第17話焦燥と失敗
あれから数日、だっちゃんは喫煙所に現れず、Twitterも更新していなかった。
「だっちゃん、最近見ないけど元気でやってる? 風邪でもひいちゃった? 」
心配しているだなんてバレてしまうのは少し癪な気がしたけれど、迷った末にLINEを送ることにした。
けれど中々既読が付かなかった。いつもは即レスがあるのに、一体何をしているんだろう。仕事の間、頻尿の振りをして何度もトイレに立ってはスマホを確認した。結局、彼から返事が返って来たのは、半日以上の時間が経ってからだった。
「返事、遅れてごめんね。実は具合が悪くって、会社を休んでるんだよね。」
「わかった、お大事にね。何かできることあったら言って。」
とはいったものの、やっぱり気がかりだった。少し迷って、電話をかけることにした。コール音の鳴っている間、身体を壊しているときにこんな風にしつこく連絡されたら鬱陶しいだろうな、と少し反省した。それもこれも全部、花奈さんからあんなことを言われたせいだ。
「どうしたの、電話なんかして。今、仕事中じゃないの? 」
だっちゃんがいかにも寝起きのような声をして電話をとった。
「ねえ、大丈夫なの? 」
「うーん、まあ体調的には大丈夫だと思うよ。しばらくすればまた顔出すから。」
体調的にはね。その言い方がどうしても気になって、本当は訊くつもりはなかったのだけれど、思わず疑問を口にした。
「花奈さんからね、だっちゃんヤバいんじゃないかって言われたの。絶対お金に困ってるはずだって。どんだけ余裕ないのよ。」
ううん、とだっちゃんは唸った。何かを迷っている様子だった。
元カレと別れたとき、私は元カレがうつを患ってしまったことに気付くことが出来なかった。花奈さんに指摘をされても、私はだっちゃんが何かに困窮しているだなんてことに半信半疑でいた。私は、そういうことを察知する勘みたいなものが欠落しているのかもしれない。
「隠し事はしないで。そういうの、私一番嫌い。」
「わかったよ。本当はもう少し、色々一段落してから打ち明けようと思っていたんだけど、実は破産することになりまして。仕事も、本当は辞めたんだ。」
渋々という様子で答えただっちゃんの口から「破産」というワードが出て、その言葉の余りの強さに面食らってしまった。
破産だって?
借金をチャラにすることができる仕組みだ、ということくらいは知っている。けれど、どのような機序でそんな常識外のことが許されるのか、全くの無知だった。身の周りでそんな言葉を口にする人なんていなかったし、自分には縁のない制度だと思っていたから、調べたことさえない。
そもそも、周りでも奨学金の債務に苦しんでいる人は沢山いる。借金をただ帳消しにすることができるのなら、みんなそうしているはずだ。必ず何らかのリスクを背負うはずだ。とにかく、世間で恐れられているものだということだけは確かだった。
「何でそんなことになっちゃったのよ。普通、そんなことになる? 」
だっちゃんは社会人になってから、すぐに婚活を始めたらしい。
忙しい部署に配属され、毎日帰りは早くとも20時以降だった。にも拘わらず、毎晩のように女と会い、婚活に精を出し続けた。
彼がそんなに必死になっていた理由は、彼のような社会不適合な人間が社会にしがみ付いて行くためには、家族というかすがいがなければ早晩限界が来るということが判っていたからだ。私には彼が社会不適合に映ったことは一度もないけれど、本人はそのことで随分苦しんでいたのだという。
そうして何度か合コンや婚活パーティ、果ては結婚相談所にまで入って試行錯誤を繰り返した末、出会いの方法をアプリに切り替えた。
そうして一人だけ、女と付き合うことができた。その交際も結局、長続きはしなかったけれど。しかしそのことで、余計に女と付き合うことに諦めがつかなくなってしまったのかもしれない。
女と別れてからのだっちゃんは、再び押せども引けども交際に至らない苦悩の日々を送ることになった。20代の若さでこんなに彼女を作ることができないのなら、婚活を30代に持ち越すことは絶対に出来ないと思ったらしい。
