第16話コミュ障とプライド
「ごめんね、私が誘ったのにお店まで選んでもらって。この辺りに不案内で。」
花奈さんが改まって言った。
だっちゃんと別れたあと、私たちはしばらく街を彷徨った。日曜の渋谷はどこもかしこも人がうようよしていて、空いているお店はほぼ無かった。
結局、仕方なく行列の出来ていたチェーンのカフェに並んで入ることにした。
私は秒でカフェオレを選んだのに、花奈さんはレジの前で後ろに列ができているのにも拘わらず、ずっとメニューを眺め散々迷った挙げ句、カフェオレを選んでいた。
花奈さんは私と大して歳も変わらないのに嫋やかさのようなものを身に着けていた。このマイペースさがその根源なのだとしたら私にマネすることは出来ないだろうし、これについていけるだっちゃんもさるものだと思い感心してしまった。
「前々からだっちゃんから話は聞いていたけれど、こんなに綺麗な人だったなんて思わなかったよ。」
「ありがとう。でもそれは、莉佐ちゃんもね。」
賞賛を素直に受け取る大人の女。この色香を前にして、だっちゃんは手を出さずにいられたのだろうか。本当の意味で信じることができなかった。女の私でも、思わずしな垂れかかりたくなる身体つきをしているのに。
「だっちゃんって、性欲とか、あるのかな。」
「私が訊いたら、あるって言ってた。問い詰めたら、1日に4回は自分を慰めてるって言ってたもの。よくわかんないけど、多いんだよね、多分。」
「ヤバ、性欲おばけじゃん。」
昔実家で飼っていたオスのマルチーズのことを思い出した。あるとき、使い古したハローキティのぬいぐるみを渡すと、噛み千切るでもなく、両手に掴んで必死に腰を振り始めたのだ。そのとき、ヤツの陰茎は隆起していた。
そのときは家族総出でその滑稽な様子を腹を抱えて笑っていたけれど、人間ともなれば話は別だ。だっちゃんのそういう具体的な性欲の話をされると、哀愁も感じるし、一方でそれはやはり少し怖いことであるような気持ちもしてくる。私もハローキティの代わりにおかずにされたりしているのだろうか。そんなことは想像もしたくないけれど。そしてそんなことを平然と本人に問い質す花奈さんのことも、やはり恐ろしい女だと思わざるを得なかった。
「あの人、最近どんどん痩せてってるよね。」
「ジムに通ってるって言ってたよ。結構効果出てるよね、あれは私も見習わないと。」
「わたし、あれはやつれているように見えるの。気が付かなかった? 思うんだけど、彼、もう限界だと思う。」
私には、花奈さんが一体何の話をしているのか、よく解らなかった。
「限界って、どういうこと? 」
「あの人、ほとんど毎日婚活してるでしょ。でも、婚活ってすごくお金がかかるじゃない。わたしもね、アプリで婚活していたんだけど、男の人って大体食事おごってくれるよね。彼の給料で家計が回ってるはずない。今日だって、迷わず一番安いメニュー選んでいたでしょう。多分、相当厳しいんだと思う。」
全く気付いていなかった。
確かに金銭面については常々思っている疑問だった。未だにこの国の男女の賃金格差は著しいけれど、それは年配になってから、昇給面で差がつくからだ。20代の給料なんてそう大して違わない。それでも、男には男としての振る舞いが求められる。デートで多めに払うのはもちろんのこと、出会いアプリも、婚活パーティも、合コンも、女が無料であっても、男はそういうものを利用する度に数千円から徴収されている。足元を見られているのだ。
「最近の彼を見てるとね、すごく余裕が無さそうに見える。相当苦しいんだと思う。死んじゃうんじゃないかと思って、心配で。」
さっき食事をしていたときに、だっちゃんが「死。」という言葉を口にしていたことが脳裏を過った。
「変なこと言うの、止めてよ。」
「莉佐ちゃん、彼のことよろしくね。」
「え、何で? 」
花奈さんから唐突に言われて、思わず訊き返した。
