第9話秋田旅行

 

 少し早めに待ち合わせの東京駅に到着し、カフェの窓際の席から改札に吸い込まれていく人波を眺めていた。

「ドナドナドーナードーナー、子牛を乗ーせてー。」

 思わず自嘲気味に口ずさんだ。

 11月になると、都会にも秋の気配が漂うようになる。少しだけマシな季節だと思う。

 みんな厚着をするようになって、満員電車で汚いオッサンの露出した肌から流れ落ちる油汗にゾッとすることもなくなるし、押し合いへし合いして他人と身体を接触する不快感も多少はマシになる。

 奴隷船に漂う瘴気や熱気も、空気の乾燥や気温の低下に伴って、むしろ心地よく感じることさえある。そんなことに気付いて、つくづく社会に飼い馴らされていく自分に嫌気がさした。

 本当は紅葉みたいな叙情的なことで秋の気配を感じたい。でもそんな風流なもの、何処を見渡したって都会にありはしない。

 小学生の頃、秋の季語の例として紅葉を習った。けれどそれ自体、平安時代から長年培われたただの思い込みでしかなくて、実際の季節には即していないと思う。「出社しなければ仕事が回らない。」みたいな思い込みで遅々としてテレワークが推進されないのと同じように。

 じゃあきっと、100年経ってもこの奴隷船は無くならないのだろう。私にはどうすることもできない。

 朝、辺りを見回せば、誰もが死んだような目をして歩いている。このままならなさを乗り越えていくためには、余計なことを考えず、心を押し殺すほかないから。

 それでも今日、私の向かう先は会社ではない。そのことを思うだけで、早起きすることも、いつもの通勤経路を歩いて行くことも、苦にならなかった。

 それでも決して出勤していく彼らに優越感を覚えたりはしなかった。あの中には、「それでも、幸福。」な人間が山ほど混じっている。

 「それでも、幸福ではない。」私は、今日も出会いアプリを開いて見込みのある男たちにメッセージを送っていかなければいけないのだ。

 現在、10人並行中。

「おはようございます! 今日は友だちと旅行に行くんですよ~! 睦雄さん、お仕事がんばって下さいね! 」

 コピーアンドペーストで名前の部分だけ各人の名前に変えて送り付ける。この作業そのものがある種の仕事みたいなものだ。

 結婚したら浮気や不倫なんてもってのほかだとされているけれど、婚活では相手を何人も並行して効率よく関係を進めていくことが肝要とされている。それを誰もが当然の前提としているなんて、倫理が社会に追いついていない感じがしてうんざりする。依って立つ価値観が無くて居心地が悪い。

 送信した後で、送った相手が睦雄さんではなく隆雄さんであるということに気が付いた。ヤバ、ミスった。ついうっかりして誤送信してしまった。後でうっとうしい嫌味を言われても面倒だから、もちろん隆雄さんのアカウントは即ブロックした。そもそも、君たちが紛らわしい名前をしているのが悪いんだ。

 現在、9人並行中。

 今さらこういうことをすることに何の躊躇もない。自分もされたことが何度かあるし、他人を雑に扱うことに慣れてしまった。

 早く使い捨てではない人間関係に収まって安心したい。そして、こうして私みたいに何人も並行しながら婚活が上手くいっていない女友だちに、「もう少し、一人一人の関係を大事にしてみたらどうだろう? きっとそういうところは相手に伝わると思う! 」などといって明後日のスピリチュアルなアドバイスをしてイラつかせてみたい。

 などと考えていると、背後から急にだっちゃんが話しかけてきた。

「オイ! 早いねえ、待った? 」

「ハッ?! 」

 ビックリして、思わず奇声をあげてしまった。

「「ハッ?! 」だって。可愛いんだから。」

「次同じことやったら殺すよ、殺す! 女を待たせる、しかも朝から驚かす、その上、まだおはようって言ってない! 」

「おはよう莉佐ちゃん、そんな怒った顔しないで。悪かったから。」

「社会人の基本も守れない男はモテんぞ? 駅弁はおごりね。」

「ええ? しょうがない、一番安いやつにしてよ。」

「お昼はおごってあげるから一番高いのにさせて。」

 だっちゃんが、アハハハハ、と声をあげ、「なんだかんだ優しいんだから。」といって微笑んだ。何だその笑い方、キモ! と言おうかとも思ったけれど、面倒なので勘弁してやることにした。

