第15話知らない女
ある日、久しぶりにだっちゃんから誘いがあった。
「日曜日のお昼、もし空いていたら、たまには一緒にご飯食べに行かない? 」
たまには息抜きも悪くないかと思って応じると、「花奈さんも連れてっていい? 」などという。応じたあとで条件を足してくるなんてイヤらしいことをすると思った。
花奈さんは、だっちゃんと一緒にフランスに旅をした女友だちだ。なお年上で、彼氏持ちとのことだった。
彼氏持ちでありながら男友だちと旅行に行くなんて、なんて不埒な女なんだと思わないこともない。けれどきっと、端から見れば私だって大差ないのだろう。
「妙齢の男と同じ部屋で褥を共にする。」だなんて字面にすれば淫靡な響きがあるけれど、男の部分が「だっちゃん」に置き換わるだけでピクニックみたいな、それ自体プリミティブな滑稽さを喚起してくるように思えてくるのだから不思議だ。彼はそれを女に思わせる生来の何らかを持っていた。多分、本人的には損なのだろうと思うけれど。
「莉佐ちゃんのことを話していたら、「実際に会ってみたい。」って言われて。無理にとは言わないけれど、どうかな。」
「私のいないとこで私の話題なんか出さないでよ。だっちゃんのことだから、どうせロクな話してないんでしょ。まあいいよ、私もどんな子なのか興味あったしね。どうせブスなんでしょ。」
「じゃあ決まり、今度よろしくね。莉佐ちゃんと比べたら大抵の女の子はブスだよ。でも、思ってもそういうことは口にしないでね。頼むよ。」
「同い年のくせに子ども扱いしないでくれる。まともな一般常識くらいあるつもり。」
当日になり、渋谷駅から少し離れた円山町にあるカフェで待ち合わせをした。だっちゃんのチョイスだ。
一人でも入りづらくない程度に人が少なくて、適度に照明を落とし陽光と外気を取り入れている。きっと女好きするお店なのだろう。
毎日毎日飽きもせず女たちのご機嫌をとって暮らしているからこんなメス好みのカフェを平気で提案してくるのだ。行き過ぎている。私なら、彼氏がこんなカフェを選んできたらその選択の裏に敷衍する過去まで思いを馳せて、むしろ色々と邪推してしまうだろう。
他の男とならともかく、だっちゃんとご飯を食べるなら、その辺の汚い居酒屋の方が肩が凝らなくて良いのに。
でもまあ、今日は花奈さんが一緒だから許してあげよう。
「待った? 」
顔を上げるとだっちゃんと、長身の女がいた。
「莉佐ちゃん? 初めまして、花奈っていいます。だっちゃんから話を聞いていて、ずっと会ってみたかったんです。ワガママに付き合ってくれてありがとう。」
花奈さんはミニスカートにグラマラスな身体つきをしていた。
左肩にあずけた長髪のワンレンが、少し沿ったシャープな顎の形を強調していた。伏し目がちで艶のある彼女のまばたきは、もちろん男だって魅了することもあるだろうけれど、同性に憧れを受ける女上司のそれだった。
花奈さんは遠慮がちに微笑んでくれたけれど、存在感に圧倒された私はまともな挨拶ができなかった。ブスだったら良いな、と思っていた私の期待は、ものの見事に裏切られてしまった。
「いえいえ、そんな、いやいや。」
こういうとき、自分がまだ小娘であることを実感する。格上の相手に臆さず話せるほど、私の肝は据わっていない。
チラとだっちゃんの顔を見て目で助けを求めると目が合って、気持ちが通じた。
「花奈さんにお店の場所LINEで送ったんだけど、「こんな地図なんて読めない! 」って言われて、仕方なく駅前から連れてきたんだよ。本当、世話の焼ける人だよ。」
そう言ってだっちゃんがやおらソファに座り込むと、花奈さんが、「ちょっと。」と言ってだっちゃんを睨みつけた。普通の男だったら気圧されるような鋭い目つきだった。
「こんな分かり難い所にあるカフェを選んだのは誰? 」
「良いじゃん、悪くないでしょ。いい加減グーグルマップの使い方、覚えてね。」
いつも私と接するように全く悪びれずに言うだっちゃんを見て、そうか、きっとこうして媚びないところが彼女は心地いいのだろうと思った。
花奈さんに加勢してだっちゃんを責めた。
「自分の出来ることを他人も出来るなんて思っちゃいけないよ。そういうところがモテない原因なんだよ、少しは反省したら。」
「さすが莉佐ちゃん、そうだよね。これで2対1だね。」
花奈さんが私に笑いかけてくれた。だっちゃんが不貞腐れたように「はいはい、すいませんでした。」といって苦笑した。予定調和の会話が上手くいったことに安堵して彼女の顔を直視すると、透き通るような白い肌に完璧な笑顔が能面のように張り付いていて、背中に冷たいものを感じた。
それでも、きっと杞憂なのだろうと思うことにした。私だって緊張しているときはそういう顔になることだってあるはずだ。
だっちゃんと花奈さんは、数年前に共通の友人が開いた合コンで知り合ったらしい。二人は何度かデートを重ね、だっちゃんとしてはあと少しで付き合えると思っていた。けれど花奈さんはそのとき好きだった男性にフラれて傷心の真っ最中で、結局、その気になれなかったのだという。
