第19話初デート

 伊乃に服を選んであげるとは言ったものの、正直、男物の服のことなんて全く知らない。ネットで調べてみたけれど、よくわからなかった。少し迷ったけれど、だっちゃんに電話をかけてみることにした。

「おお、どうした? 急に電話かかって来たからビックリしたよ。」

 電話口から、弾んだ声が返って来て、やっぱり、電話をかけて良かったと思った。

「だっちゃん久しぶり。息切らしてるけどシコってた? また掛けなおそうか? 」

「いきなりカマしてくるね。莉佐ちゃんも元気そうで何よりだよ。」

 声の感じを聞く限り、だっちゃんは十分元気を取り戻しているように思えた。

「考えてみればさあ、1億円だろうが100億円だろうが、返せない借金なんて0円と変わりないんだよね。ちょっと落ち込んだけど、破産だって、やってみたら大したことなかったな。」

けれど、未だにだっちゃんは社会復帰していないらしい。ずっとそのまんまでいるつもりなのだろうか。生活保護でも受けて生きていけばいいとでも思ってるのだろうか。そして彼は今一体何に苦しんでいるんだろうか。それを問いただすことはできなかった。それをしたら、私はまた彼のことを責め立ててしまいそうだから。

 それでも、そんな悲観的な状況に反して楽観的な彼の声を聞いて、少し安心した。私が怒って見せると、だっちゃんは笑っていた。

「このクソ野郎。人のことあれだけ心配させておいて、本当に、よくそういうこと言えるね! 」

「ごめんね、心配させて。気にしてくれてありがとう。」

 だっちゃんは男物のおすすめブランドを幾つか教えてくれた。さすがに婚活歴が長いだけあってその辺は抜かりないのだと思った。

 

 後日、待ち合わせをすると、伊乃は本当にスーツ姿で現れた。「あれは冗談のつもりで言ったんだよ。」と伝えると、「人間って難しいね。」と言って笑っていた。まるで彼はこの星の人間ではないみたいな口ぶりだった。多分、この人は私と同じ人間もどきの一種なんだろうなと思った。靴下はくまもんではなかった。

 レンタカーを借りて、伊乃の運転する車でアクアラインを走った。さすがに週末の高速道路は混んでいた。ノロノロ進んでは止まり、止まっては進み、の繰り返しだ。と、前の車が止まった。

「伊乃くん、前、ちゃんと見て! 」

 私が叫ぶと、伊乃は急ブレーキを踏んだ。危うくオカマを掘るところだった。

「しっかりしてよ、もう。」

 私が怒ると、「ごめんごめん。」と苦笑いしていた。木更津のアウトレットに着いてからも、駐車するのに10分程度も時間を要した。だっちゃんの運転とは雲泥の差だった。私が「運転へたくそなんだね。」と笑うと、「今後の成長をお楽しみに。」といって油汗を流していた。

 結局、コムサコミューンのジャケットだけ買った。中々、安い買い物ではなかったけれど、伊乃は躊躇しなかった。

「せっかく莉佐ちゃんが選んでくれたものだし、あんまりこういう値段の服買わないから、試してみようと思って。」

 着てみると、伊乃の身体にフィットして、中々洗練されているように見え、馬子にも衣装だと思った。でもこれは、だっちゃんが教えてくれたブランドだ。

 だっちゃんのことをさほど洗練されていると思ったことはない。だっちゃんは馬子にもなれなかったのかと思うと、少し切ない気持ちになった。

 まともな服を着せたら次は髪型、靴、下着と、順次私好みのモノを着せてみたい。徐々に伊乃がそれなりになっていく姿を見ていくのは、結構楽しいことなんじゃないかと思った。どうせ私の財布は痛まないし。

 

 帰りの道すがら、またしても伊乃は急ブレーキを踏んだ。

「ねえ、いくら初心者だっつっても危ないじゃん。次危ないことしたら殺すからね。」

 私はいつものだっちゃんと話すノリで注意をした。

「ごめん。」

 しばらく無言の時間が流れ、伊乃が思い切った様子で切り出した。

「あのね、ぼくの運転技術が全然ないっていうのは事実なんだけど、それでもやっぱり「殺す。」はナイと思うんだよ。ぼくも必死でやってるし、やんわり注意してくれたら少しずつ直してくから。」

 夕暮れ時のアクアラインには洋上の強い風が吹いていて、その音が車内に響いていた。私は伊乃の顔を見ることができなかった。思わず、元カレのことを思い出してしまった。

「ごめんなさい。」

「全然、そんな、怒ってるとかじゃないんだけど。」

「私ね、気付けないんだ。昔大事な人がうつになったとき、ずっと気付くことができなくて、結局最後には責め立てることしかできなかった。こないだも、大事な友だちが思い詰めて苦しんでいるのに、私以外の人は気付いていたのに、多分私だけが気付けなかった。その人には、今みたいに酷いこと沢山言ってたと思う。でも、当たり前だけど、酷いこと言われたら傷付くんだよね。」

 伊乃はしばらく黙っていた。

「莉佐ちゃん、ぼくも同じなんだと思う。他人が何で傷付くか全然分からないし、変なこと言って困惑させること、沢山あるよ。今までずっと勉強と仕事しかしてこなかったから、全然人生経験もないし。だから、お互い思ったことがあったら我慢しないで指摘し合っていけばいいんじゃないかなって思う。一緒に少しずつズベ。」

「少しずつ、ズベ? 」

「……少しずつ、成長していけばいいんじゃないかな。」

「そこは噛まずに言って欲しかったよ! 」

「ごめんごめん。もっかいやり直して良い? 」

 二人で笑いながら、きっとそうなのだと思った。この人の能力の高さはきっと色んなことを犠牲にしてきたものだと思うし、足りていなくて当然なのだ。

 私だって口は悪いけれど、得意なことはある。

「伊乃くん、今日、何か作ってあげようか。アウトレット連れてきて貰ったお礼に。」

 伊乃は、服はダサいし、人生経験は足りていないけれど、優しいし、賢いし、きっと私と足並みを揃えてくれるだろう。そうして少しずつ、前に進んでいけば良いのだ。

 伊乃は動揺しているのか、ハンドルさばきがおかしくなり、左右に蛇行し始めた。

「でも運転は早く上手くならないとダメだよ、それは生命に関わるんだから。」

 私がピシャリというと、伊乃は、「はい……。」といって項垂れた。

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