第22話日々の喧騒
Twitterも、LINEも、Facebookも、私の知っているだっちゃんのSNSは全て消えてしまった。今、彼は何処で何をしているのだろう。
考えてみればあれだけ親しく付き合っていた彼のことでさえ、所詮他人の私には知る術なんてありはしないのだ。喩え何か大きな事件に巻き込まれていたとしても。
それに、これからの生活について考えなければいけないことは沢山あった。
通関士資格の勉強をしているうちに、実際の業務でも英語ができると有利だということを痛感するようになった。転職をするとしても、できれば十分英語を仕上げてからにしたかった。
けれど私ももう30歳になる。未経験の仕事をするには歳を経れば経るほど先立つ実務経験を重視されるようになり、採用される可能性が減っていく。何でも良いから経験になる仕事に移った方が良いようにも思える。
そもそも、現状で英語を話せない自分に通関士なんて出来ないのではないだろうか? そういうことを考え始めるとキリがなくて、足が竦んでしまった。
そういうときはいつも伊乃に相談する。
「仮に莉佐ちゃんが新しい職場で満足に仕事出来なくても、それは採用した会社の責任なんだから気にする必要ないよ。それに、どうせどの会社にもやらなきゃいけない雑務は沢山あるんだからそうそうすぐクビになんてならないよ。雑務をこなしながら、少しずつ仕事を覚えていけばいいんだよ。ぼくも付いてるし、どんどん挑戦したら良いじゃない。」
そうやって「やっていれば、いつかはできるようになる。」と思える楽観さが羨ましい。私のような凡人はそもそも、「やっても、できるようにならないかもしれない。」というところから考慮しなくてはいけないのに。やはり有能な人間に無能な人間のことを理解するのは難しいのだろうと思った。
とはいえ、「ぼくが付いてる。」というところには励まされたけれど。
「ねえ、伊乃は、もし親友が一人で苦しんでいたら何をしてあげたらいいと思う? 」
「難しい話をするんだね。ぼくだったら自分からは何もしないかな。放っておいて欲しいってことなのかもしれないし。相手が求めてるかどうかも分からない情けをかけても、傷付けちゃうだけかもしれないし。助けて欲しいって言ってくれたら出来る限りのことをするけどね。」
伊乃が、「どうしたの? 」と訊くので、「昔のこと。」と応えた。
転職活動を始めてみると、外資系の大手貿易会社にあっさり内定した。4年前はあんなに転職活動に苦労していたというのに、バカみたいだと思った。
職歴が日本的な感覚ではあんまり綺麗じゃないから、外資にターゲットを絞ったのが奏功した。英語のESを書くのには手間取ったけれど、海外籍の本社に書類を集約する都合上必要だっただけで、「英語力がなくても、なんとかなるっちゃなる。」とのことだった。そのぼやかした言い方に一瞬たじろいだけれど、提示された給料が現職の倍額だったこともあって、内定を蹴るという選択肢は無くなった。
4年前、仕事を辞めるときに結婚する旨を事前に職場に伝えていたせいで、結婚が破談になって大変な事態になってしまった。もう二度とそんな目に遭うのはご免だったから、結局、誰にも何の報告もしないまま職場を去った。
誰にも惜しまれず、誰にも温かい言葉なんてかけられなかった。だけど、きっとそれがお互いに丁度いい距離感なのだと思った。
私は人付き合いが苦手だから、新しい職場で馴染むのにやはりそれはそれなりに努力が必要だった。けれど、逃げられないと思って働くのと、もしダメならまた転職すれば良いと思って働くのでは気の持ちようが全く違っていて、軽やかだった。
業界の商慣習も、業法も英語も、勉強しなきゃいけないことは沢山あった。けれど一度始めてみてしまえば、どれもいつか絶妙にギリギリ超えられそうな壁であるかのように思えてくるから不思議だ。
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