と黙ったオーガ族の女性の前を通り過ぎ、シュガとキキティを連れてオーガの居住区を出た。



 森の中で大木に背を預けて一息つく。


 シュガは座り込んでいた。

 今は金平糖はいらないらしい。



「兄を奪って済まなかった」



 俺は意を決して頭を下げた。


 勇者を招き入れ、一人でも多くの幻魔四将げんまよんしょうを葬って欲しいと願ったのは事実だ。

 その時の俺はオルダに家族がいることなんて考えていなかった。



「ツダ様が謝罪する必要はありません。兄が弱かった。それだけです」

「そう言ってもらえると気が楽になる」

「おかしな事を仰るのですね。他者を蹴落としてでも上に行くのが魔物の本懐なはずなのに」

「俺は君のことをブサイクだとは思わない。むしろ美人だと思っている。それと同じ感覚だと思うが?」



 キキティは突然の告白に戸惑った様子だった。


 俺だって知り合って数分の女子にこんなことを言いたくないが、この伝え方が一番分かりやすいと思ってしまったのだから仕方ない。



「そんなこと初めて言われました。オーガだった時から顔も口も牙も小さくて虐められていて、兄と一緒に鬼人族に進化できた後もやっぱりブスだと罵られて」



 きっと住む場所を返れば人生は激変すると思う。



「とにかく、俺はそこまで強さにも立場にも固執しない。悪魔と契約したのも鬼人族としての拘りがないからだ。それで、俺に用があったんじゃないのか?」

「はい。わたしをお側に置いてください」

「……なんで?」

「わたしの中で一番強いのは兄でした。その兄よりも強いお方を慕うのは当然のことです」

「別に俺がオルダよりも強い証明はできない。勇者を殺したのは幻魔四将げんまよんしょうのラゲクだぞ」

「わたしの中では兄が一番ですが、実際にはシャナダの方が強かったのです。だから、彼に勝ったツダ様が一番強いことになります」



 キキティも見た目はヒトだったとしても考え方は蛮族だった。



「ついてくるのは構わないが、さっきのオーガの女性にも言ったように、嫁とか言い出さないでくだよ」

「もちろん、わきまえています。ただ、人族の国に行く時は必ずお供させていただきますようお願い申し上げます」

「なんで?」

「兄を殺した勇者の一族を根絶やしにしようと思いまして」



 可愛らしく言われても、実際にはおぞましいだけで可愛らしさの欠片もなかった。口元を緩めるキキティの瞳はひどくよどんでいた。



「兄を殺した勇者にもわたしのような家族がいるのでしょうね」



 いるとも。

 俺は勇者イグニスタンの弟であるアグナムに会って、イグニスタンの聖剣を返している。


 もしもキキティとアグナムを引き合わせれば、どちらかが死ぬまで戦うだろう。


 そして、アグナムが勝ってしまったら、俺は間接的に兄妹きょうだいを殺したことになる。



「ツダ様は何かご存知ですか?」

「いいや。何も知らない。今回の目的はダグダの奪還だったから余計な調べ事はしていない」

「そうですか。人族の国へ連れて行っていただけるのであれば何でもします」



 緩く小首を傾げ、舌舐めずり姿は蛇の一族――ラミアを彷彿とさせる。

 獲物を捕えるまでどこまででも追いかける、執念深い魔物の目だ。



「俺が断ればどうする?」

「その時は単独で乗り込むまでです」

「自殺行為だ。聞いただろ。人族にはとんでもない強者つわものがいる。一人では太刀打ちできない。仮にオルダを殺した勇者に家族が居たとしても辿り着けないぞ」

「それでもやります。それが、わたしを天涯孤独にした者への復讐なのですから――」



 どっちに進んでも地獄だ。

 今の俺にできることはあるのか。



「ツダ様は先程、わたしを美人だと言ってくださいました。それもオーガ族と鬼人族の前で。わたしを連れて行かないとまた角が立ってしまいますよ。あなた様は耐えられるのですか?」



 この女、復讐のためなら本当になんでもする。


 ここで放置してもいいが、万が一、俺が勇者アグナムと接触してイグニスタンの遺体と聖剣を返還したことがバレるのは避けたい。



「いいだろう。その代わり、俺の指示には絶対に従え。それが条件だ」

「もちろんです、ツダ様」



 こうして俺はオーガ族と鬼人族にとってはブスだけど、個人的は美人な復讐の鬼が仲間になったのだった。

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