 秋田県の田沢湖駅まで新幹線で向かう道中、しばらく世間話をしていたけれど、駅弁を食べてしまうとだっちゃんが急に静かになってしまった。うたた寝しているようだった。

 ご飯を食べたら眠ってしまうだなんて、赤ちゃんじゃないんだから。と思ったけれど、そこにいるのはやはりアラサーのへちゃむくれなのだった。

 どういう話の展開で先月出会ったクソ男たちの奇行を聞かせてやろうかと考えて、昨夜一人でシャドーイングまでしていたのに、私の気も知らずにスヤスヤ寝ているだっちゃんの様子が腹立たしかった。

 そういえば最近、仕事で忙しい、余裕が無いとしきりに零していた。それでも、ちゃんと休みを取って私に付き合ってくれたのだ、それ自体に感謝はしている。

 してはいるのだが、眠っている彼の顔は、見れば見るほど哀れに思えた。もう少し整っていればモテただろうし、もう少し醜ければ何にも期待せずに済んだのだろう。絶妙に人生を諦めきれないレベルのブサイクなのだった。これはどうしたものだろうな、と考えているうちに、顔を見飽きて私も眠りに落ちた。

 

 新幹線が田沢湖駅に到着し、私たちはレンタカーを借りて乳頭温泉郷に向かった。

 目的地へ向かう山道の細い道をスルスル器用に運転していくだっちゃんは、さすがに男の人なのだと思った。ペーパードライバーの私には出来ないことだ。そのことを伝えると、「地元が田舎だったからね。」と笑った。

 途中、お食事処に寄って休憩がてら軽食を食べていると、女将さんが「何処から来たの? 」といって愛想よく話しかけてきた。私は、「勝手に他人の話に割り込んで来て、邪魔な女だな。」と思ったけれど、だっちゃんは気さくに応対していた。意外と大人なんだな、と思った。

 きっと父親になれば、ちゃんとパパとしての役割をこなせるようになるのだろう。だっちゃんに相手さえいれば、の話だが。

 乳頭温泉郷にある旅館に辿り着き、荷物を置いて周囲を歩いて回った。

 温泉郷よろしく山の冷え込んだ風に湯気が立ちのぼり、紅葉が舞っていくさまが絵になるようだった。周囲には大学生と思しき若いカップルが、私たちと同じように散策しながら写真を撮り合っていた。そのことに劣等感を覚えずにはいられなかった。

 だって私の相手はだっちゃんだから。端から見れば、だっちゃんがだっちゃんであることは判りようがないけれど、それでも私自身が今、私には彼氏がいないという事実を身に染みてしまっていた。

「ほら、写んなよ。」

 気を遣ったのか、観光地の看板の前でだっちゃんがスマホのカメラを向けてきて、私はしぶしぶポーズをとった。こういうとき、素直に笑顔を作れる女だったら良かった。

 日が暮れて旅館に帰り、夕食の懐石料理を食べながら私たちは地酒を頼んだ。

 女給さんが枡の中に清酒を注いでゆき、溢れていくのを見ていた。だっちゃんが、「こういうのって、どうやって飲んだら良いかわかんないよね。」といって表面張力で張った酒をズズズ、と啜った。

「あ、美味い。さすが秋田だわ。」

「若造のクセに、お酒の美味しさが判るの? あ、でも美味しいね。」

「ちょっと奮発して良い旅館にしておいて良かったよね。」

 さすがの私も、素直に頷いた。どうしてただ知らない土地に赴くだけでこんなにも穏やかな気持ちになれるのだろう。4連休といわず6連休くらいとっておけば良かったかもしれない。

「ねえ、どういう写真撮ったの。見せてよ。」

 彼のスマホを取り上げた。

 景色の写真に混じって、何枚か私が写っていた。私も案外楽しそうな顔するものだ、しぶしぶ写ったつもりが中々可愛く撮れてるじゃないか。と思った傍から、だっちゃんが口を挟んだ。