「彼のこと、好きなんじゃないかって思ったから。彼、いつもあなたの話をするの。あんなこと言われた、こんなこと言われたって。気持ちの深い所で信じあってるんだなあって、いつも思ってたの。」
「だっちゃんは欠点を指摘してもそれを活かして努力できる男だからね、言ってあげてるだけ。でも、好きとは違う。」
「付き合っちゃったらいいのに。彼、誠実だし、ちゃんと働いているし。」
私たちのことを何も知らない癖に、分かったような口ぶりをされてカチンときた。
「花奈さんはどうなの、好きじゃないの。」
「好きに決まっているでしょう。」
私を見据えて言い切る花奈さんは、やはり能面のような表情をしていた。後頭部から血の気が引いていくのを感じた。
「じゃあどうして、花奈さんはだっちゃんと付き合わなかったの。」
「失えなかったのよ。男友だちとして付き合う分には、彼くらい良い人って中々いないじゃない。でももし付き合って、身体の関係とかできちゃったら絶対に揉めたりするし、最悪、縁が切れちゃうでしょ。」
だっちゃんには、婚活で知り合った女友だちが何人もいるらしい。
その中にはこうして花奈さんのように、異性として付き合っても良いと思っているけれど、彼自身を失うことが怖くて二の足を踏んでいるような女もいるのかもしれない。
そこでもし、だっちゃんが女友だちを失うリスクを負って性的アプローチをかける気概があったのなら、多分、彼は今ごろ誰かと付き合っていたのだろう。
けれど、だっちゃんの良さはその割り切りにある。
もし彼が女友だちに性的アプローチをかけるような男だったら、きっと私はだっちゃんとこんなには仲良くなっていなかったのだろうと思うし、それは花奈さんも同じだろう。女に好かれる能力が、女に愛されることの枷になっているなんて皮肉なことだ。
「それに、私もう結婚するんだ。彼には幸せになって欲しいけれど、できればずっと友だちでいて欲しいのよ。莉佐ちゃんが彼女なら、私が結婚してからも付き合えるでしょ? 」
もううんざりだった、聞くに堪えない与太話だ。仮にだっちゃんが限界だったとしても、それは私とは何の関係も無い。そんなにだっちゃんが大事だと思うのなら、自分一人の力で何とかすれば良いのだ。
この女はだっちゃんを何とかするために、今知り合ったばかりの私を自分の妄想に巻き込んだ挙句、生贄に捧げようとしている。そして自分が受け取りたくない人間の嫌な部分を他人に押し付けて、良い部分だけを享受しようと企んでいるのだ。とんでもないアバズレだと思った。
「無理なものは無理。私、廃品回収屋じゃないから。話はもういい? コーヒー代は置いていくから。」
私の背中に花奈さんが、「ごめんなさい、そんなつもりじゃ。」などと言っているのを聞いたけれど、無視してその場を立ち去った。
花奈さんと別れた後、家に帰ってから頭を抱えた。
あんなにムキになって言い返す必要なんてなかった。今思えば、あんなのは普通の雑談の範疇に納まるくすぐりみたいな話だったと思うし、花奈さんだってそんなに悪い人じゃなかったような気がする。
せっかく知り合ったんだから、本当は友だちになれていたのかもしれない。だっちゃんだって、きっと私たちが友だちになったら良いと思って紹介したはずだ。なのに、顔に泥を塗ってしまった。
ああだからだっちゃんにもおきゃんだなんて言われて、男友だちを紹介して貰えないんだな。もう少し堪え性を持たなければいけない。何度も身に染みていたはずなのに、今日もやってしまった気がする。
せめてだっちゃんには直接謝ろう。花奈さんには間接的に謝って貰おう。と思い翌日、いつもの喫煙所で彼が来るのを待った。
でも週明けのお昼も、次のお昼も、その次も、彼が姿を現すことはなかった。
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