第5話 蛮族の洗礼
筋肉だるまとは思えない俊敏さに驚く間もなく、拳が直撃し、宮殿の壁を壊しながら外へと放り出された。
幸か不幸か、訓練場へと続く外廊下だ。
「……もっと高いやつをつけてくればよかった」
役目を終えた左小指の指輪が色を失い、リング部分が崩れ落ちる。
効果はないと思いつつも目潰しのつもりで指輪を投げつけたが、案の定、簡単に防がれてライオン頭が突撃してくる。
俺の首を狙う腕――ラリアットを上体をそらしてやり過ごす。
目の前を通過する腕のあまりの太さに震え上がった。
続いて爪を立てた拳の振り下ろし。
受けられるわけもなく、横っ飛びでかわす。
「我が名はクーガル! 十全たるマンティコア族の戦士だ!」
先に手が出るタイプだ。
頭は良くない。感情的。仕事熱心。仲間想い。
クーガルと名乗ったライオン頭の分析を進めつつ、拳を避け続ける。
「どうした!? 避けてばかりでは存在価値を証明できないぞ!」
そんなことを言われても、避ける以外の選択肢がないのだから仕方ないだろ。
俺の中指にはめているもう一つの指輪は回避に特化したものだ。
所有者の避けるイメージが鮮明であるほど回避率を格段に上昇させる魔法具。
だから、防御効果はない。
次にあの一撃をくらったら最期。俺の体は爆散するだろう。
まともにやり合っていい相手じゃないことは明白だ。
それなら相手のスタミナ切れを待つしかない。
気づけば、周囲には宮殿から出てきた多くの使用人たち。
更に、俺たちが――主にクーガルが訓練場の外壁も破壊したから中で汗を流していた兵士たちまで観戦を始めてしまった。
こっちはタチが悪くクーガルを煽ってきやがる。
ちらっとカイナに目配したが、知らんぷりをされてしまった。
助けるつもりはないらしい。
一人で切り抜けろ、と。
――仕方ない。
俺が懐に手を突っ込むと、危険を察したのかクーガルが瞬間移動にも近い動きで俺の前に現れ、首を掴んだ。
ギリギリと締め付けられ、踵が地面から離れる。
「参ったと言え」
「お前がな」
「ぬをっ!?」
俺の胸元で怪しく輝いていたネックレスがクーガルの腕を伝って奴の首に巻き付き、きつく喉を締め付ける。
「魔法具か!? 貴様、それでも武人か! 喧嘩に魔法はご法度――グワァ」
「知るかよ」
奴も気づいたのだろう。
あのネックレスは呪具だ。蛇の一族――ラミアの呪いが施された逸品で、俺が与えられている苦痛をそのまま転換できる。
俺を解放したクーガルが両手でネックレスを引き千切ろうとするが、そうはいかない。
なんてったって、しつこい蛇の呪いだからな。
それにドラゴンの魔力を織り込んであるから、大抵の魔物では千切れないぞ。
「ほら、これを見ろ」
息絶え絶えのクーガルの前に一枚の書類を取り出す。
「貴様ッ!!」
「俺ははぐれ鬼人族のツダっていう者なんだけど、これがどういう意味か分かるよな?」
その書類は魔王国の片田舎で貧しい生活を強いられているマンティコア族への配当金が書かれたものだ。
ついでにクーガルの給金の明細書もおまけで見せびらかす。
「お前が宮殿に召し抱えられたのが約半年前。それから故郷には帰ってないんだろ? お前のオヤジが俺の所に頭を下げに来たよ。金を工面してくれってな」
あとは分かるな? と目配せすれば、クーガルは抵抗を止めると思っていた。
これで盛大な使用人同士の喧嘩は終わり。
あとは宮殿内の修繕費をどうするか考えればいい。
そんな風に思っていた俺がバカだった。
ここは魔王国――蛮族共の集まる多種族国家だった。
「ぐがぁぁぁぁぁ!! 馬鹿にしおって! そんな小癪な真似をせずに拳で屈服させてみろ!!」
呪具のネックレスは健在だ。
それでも、血走った目で俺へ向かってくるクーガル。
やっぱり難儀だなぁ、と思う。
人族なら身内を人質に取られれば、簡単に落ちるのに。
「……ハァ。帰りたい」
ここで死ねば、元の世界に転生するんじゃね?