「どの写真もめっちゃ不機嫌そうな顔してるでしょ。」

「オイオイオイ、彼氏でもないのに私の写真パシャパシャ撮ってよくそういうこと言うね! 普通だったら許されないんだよ、そういうことは。」

「まあでも、思い出になるじゃん。帰ったらデータ送るよ。」

「絶対シコらないでね。頼むよ。」

「シコらねえよ! 思ってもそういうことを口に出すなよ。あ、やっぱ今日シコろうかなあ。」

「シコったら殺す、マジで。でも私の写真ばっか増えて、だっちゃんの写真1枚もないじゃん。」

「まあね、意味ないじゃん。男の写真なんて撮ってもさ。」

 だっちゃんの表情が少しだけ曇るのを私は見逃さなかった。

「幽霊と旅行してんじゃないんだからさぁ、撮らせてよ! 」

「キャー、やめてー! 」

 スマホを向けて無理やりだっちゃんの写真を撮った。赤ら顔で変顔をしていた。そういうことじゃないのに、わかってない。

「こういう写真はね、アプリで女にウケるよ。「誰かが撮った写真。」を見て、「あ、この人は誰かに認められてる人なんだ。」って女は思うの。」

「そういうもの? 」

「そういうものよ、まだまだ修行が足りませんね、だっちゃんも。」

 私からスマホを受け取り自分の顔を見ただっちゃんは、目を細めて「変な顔。」と呟いていた。

 

 夜が更けて就寝した後、トイレに起きると、部屋にだっちゃんの姿が無かった。深夜に一人で露天風呂でも入りにでもいったのだろうか。

 気になって、だっちゃんを探しに部屋の外に出た。廊下進んでいくと、エレベータホールに彼はいた。エレベータの脇に置かれた粗末なイスの上で小さくなり、スマホをいじっていた。

 私に気付いただっちゃんが顔を上げた。

「起こしちゃった? 」

「ううん。何やってんの、寝れないの? 新幹線であんなに寝るからだよ。」

「いや、眠たいんだけど、アプリやってたの。女の子に返事してる。こないだ会った女の子から、「他に好きな人が見付かりました、ご健闘をお祈りします! 」って連絡が今来たのよ。他人行儀過ぎてなんだか、就活やってる気分になるよね。」

 深夜の旅館は静かで、自動販売機の唸る音だけが響いていた。無表情でスマホを弄りながら喋っているだっちゃんを見ていると、胸が痛んだ。

 新幹線で隣に座ったとき、あの微かに漂っていた腐った油の臭いがしなくなっていたことに気付いた。きっとシャンプーを少し良いものに変えたのだろう。最初に会った頃と比べると顔は少しずつ痩せ、身体は逞しくなってきている。浴衣から覗く足も綺麗に剃毛されていたし、靴を脱いだとき、靴底に身長をかさ増しするシークレットインソールを入れていることにも気付いてしまった。箸の持ち方は相変わらず下手くそで、何故かもっと悪くなってしまっていた。

「こんなときまでそんなに頑張って婚活して、頭おかしくなんないの。」

「頭おかしくなるよ。だから、マジで頭おかしくなる前に、相手を見付けないとね。最近、仕事が忙しくて。自分ひとりのために頑張るの、もうそろそろ難しくなってきたなって思い始めて来ているし。」

「そうだよね。解るよ。」

 どこかに、この人を見付けてくれる女の子が現れたら良いのにな、と思う。だけど私には紹介できるような女友だちはいないし、そして何より、私自身がだっちゃんのことを欲しいと思わない。きっとこの感覚が、彼を見つめる女たちの視線の全てなのだと思った。

「私に気遣わなくて良いから、部屋でやりなよ。ここ寒いし、風邪ひいちゃうよ。」

「ありがと、先に戻ってて。すぐ行くから。」

 部屋に戻ってしばらくだっちゃんのことを待ったけれど、彼が部屋に戻る前に、私は眠りに落ちてしまった。

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