そもそも、その気にならないと判り切っているのだったら、最初から出会いの場に顔を出すべきではない。それは他人の時間とお金を奪い去るだけだ。花奈さんのだっちゃんへの仕打ちに、なんて身勝手な女なのだと思った。
さりとて私も他の男が相手ならそういうことはよくやるので、似たようなものだけれど。ただ、だっちゃんは私の友だちだから、同情もする。
その後、花奈さんは他の男性と付き合うことになる。女というのはそういうことを平気でする。ただ、そのときはだっちゃんにも彼女が出来ていた。それから二人は、友だちとして付き合うようになった。
カラオケや飲みに行ったり旅行に出かけたり、話を聞いていると、私が資格予備校に通い始めるようになった頃から、その間隙を縫うようにして二人は仲良くなっていったようだ。蛇蠍のごとき女である。
花奈さんが男と別れたときには、だっちゃんは男友だちを紹介するようなこともしていたらしい。だっちゃんに紹介できる男友だちがいたなんて情報は初耳だった。
「ちょっと待ってくれる。私にはそんな提案一切してくれたことないよね? 花奈さんには紹介して、私にはしない、どういうこと? 」
「だって莉佐ちゃん、「おきゃん」じゃん。絶対オレの男友だちに何かしら捨て台詞吐いてから捨てるでしょ。オレにもオレの交友関係があるから、破壊されたら困るし……。」
酷すぎる言い分だった。おきゃんだって? 一体、だっちゃんは私のことを何だと思っているんだ。
「違うわ、莉佐ちゃん。この人はね、莉佐ちゃんのことを自分だけのものにしたくて仕方ないの。それが恥ずかしくてこんな言い訳ばっかりして。素直にならないとモテないよね。」
花奈さんの余裕が業腹だった。しかしそれより癪に触ったのは、マウンティングの材料にだっちゃんを使われたことだ。だっちゃん如きとの関係性で感情を乱されるなんて、はっきり言ってイヤすぎる。
「そういうこと。莉佐ちゃんはオレだけのものだからね。」
「マジでキモい。勘弁してくれ。」
花奈さんが「本当に、仲良いんだね。」といって笑っていた。その衒いの無さに、少しホッとした。
会話は滞りなく、私たちを打ち解けさせるのに十分だった。大抵は、だっちゃんへの日頃のダメ出しに終始していたが。
昨夜もだっちゃんは出会いアプリで女と仕事終わりに待ち合わせをしていたらしい。
何週間もメッセージのやりとりをして、話題もかなり合うと思っていた。
しかし当日、予約したお店の前で待っていると、彼女が現れ、彼の顔を見た途端、踵を返して去っていってしまったのだという。きっと予想していた感じの男性ではなかったのだろう。私も最初に見たとき、偏差値47くらいの顔だと思っていたから。でも今は、努力で偏差値51くらいまでにはなっているのではないだろうか。世知辛いと思った。
「想像していたよりブサイク過ぎたってことでしょ。因みにこういうの、もう5回くらいやられてるから。いくら何でも傷付くよ。オレじゃなかったら死んでるね。」
「本当にだっちゃんはダメだなぁ。」
私が零すと、だっちゃんが苦し紛れに言い返した。
「花奈さんはともかく、莉佐ちゃんはまだ彼氏できてないじゃん。」
私が大袈裟にため息をつくと、花奈さんが先に言いたいことを言ってくれた。
「あなたはもっと物分かりの良い人だと思っていたわ。この年齢、この容姿で本当に彼氏が出来ないと思ってるの。莉佐ちゃんは妥協していないだけで、まだ選べる時期なの。無理に付き合う必要なんてないの。」
「そういうこと。確かに婚活で悩んでいるけど、だっちゃんとはステージが違うわけよ。」
だっちゃんが、うーんと唸った。
「じゃあ花奈さんは、妥協して今の相手を選んだってこと? 」
「そうよ! 」
その潔い口ぶりに、私は思わず吹き出してしまった。
「そうだったんだ。」
「じゃあ、オレに乗り換えたりしないわけ? 」
「だっちゃん、そういうのキモイよ。」
私が言うと、花奈さんも笑った。
「私はね、あなたにはそういう失礼なことしないって決めてるの。」
だっちゃんをを真っすぐ見詰めて言う花奈さんに、それってどういうこと? と私が訊く前に、だっちゃんが割って入った。
「んー、これはプロの躱し方だね! 」
「だっちゃんってたまにウザいよね。」
花奈さんに同意を求めると、彼女も、「ね。」といって微笑んだ。
ひと通り話し終わり3人で駅へ連れ立って歩いていると、花奈さんが口を開いた。
「莉佐ちゃん、少し女同士でお話しませんか? 」
「……私はいいけど。」
「じゃあ、コーヒーおごるね。ねえ、ここでお開きにしていい? 」
「いいけど、二人だけでオレの悪口言うのは禁止ね。」
それはどうかなあ? といって私と花奈さんは顔を見合わせた。
「またねえ、だっちゃん。」
「うん。二人とも、またね。」
夕陽の中、だっちゃんが渋谷の雑踏に消えていく姿を見ていた。苦し紛れに履いた底上げ靴特有の珍妙な歩き方、それでは誤魔化し切れないほど短い足で去っていくその姿は、颯爽というにはほど遠い。テクテク効果音が聞こえてきそうだ。
けれど、それが何故だか私の心を締め付けた。ふいに、「がんばれ! 」と思わず叫んでしまいたい気持ちになった。
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