目を瞑り、向かってくる拳を避けるイメージを放棄して立ち尽くす。
このまま頭をぶち抜いてくれれば、きっと――
『いけなイ。まだ、頭ガ揃ッテないのニ』
突然、頭の中に描かれる文字の羅列。
自分の意思を声で聞かせるのではなく、俺に読ませて疎通を図ろうとする彼女には頭部がない。
だから、声が出せない。
戸惑いながら目を開けると、眼前には驚愕の表情で冷や汗を流すクーガルの姿があった。
本来であれば、俺の顔面を吹き飛ばしているであろう拳は、俺の胸から飛び出た骨の手に掴まれて制止している。
別に俺の胸を突き破って出てきたわけではない。
魔法陣のようなイメージだ。ぽっかりと空いた黒い穴から筋肉も皮膚もない骨が伸びている。
「契約悪魔か!? どこまでもバカにしてッ!」
思い出す。
俺はあの時、あの場所で、彼女の骨を拾った時に約束したんだ。
――残りの骨を……あんたの頭を探して、体を完成させてやるよ。
せっかくのチャンスだ。
目の前に転がってきた好機を逃すような奴は生き残れない。
それは、前世でも今世でも嫌というほど身に染みている。
「止めよう。俺は端くれとはいえ鬼人族だ。本気でやれば、死ぬぞ。お前が死んでは故郷に残された同胞はどうなる? 仕送りできなくなるぞ」
「ンギギギギッ」
どれだけ力を込めようとも、骨は壊せない。
ただぶん殴って、敵を食べることしか取り柄のないマンティコア族は人族にとって十分に脅威だ。
だが、魔物にとってはそうではない。
実際に彼の腕力では、人間の俺から突き出た骨すらも破壊できない。
「グオォォォォオォォォォ!」
「強情な奴だな」
そっと手を伸ばして、ライオン頭のタテガミに触れる。
手入れの行き届いていない、ゴワゴワした汚らしい手触りだった。
撫でるのをやめて、掴める分だけ毛を掴んで――
全身全霊、指先に魔力を総動員させる。
魔力の一点集中。
人族の平均よりも魔力量が少ない俺にできる唯一の対抗手段。
俺はニヒルに笑い、力の限りにそれを引き千切った。
ブチブチブチブチッ!!
ビリビリビリッ――バリバリバリバリッ!!
途中から聞くに堪えない音に変わったことに気づき、怖気付いてそっと後ずさる。
一瞬の静寂。
「あっ……」
「えっ……」
「はっ……」
見回すと周囲の見物人たちが絶句していた。
続いて胸元に視線を落とす。
さっきまで奴の拳を掴んでいた骨はなくなっていて、俺の手には立派なタテガミと、それが生えていた場所そのものが。
「……ぁあ、ああああああッッ!?」
一拍おいて、毛も皮膚もなく、青い血が噴き出す頭部を押さえたクーガルが絶叫した。
「オレの……オレのタテガミがぁぁぁぁ!?」
助けを求めて、カイナを見ても目を逸らされてしまう。
彼女だけではない。使用人も兵士も、誰も俺とは目を合わせようとしてくれなかった。
そこへ、何事だ! と颯爽と現れた豹。
これで助かった、とフルーレの名を呼ぶ。
右手に持つクーガルの頭皮の一部をブラブラさせながら。
「……ひっ。そ、それは……」
前足で器用に自分の額をさするフルーレ。
多分、無意識っぽい。
なんともいたたまれない空気感の中、声にならない叫び声を上げるクーガルへと向き直った俺は眉をひそめた。
「これ返すわ」
力なく膝をついたクーガルのもげた頭部にぱさっとタテガミを置いて、踵を返す。
もうドン引きしている周囲からの視線に耐えられないんだ。
1秒でも速く立ち去りたい。
それにしてもボーンちゃん、勝手に動き出さないでくれよ。
いや、助かったけどさ。
痛みは感じなかったとしても、胸元から他人の手が出てくるってゾワゾワするんだぞ。
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