「でもだっちゃんは男なんだから、焦る必要なんてないじゃない。ジジイでも結婚していく男なんて沢山いるでしょ。」
「年嵩で売れていく男性っていうのは特殊事例なんだよ。お金があるだとか、地位があるだとか、そういう付加価値がある場合だけ。特別なことだからピックアップされて目立つけれど、大半の平凡な男性は35歳までに捌けないと結婚できる可能性が有意に低くなる。実際、莉佐ちゃんは36歳以上の男性を相手にしようとしたことある? 周りで36歳以上でもイイって言う女の子は沢山いるかもしれないけれど、彼女たちは大体年収一千万円以上の相手を狙う上昇志向の子じゃなかった? うちの会社じゃ、高給取りになる頃にはもう40代だよ。若いうちに勝負を決めなかったら、詰みなんだよ。」
そうしてメンズエステやジムに通い、ファッションに気を遣い、しまいには底の高い靴を履くようになった。
しかし女たちは、利害の無い男に対してとことん厳しかった。
慌ただしい日々の中、慢性的な睡眠不足になりながら仕事の合間にLINEやメッセージを何十通も返していく。その挙句にドタキャンされたり、待ち合わせ場所で直接顔を見て無言で帰られたこともあれば、露骨に不愉快な態度をとられたり、帰りしなに罵声を浴びせられた。そうして、女のためにひたすら時間と精神と財布を叩き続けただっちゃんはある日、自分の預金残高を見た。そして自分がほとんど無一文であるという事実に愕然とし、一つ悟ったらしい。
自分には、愛される価値が無いということを。
「だっちゃんに愛される価値が無いだなんて、私は全然思わないよ。」
私はそう返したけれど、だっちゃんには届かなかった。
「だって現に、彼女がいないじゃない。何年もの間、女にコケにされ続けて確信したんだよ。もう、お金を愛して貰うしかないって。オレみたいな雑魚が愛されるには金が要るんだって。」
そこで給料とは別に収入源を確保したいと考えるようになった。
それでも、本当は堅実な方法はいくらだってあったと思う。けれどだっちゃんは焦っていた。婚活市場にいる間、刻一刻と若さを失っていくからだ。
そして、大型不動産投資に手を出した。
それはある不動産管理会社を仲介して、新築のシェアハウスを一棟丸々購入するというものだった。けれど、いくらだっちゃんが大企業に勤めていて相応の与信があるといっても、銀行が20代の若造にそんな多額の資金を貸し付けることは本来あり得ない。借入れ希望者の勤めている会社の規模や収入のみならず、現預金等の財産や返済履歴といった種々の事情を加味して総合的に返済可能性を判断するのが与信なのだ。
しかしある地銀に限っては、不動産管理会社と結託し、不当に多額の資金を貸し付ける仕組みがあった。即ち不動産管理会社を介して地銀に対してシェアハウスを購入する資金の借入れ申し込みをするときに、不動産管理会社が購入予定者の銀行の預金口座に数千万円の資金を一旦預け入れるのだ。そして地銀は、その預金残高を前提とした与信を査定し、本来あり得ないほど多額の資金借り入れ申し込みを決裁する、というスキームだ。
そうして、だっちゃんは地銀から1億円という身の丈に合わない借金を抱えることになり、その代わり、川崎の片隅にシェアハウスを建築した。
1億円だって? そんなのフィクションでしか見聞きしない数字だ。想像するだけで、頭がくらくらして来る。不動産管理会社から一旦数千万円預けられた上で与信審査に望むということは、だっちゃん自身もまた地銀の裏をかいてやろうという悪意を持っていたということだ。私は怒りを向ける先が段々判らなくなってきた。
けれど上手い話には裏がある。地銀と不動産管理会社ばかりでなく、シェアハウスを建築する請負工務店も結託していたのだ。請負工務店は、シェアハウスを購入するだっちゃんの無知につけ込み、相場の倍以上の見積もりを出す。それを不動産管理会社の担当者が、「これはお安いですよ。」などといって唆し、地銀は借入れ希望者の購入するシェアハウスの値付けが不当に高いということを知りながら、そのことを指摘しないまま融資を決裁する。
つまりだっちゃんの購入したシェアハウスは、本来5千万円以下の価値しかないものだったのだ。
しかも、新築するシェアハウスから家賃収入を得る仕組みも全て絵空事だった。だっちゃんの購入したシェアハウスは、同等規模の通常のアパートに比べると1戸当たりの家賃は低いものではあったけれど、その分、多くの入居者を収容できる。つまり入居率が100%であれば、シェアハウスの方が多くの賃料収入を得られるということだ。計画上では、の話だったが。
「私、シェアハウスなんて絶対イヤなんだけど。自分の空間は大事にしたいもん。日本人なんて大体そういうものでしょ、だっちゃんだってそうでしょ? ルームシェアで散々痛い目に遭っていたじゃない。流行ると思った根拠は何なの? 」
案の定、シェアハウスは閑古鳥が鳴き、全く入居者が現れなかった。
しかしそういうときに備えて、だっちゃんはシェアハウスを仲介した不動産管理会社と家賃保証契約を結んでいた。それは、仮にシェアハウスに入居者がいなかったとしても、常に不動産管理会社が大家であるだっちゃんに対し、入居率90%に相当する家賃を延々と支払い続けるというものだった。だから仮に入居者数が計画より下回ったとしても確実に家賃を確保することができますよ、というのが不動産管理会社の言い分だった。
けれど、やはりそこにも裏があった。家賃を保証する入居率を、いつでも任意の割合に変更することができる条項が契約書の隅に申し訳程度に書かれていたのだ。かくして不動産会社は、家賃保証の入居率の割合をどんどん引き下げていった。
そしてだっちゃんは、高利で借りた1億円という多額の債務の返済に喘ぎ、計画通りの家賃を得ることが出来ず、運転資金に窮して赤字経営をするようになった。ある日、遂に資金ショートしただっちゃんは観念し、弁護士事務所に駆け込み、破産することになった。
破産者の財産はほとんど全て処分されてしまう。シェアハウスは競売にかけられたが、二束三文だったらしい。
自分の生活を楽にして、あわよくば女に愛されるために始めた不動産投資で余計貧乏になり、その挙げ句に破産するだなんて本末転倒もいいところだ。
「何それ、バカじゃん。だっちゃん本当にバカすぎ。仕事も辞めたって、それ無職ってこと? じゃあ、これから婚活はどうするのよ。」
「結婚なんて諦めたに決まってるじゃん。もうオレには誰のことも幸せにしてあげることはできないよ。でも本当言うと、ちょっとホッとしてるんだ。今まで、ずーっと婚活していて、どうして誰も自分のことを選んでくれないんだろうって思ってたから。でもやっと解ったよ。極端にしか生きられない人間は、極端な場所に行きつくしかない。他人のままでいた方が良い人間は臭いで判るんだよ。今思えば、オレと出会った女の子たちは慧眼だった。」
「だっちゃんが少し変わってるだなんて、そんなことずっと前から気付いていたでしょ。」
「まあね。だけどせっかく一度きりの人生なのに、それが不幸だったらガッカリしちゃうじゃん。だから諦めがつかなかったんだよ。でも今はもう、幸せになれないことに違和感がない。掴めそうで掴めないことが一番しんどいからね。やっと色んなことを諦めることができたよ。」
「悟ったようなことばっかり言って、破産くらいで死んだりしないでよ。変なこと考えるのだけは止めて。」
「通関士の試験、いつ? 」
「10月だけど。」
「じゃあそこまでは確実に死なないよ、約束する。」
「だからさ……。私はね、こっちはアンタに死なないでって言ってるの! 」
私の剣幕に、隣を通った同僚が驚いた顔をしていた。煮え切らないだっちゃんに堪忍袋の緒が切れてしまった。しばらく無言の時間が続き、だっちゃんが絞り出すように、「本当に、バカだよね。」と口にした。
電話が切れて、自己嫌悪に陥った。私は一体、何がしたかったんだろう。
辛い現実に直面しているだっちゃんに怒鳴りつけて、さらに追い詰めてしまった。自分が安心したいがためにだっちゃんを「アンタ」呼ばわりまでして責め立てた。なんて自分勝手なんだろう。
私は、数年前から何にも成長できていなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます